ほんとに「考えること」は楽しい。想像したり、思い出したり、あれやこれや思い巡らし、感情が動く。考えることを止めたいと深刻に思った頃があったなんてうそみたいに、今は思考することは、こんな楽しいことはないと素直に思います。
あの頃と何が変わったかと言えば、たぶん考えるという行為の動機が変わりました。不安だから考える、不安感の逃げ場として思考していたところから、考えることの動機にヨロコビの要素が入ってきた、そんな感じですが、かつては防衛的な行動としての「考える」で、自己防衛の要素が大きかったようです。
ロジャースの19の命題のことを思い出しました。とりわけ命題の6番目の最後に出てくるホーガンの脅威と防衛に関する八つ記述をなるほどと再確認したところですが、不安感と防衛は連鎖的に繰り返す傾向があって、繰り返されるほど本来の不安感から遠ざかり、一方不安感に対してはますます敏感になるというのです。わたしの場合で言えば、「考える」に逃げ込むほどに、本来的な不安感からは遠ざかり、不安感に対する感受性はますます強まっていたということです。
記述の最後は「この防衛的な連鎖は、実在を受容する必要性によって制限される」とありますが、やはりそこですね。根っこに実在するもの、本音の感情を認めること、受容からすべては始まるということかと思います。
わたしがそのように行動する動機は?行動しようとしているその心に、どんな感情があるのか?時々意識して知覚してみることです。行動の動機にヨロコビを招き入れるためにも、そこから始めるとよいかもしれません。
(2023/5/28)
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あの頃と何が変わったかと言えば、たぶん考えるという行為の動機が変わりました。不安だから考える、不安感の逃げ場として思考していたところから、考えることの動機にヨロコビの要素が入ってきた、そんな感じですが、かつては防衛的な行動としての「考える」で、自己防衛の要素が大きかったようです。
ロジャースの19の命題のことを思い出しました。とりわけ命題の6番目の最後に出てくるホーガンの脅威と防衛に関する八つ記述をなるほどと再確認したところですが、不安感と防衛は連鎖的に繰り返す傾向があって、繰り返されるほど本来の不安感から遠ざかり、一方不安感に対してはますます敏感になるというのです。わたしの場合で言えば、「考える」に逃げ込むほどに、本来的な不安感からは遠ざかり、不安感に対する感受性はますます強まっていたということです。
記述の最後は「この防衛的な連鎖は、実在を受容する必要性によって制限される」とありますが、やはりそこですね。根っこに実在するもの、本音の感情を認めること、受容からすべては始まるということかと思います。
わたしがそのように行動する動機は?行動しようとしているその心に、どんな感情があるのか?時々意識して知覚してみることです。行動の動機にヨロコビを招き入れるためにも、そこから始めるとよいかもしれません。
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