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こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

わからないことは、わからないままに

2009年05月31日 | 無意識の世界
一年ぶりの故郷では、毎日、誰かと再会しています。

古い付き合いほど、相手の性格を知り尽くしているので、感情は安心して、無防備で会いに行きますが、気楽な分、会話の流れによっては自分が不安を感じ、気詰まりを覚えることが、くっきりと意識されます。

そこが面白いところでもあるのですが、昔と違って互いの価値観や指向にズレがあることを、ついつい忘れて向き合ってしまうと、思いがけず心は波立ち、酷く後味のワルイことになったりします。

価値観の相違を意識しつつ、相手の現在を共感的に聴く。そして相手のことも自分のことも、わからないことはわからないままにして無理に知ろうとしないこと。再会を楽しくするコツかもしれません。

故郷での再会は、感情の起伏を楽しみながらアイデンティティ(生き方、考え方)の統合度を試されている…そんな気がしてきました。

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ひょうたんから駒

2009年05月29日 | 五感と体感
目的地までの道中、陶芸窯のある場所に寄り道するのがここ数年の恒例です。乗り出してから、今回が北陸経由と知って、“では、あそこにも…”と密かに期待しましたが、行ってみたかった寺院に、こんなに早く訪れることになるとは、思いがけないところで夢が叶いました。

神仏習合の発祥地と云われる宇佐八幡宮では、神宮寺は遺構だけですが、そこでは神社の方が失われ、美しい檜皮葺の神宮寺が残りました。和尚様は講話の中で“ここでは柏手を打って仏様を拝んでみてください”と勧めます。名ばかりの神宮寺でないことに、驚きを覚えました。

“皆さんは、仏様と神様が一緒に祀られているなんてヘンだと思うかもしれませんが、時にはヘンだと思うことの方がヘンではないかと、考えてみることも必要です”とも。心の中で、おっしゃる通り!と頷きました。

宗教の正統とか正当云々の主張を聞くよりも、信心はその深みと高みにおいては繋がっていると聞くことの、なんと安らぎ、ほっとすることか。体感は正直です。

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ちょっとヘン

2009年05月25日 | 五感と体感
ある日、友好感をもって交流していた相手に気詰まりを感じ出す。会話していて、なんだか胃がこわばるような緊張を覚える・・・なぜだろう?

疑問を持ちつつ聞き役に徹していたら、この人は意外に他者否定的なところ大きいヒトらしいと、気づきだす・・・。一目瞭然で傾向を見て取れる人には、それなりに心積ができますが、他者否定が潜伏している場合は見抜くのが難しい。

合理化や知性化のオブラートに包まれた感情に気付けないのは、こちらもまた、投影や転移、抑圧の自己防衛が働いて、自分の本音が見えにくくなっているせいかもしれません。

そんなとき思考に先立ち“ちょっとヘン…”と警報を鳴らし、現実への目を開かせてくれるのが体感ということはよくあります。知識を深めながら自分の自己防衛の傾向を知ることと、今ここでの体感を意識できること。このふたつをバランスよく生きることが、とても大事なことのようです。

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あなたは、わたしではない

2009年05月10日 | 意識と知覚
共感的に聴いてくれるからといって、ところ構わず本音を語るとしたら、それはやはりまずいことになります。感情表現にはそれなりのマナーがあります。

共感的に聴いてくれる人たちはマナーを心得ている大人なので、感情表現のマナー違反を口に出すようなことはまずありません。大人のマナーを身につけられるかどうか。それは本人が“それをどのくらい自覚できるかどうか”にかかっていると思います。

あなたは、わたしではない。わたしが感じるように、あなたも感じるわけではない。“感情の存在に共感してくれていること”と、“感情の内容に賛成してくれていること”は別である。これをきちんと自覚できることは大事です。

どんな感情が湧いてきても、これはわたしの感情だ!と一人で立つ気概と、大人の感情表現を身につけること。この二つは共に手を取り合って進んでゆくもののようです。

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朝の空気

2009年05月09日 | 五感と体感
今頃の季節は、朝の空気がとりわけ清々しく感じられます。若葉の中、ちょっとひんやりした早朝の空気に触れる心地よさは、無風の陽だまりにいるときのそれとは、一味ちがう心地よさがあります。

どんな感情がやってきても、曖昧にやり過ごしてしまうのでなく、これはわたしの感情だと素直に認めるときの心地よさは、ちょうど朝の空気に触れたときに似て、きりっとした風に吹かれながら1人で立つ、そんな体感です。

冬に薪ストーブの前でまどろむときや、早春の陽光をガラス戸越しに背に受ける心地よさ。こころに平安をもたらしてくれる心地よさは沢山ありますが、戸外で風に吹かれるときの、ちょっときりっとした心地よさに気付き出すとき、人生は益々輝き、充実してくるように思います。

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愛は友を呼ぶ

2009年05月01日 | 第9章:愛
良い意味での“類は友を呼ぶ”。しばしば似たもの同士が集まる幸福な人間関係を表しますが、ひと気よりも動物の気配の濃い場所に暮らす私としては、もっと別の言葉で、人間関係の幸福を表現してみたくなりました。

“良い関係性-愛は、良い関係性-友を呼ぶ”というのはどうでしょう。自分自身と良い関係を結べる人は、周囲とも良い関係を結ぶことができるという意味です。

人には短所もあれば長所もある、様々な面をもっているのが人間で、良いだけの人もいなければ、悪いだけの人もいません。しかし人に対してストレスを与えやすい人と、そうでもない人。人間関係でストレスを感じやすい人と、そうでもない人。その違いは歴然とあります。

思考と感情と行動のバランスがよくなると、その人は自身に対する平安感や友好感が増して、それを他者との関係においても映し出し、相手は変わらずとも、以前より幸いな交流が増えてくるようです。愛は友を呼ぶ…なかなか良い言葉だと思うのですが。

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