このところ、どうも体調が思わしくありません。
夏の疲れが出る頃ですが、年齢的なものもありそうです。
加えて、お盆前後の旅の疲れも尾を引いている気もします。
心と体の疲労の割合は、どの程度のものか。
心と体とマイナスの相乗効果で、いつもより疲労感が長引いているのでしょうか。
気になっていること(不安な要素)を意識化して、
それが解消されたことを想像してみても、あまり変化しないところをみると、
やはり心よりは体の夏バテの要素が大きいのでしょう。
不調を乗り切るために、睡眠と食事を意識することはもちろん、
今は一冊の本を傍らにおいて、時間があれば開いています。
以前ブログにも書いたことがある、「失われた物語を求めて」という本ですが、
人に内在する生命力/魂に思いをいたすのは、
元気一杯のときよりも、身心が不調のときの方が相応しいのかもしれません。
読み返しながら、一つ一つのエピソードの内容は忘れていますが、
セラピストの著者がその現場に立ち会った、人のもつ生命力/魂の物語を読む度に、
魂を確かな実在として、私の内に感じているのだと思います。
この本は私にとって、内容の把握より“感じること”がウエイトを占めて、
もっといえば、物語に触れることで“魂を経験している”のだと思います。
今日あたりは、いつになく酷い夏バテにも意味があった。
そう思えるようになって、快復してきている何よりの徴かもしれません。
(160-17)
夏の疲れが出る頃ですが、年齢的なものもありそうです。
加えて、お盆前後の旅の疲れも尾を引いている気もします。
心と体の疲労の割合は、どの程度のものか。
心と体とマイナスの相乗効果で、いつもより疲労感が長引いているのでしょうか。
気になっていること(不安な要素)を意識化して、
それが解消されたことを想像してみても、あまり変化しないところをみると、
やはり心よりは体の夏バテの要素が大きいのでしょう。
不調を乗り切るために、睡眠と食事を意識することはもちろん、
今は一冊の本を傍らにおいて、時間があれば開いています。
以前ブログにも書いたことがある、「失われた物語を求めて」という本ですが、
人に内在する生命力/魂に思いをいたすのは、
元気一杯のときよりも、身心が不調のときの方が相応しいのかもしれません。
読み返しながら、一つ一つのエピソードの内容は忘れていますが、
セラピストの著者がその現場に立ち会った、人のもつ生命力/魂の物語を読む度に、
魂を確かな実在として、私の内に感じているのだと思います。
この本は私にとって、内容の把握より“感じること”がウエイトを占めて、
もっといえば、物語に触れることで“魂を経験している”のだと思います。
今日あたりは、いつになく酷い夏バテにも意味があった。
そう思えるようになって、快復してきている何よりの徴かもしれません。
(160-17)