小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

遍路日記‥‥四日目‥‥2  

2015-05-14 | 四国遍路
迎えに来てくれた「すだち館」のご主人のお迎えで15:30に宿に着く。
「すだち館」は元は善根宿。善根宿というのは修行僧や遍路、貧しい旅人などを無料で宿泊させてくれる宿。
つまり無料で泊めてくれる所。
すだち館も善根宿だったが、焼山寺から疲れ果てて降りてきた遍路のために食事の提供を始め今では一泊2食付きで4千円という格安料金の宿となりかなりフアンも多いようだ。
道路を渡った川の傍の美しいとはいえない建物が宿舎。水道と洗濯機があった。



今日は満杯のようで、私たちは別棟の一室。二段ベッドで自炊も出来るようになっている。
鍵がない。ご主人に言うと「四国には悪い人間、居らんのよ」と笑われた。
荷物を置く間もなくご主人は「温泉にいくぞ」と言う。
神山温泉センターへ入浴に行くのだ。この温泉も満室と断られた宿。
他のお客さんも居て、車二台で出発。一台はお客さんの車。そして、この入浴料600円も宿泊代に入っている。

途中で杖杉庵(じょうしんあん)に案内された。
四国八十八箇所霊場番外札所
ご詠歌 忍辱の しもとの力 強くして 夜叉も羅刹も とりひしぐなり





最初に四国八十八箇所を巡った伝説の人物とされる衛門三郎の終焉の地伝説が残る場所に建つ。弘法大師を追ってこの付近で力尽きて倒れた。そこへ大師が現れて衛門三郎を葬りその杖を墓標に立てた。その杖が根を張って杉の大木になったという伝えがある。

温泉センターの駐車場には柳水庵で出会ったツアーのバスが止まっていた。
このツアーのせいで安楽寺もここも満室だったのか。



なかなかいいお湯でしっかりと足腰を揉みほぐした。
外に出てベンチに座っているとツバメが飛んでいた。



ご主人は林業に従事していたが年齢的にきつくなった時に乞われてこの宿を引き受けたそうだ。
柑橘類をたくさん作っていて店先で売ってもいた。
宿に帰ると夕食が出来ていた。
奥さんの手作りの田舎料理。筍や蒟蒻の煮物に鰹の刺身等々なかなか賑やかで美味しかった。
立ってる者は親でも使え方式で「ごはんよそってあげて」と誰でも使う。
家庭的で良い雰囲気。
義足の玉川さんがやってきた。満室で部屋がないけどなべいわ荘も断られ困惑していた。



山の中なので冷えてきたのに。サクラがほんとにきれいだった。
この宿のご主人と奥さんの人生をあれこれ想像しながら眠りについた。
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遍路日記‥‥四日目‥‥1  

2015-05-12 | 四国遍路

朝、7時。吉野さんでおむすびを持たせてもらって出発した。
昨日の道を藤井寺まで歩く。安全祈願をする。
同時に出発した人たちの足は速い。





いよいよ、最初の遍路転がしの道へ突入だ。背中が軽いのがありがたい。
ところどころにお地蔵さんや赤い遍路マークが励ましてくれる。
少しくたびれた頃に端山休憩所がある。見下ろす讃岐山脈の景色が素敵。







1時間ほどで長戸庵につく。ベンチもあってちょっと休憩。
そこへ浜松夫人が到着。ご主人はゆっくり来いと先に行かれたらしい。
また、1時間ほどで柳水庵の到着。休憩時間が多いので11:20分。
やはり、人の倍の時間がかかる。
ツアーの人たちが並んでやってきた。
スタッフがお弁当やお茶を運んで来て用意していた。なるほど、至れり尽くせりなのね。
私たちもここでおむすびを食べる。






あとは浜松夫人も一緒にひたすら歩く。
巷間、言われているほどきつくはないが足はそう思わないらしい。
歩きに熱中していると無口になる。
お大師さまのお迎えを受けて14:30に焼山寺到着。
途中でスマホに今夜の宿から電話があって焼山寺まで迎えに来てくれるとのこと。
やれ、嬉しや。





十二番札所 摩廬山 焼山寺
ご詠歌 後の世を思えば恭敬焼山寺 死出や三途の難所ありとも

石段を登っていくと山門があった。立派な杉木立に囲まれた大きな寺院。
基は役行者が開いた山岳信仰の霊場だった。
山一帯に毒蛇が棲みついて大嵐や大火などを引き起こすので弘法大師が摩廬(水倫)の印で退治したという。






かなりの人たちがほっとしてくつろいでいた。
ご主人と再会した浜松夫人とはここでお別れ。
お詣りを済ませて休憩所にお土産の物色に入る。
徳島県と和歌山県では気候が似ているせいか同じような物産ばかり。
筆ペンで写生している人が居た。
葉書大の大きさの紙に描いているので絵はがきの図案かな?でも、どこにも絵はがきは売っていない。
そこへ広島さんが疲れ果てたような風情で入ってきた。
こんなに体力がなかったとはと嘆く。同感だった。
宿は「なべいわ荘」だそうだ。浜松夫婦と一緒。絵描きさんもかな?
そこは満員で断られた宿。評判がいいから早くから予約が入るのだろうな。
でも、私たちの善根宿の「すだち館」は迎えつきだもの。
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遍路日記‥‥三日目‥‥3  

2015-05-11 | 四国遍路
十一番札所 金剛山 藤井寺
ご詠歌 色も香も無比中道の藤井寺 真如の波のたたぬ日もなしさ

弘法大師は17日間、ここで修行を行い薬師如来を刻み、七色の藤を植えたと伝えられている。
真言密教の道場でもあったらしい。
16:00に実り豊かそうな里山をゆっくり歩いて山門に到着。



山の懐に抱かれたようなお寺。
お寺の名前通り藤棚が立派。蕾がたくさん垂れている。



背後には鬱蒼とした山を背負ったお寺で、ここから遍路転がしと言われている厳しい道が始まる。
本堂の天井には大きな雲龍が睨みをきかせていた。




夕景の中に静かに大師が微笑んでおられた。
ここでも浜松夫婦と再会。潜水橋からタクシーで来たらしい。
タクシーを待たせていて今夜の宿に向かうとのこと。同じ宿だ。
閉門が17時なので宿に寄らずにきたという。
みんなで焼山寺への道をのぞき込む。
木々の間から最初から登りになっている細い道が見えた。
「遍路転がし」というのは歩いていると転がってしまうほどの険峻な道の代名詞。
どの案内書にも初心者を怯えさせるようなことが書いてある。


  

ふと、どなたかのブログに書いてあった宅配便を思い出した。
朝一で出すと午後には次の宿泊所に届いているという方法だ。
背中のリュックがないとどれほど楽だろう。
民宿吉野に戻って聞いてみる。
間もなく集荷にくるということで朝の便は無理らしい。
大慌てで最小の品だけをショルダーバックに入れてザックを送り出した。
肩の荷が下りた感じ。

民宿吉野は満杯だった。

  


洗面所には遍路宿定番の洗濯機と乾燥機が並んでいて、自己申告制の自販機もズラリ。
これがなかなか好評らしい。
夕食はこの宿の名物となったトンカツ。それにいろいろついている。
宿泊者全員が揃って「いただきます」
浜松さん夫婦も名古屋さんもいて、話が弾んだ。

消灯は21時と決まっていた。
眠れないまま窓を開けると星が凄くきれいだった。
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遍路日記‥‥三日目‥‥2  

2015-05-10 | 四国遍路

20分ほど歩くと小豆洗大師の小さなお堂があった。弘法大師像を納めている。
堂の脇には約三メートル四方の井戸があり、さまざまな言い伝えが残っている。



何の変哲もない田舎道を歩き続けていると閉店したような酒屋さんの前に長椅子やベンチが置かれ、お茶も入れられるようになっていた。
これもお接待。しばらく休憩させていただく。
「ご自由にお持ち帰りください」の文字になにかと思えば小さな手製の布袋だ。
お賽銭用の小銭入れらしい。記念に一ついただいた。ありがとうございます。





ひたすら歩くとようやく山門が見えてきた。


やれ嬉しや‥‥しかし、そこから門前町らしき道がある。遍路用品販売店や表具屋さんやうどんやさんなどが並んでいる。表具屋さんから女性が出てきて荷物を預かってくれるという。ありがたいお接待!身軽になって元気に?歩き出す。





だが、長い。なだらかな登りの土道が続き、やがて333段の石段が始まる。
横には車道も本道まで続いている。
階段の踊り場に当たるようなところにお地蔵さんが並んでいらっしゃる。



ここでリタイアする人も多い。ちょっと休憩して登り始める。
女坂に続き男坂とあって、ここでは一段上るたびに一円玉を置いていく風習があるらしい。
やっと切幡寺本殿に到着した。12時40分。

   


十番札所 得度山 切幡寺
ご詠歌 欲心をただ一筋に切幡寺 後の世までの障りとぞなる

縁起によると、修行中の弘法大師が衣服を繕うとして近くの民家の機織り娘に布を所望すると織っていた布を切って渡してくれた。
それにいたく感動した大師は娘の願いを聞いて千手観音像を造ったとされている。
この寺で目立つのは多宝塔。豊臣秀頼が秀吉の菩提を弔って建立したもので重要文化財となっている。遠目にも素晴らしい。





ゆっくりと戻ると表具屋さんがお茶を出してくれた。
ザックを預かってもらったし申し訳ないのでお経が書かれた手ぬぐいを買った。謎解き絵みたいで面白い。
再度歩き始めたがもう一時近く、お腹がすいていた。
食べられそうな所のない平坦な道が尽きそうもなく続いていた。
教わったうどんやさんへの目印は四国電力変電所。そこを左折してゆくと道なりの左側にあるという。
変電所らしきものが見えてくると同時に「八幡」という、うどんやさんの大きな看板が目立つ。そんな名前じゃなかったよね。
やっと目指す幅広の道路に出た。右へ行けば八幡‥‥法輪寺で教わった「やまじゅう」は左。
八幡はみえたけどやまじゅうは影も形もないけれど、左折した。
重い足をひきずって進むと、あった!駐車場ように場所をとってるのでかなり建物は引っ込んでいる。14:00だ。





山かけうどんを頼んだ。天ぷら盛り合わせ一皿を三人でつっつく。
四国に来てやっと食べられたうどん。
なんというコシの強さ。出汁もおいしい。食後にはコーヒーがついてきた。
昼時を過ぎていたので店内も空いているからゆっくりできた。
そこへ浜松夫妻が入ってきた。再会を喜び合う。
奥さんの話によると殆どのお遍路は「八幡」に行くが、元ではこの「やまじゅう」が一番評判のいいうどんやさんだそうだ。
やはり地元情報というのはありがたい。
朝の7時半から歩きづめで足が悲鳴をあげていた。
本来なら吉野川の川島潜水橋を渡って次の藤井寺に向かうのだがタクシーで今夜の宿へ行くことにした。
ハイライトの一つなので心残りだけど仕方ない。
こんな時は一人で来れば良かったと思う。
川島橋近辺の宿に泊まるとかいろいろと応用がきくのだ。今はめんどくさいから流れに身を委ねる。
そして、そういうことは幾つも起こるのだろうなとちょっと不安でもあった。
さて、呼んでもらったタクシー。
運転手は若い女性だった。「ハチキン」というのだろうか。
男勝りで美しい。ちょっと取っつきにくいけれど根は親切。
15分ほどで今夜の宿の「民宿吉野」に着いた。15:20着。
藤井寺から焼山寺に向かう人には便利な宿と定評がある。予約しておいてよかった。
三人なので4畳半の部屋が二つ。仕切りを外してあるので広い。
一休みしてから十一番札所の藤井寺に向かった。
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遍路日記‥‥三日目‥‥1  

2015-05-09 | 四国遍路

7時30分十楽寺の宿坊を出発。
1時間ほど歩くと道の駅らしきものが見えてきて珈琲飲みたいと立ち寄るとどうやら日帰り天然温泉施設の「御所の郷」。
昔、ここに天皇の邸でもあったのかな。
時間的に当然ながらしまっていて自販機のコーヒーを飲んで一服。


8時45分に熊谷寺に到着した。




八番札所 晋明山 熊谷寺(くまだにじ)
ご詠歌 たきぎとり水熊谷の寺に来て 難行するも後の世のため

四国最大の山門と多宝塔を誇るらしい。仁王門の左右の仁王様は極彩色で美しい。

  


縁起によると、弘法大師が修業していると紀州の熊野権現が現れて「永く衆生斎度の礎とせよ」と琴の観世音菩薩を授けて去って行ったとか。



桜の名所で紫陽花や藤や牡丹と花の寺でもあるらしい。
遍路道には桜が多い。残念ながらその時期が終わって散りかねている花しか見られなかったが、それはそれで可憐だ。

境内は賑わっていた。バスツアーの人たちと一緒になった。納経所も混んでいる。
団体さんと個人と2列に並ぶ。ツアーの人はガイドが朱印帳をまとめて差し出す。
くたびれて木陰のベンチに座っていると「やめようと思うのにやめられなくて」と広島さんが隣に座って一服つけた。
喫煙所だった。ですよねえ‥‥。
顔なじみになるとまず「どちらから?」となる。きっかけはそんなところからほどけてくるのだ。
次に「お遍路を思い立った理由」を聞く。
広島さんは傷心旅行だと笑った。まだ40代くらいだ。
わたしは‥‥なんとなくとしか答えようがない。「ふと」なのだ。考えたくないのかも知れない。
さて、まだ先がある。重い腰をあげる。9時30分出発。

次の法輪寺までは田園地帯をひたすら歩く。
やがて道の先にそれらしい瓦が見えてきた。10時10分到着。



九番札所 正覚山 法輪寺
ご詠歌 大衆のひほうもとがもひるがえし 転法輪の縁とこそきけ

こじんまりとすっきりした美しいお寺。



弘法大師が巡礼していて仏の使いの白蛇をみつけ、釈迦の涅槃像を刻んで本尊としたと伝えられている。涅槃像を本尊とするのは四国八十八遍路寺ではここだけ。健脚祈願の札所でたくさんの草鞋が奉納されている。



顔見知りになった人たちと会釈。

法輪寺の向かいに茶店があった。おばさんの「ひとやすみ、しませんか?」に誘われて店に入って草餅と熱いお茶で休憩。
このおばさんは干し芋などをお接待しているのであちこちのブログで見かける。
旅人とのふれあいが楽しくて仕方ないらしい。
次の札所までの効率的な行き方を聞き、ついでにおうどん屋さんの情報もゲット。
法輪寺前茶店の出発が10時40分。


十番札所までが長い。田園地帯と人家のある道を黙々と歩く。
所々にある赤い遍路矢印が案内してくれる。石仏も多い。

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