小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

「遍路日記‥‥五日目‥‥3」 

2015-05-18 | 四国遍路

うどん屋さんを12時30分に出発。
次の札所までは4キロあまり。
藤の花が咲いているお宅を左折して、JRの踏切を渡って歯医者さんを過ぎてさらに直進を続ける。
突き当たりのカーブの奥にやっと井戸寺はあった。
お寺の横前におんやど松本がある。今夜の宿だ。かなり余裕のプラン。


十七番札所 瑠璃山 井戸寺
ご詠歌 面影をうつしれみれば井戸の水 結べば胸のあかやおちなん

壬申の乱に勝利した天武天皇の勅願によって建立されたという。
聖徳太子、行基説もあるがいずれにしても古い歴史を持つ寺。
7体の薬師如来が著名。弘法大師が拝礼にきた折に11面観音を彫って安置した。
寺の名前となった井戸は渇水を救うために大師が掘った。面影の井戸として名物となっている。



今日はここまでというととでのんびりしていたら、明日から雨という情報がまわってきて心が折れた。
明日の恩山寺までは14キロだから早立ちするつもりでここに宿を予約したのだけど‥‥
徳島市を抜けるのでバスや電車もあるにしても雨の中を歩く体力はなさそう。
ここを乗り切ると予定通りに阿波一国を制覇できるのだけどと額を集めて相談。
頭を丸めた江戸川さんは先を急ぐとすれ違いに門を出て行った。
浜松夫人はご主人が番外寺の地蔵院に回られたとかでのんびり。
広島さんは徳島のホテルを予約したから明日は「遍路は出直します」と市内観光して帰るそうだ。
そこへ「一枚、もらっていただけますか」と葉書大のスケッチを差し出された。
焼山寺でスケッチをしていた男性だ。戸塚さんは各お寺の本堂をスケッチしていた。
三番札所の金泉寺の絵をいただいた。嬉しくって何度もお礼を言った。



そして、ここで意外な展開となる。
戸塚さんは明日には帰らなければならないので明日は徳島の人形浄瑠璃を見て帰るとのこと。
それに興味のある同行者が食いついた。我々もそれを見て今回は打ち切りにしましょう。
まだ、空は青いのに‥‥。
おんやど松本屋さんに事情を話してキャンセル。
さて、徳島にはたくさんのホテルがあるがと迷っていると、広島さんが自分の泊まるホテルの電話番号を教えてくれた。
予約が取れた。
徳島まではJRだ。
越えてきた踏切の辺りに駅がありそう。
えんえんと歩かなけりゃならないが、この旅最後の遍路歩きだから頑張る。

浜松夫人と少しおしゃべりしてお別れを言う。
府中駅は簡単に見つかった。自転車がかなり置かれている。
ふちゅうではなく「こう」と読む。
昔はこのあたりが中心地で栄えていたらしい。
「ふちゅう」は「不忠」に通じるので「親孝行」の「こう」と呼ぶようになったとか。
電車は1時間に2本。戸塚さんが待合室にいた。
広島さんの姿は見えない。寄り道かな。
2両編成の電車の下りがきて陸橋の上から撮ってると戸塚さんもカメラを出して「撮り鉄ですか」と笑った。
  


予約した県庁前のホテルへは16時頃に着いた。
中から出てきた男性が「奇遇ですな」と声をかけてくれた。
どこかでお会いしたのだろう。
同行の奥さんの足が腫れて歩けなくなったので病院へ行ったら即入院となってもう五日になるという。
そこでこのホテルに滞在して毎日病院に通ってるそうだ。
「大変な遍路になりましたね」というと「いや。人さまの優しさや思いやりが身にしみています。みなさんにどれだけ助けられたことか。遍路に来て教えられることがいっぱいで来てよかったです」との答え。
返す言葉がなかった。
    


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする