小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

「遍路日記‥‥五日目‥‥2」 

2015-05-17 | 四国遍路

次の国分寺は近い。近いと知るだけで足が軽くなる。
10時25分に到着した。

第十五番札所 薬王山 国分寺
ご詠歌 薄く濃くわけわけ色を染めぬれば 流転生死の秋のもみじ葉






天平時代に聖武天皇の勅願によって国ごとに五穀豊穣と国家鎮護を願って建立された。奈良の東大寺はその総国分寺となる。四国には4つの国分寺が置かれて全部が札所となっていてここはその一つ。
行基が薬師如来を造って安置したという。枯山水や阿波で採れた青石の巨石を配置し独特の造形美がある。
が、先を急ぐので鑑賞できなかった。






10時45分には出発してしまい、惜しいことをしてしまった。
この遍路ではそういうことが多いけれど、反省点の一つだ。

11時15分に次の観音寺に着いた。

第十六番札所 光耀山 観音寺
ご詠歌 忘れずも導きたまえ観音寺 西方世界阿弥陀の浄土へ



道路に面して鐘楼門があった。
聖武天皇の勅願寺として弘法大師が千手観音や不動明王、毘沙門天を刻んで安置した。
門をくぐるとすぐに本道という小さな境内。夜泣き地蔵が祀られていて子供の健康と成長を願っている。





定石通りのお詣りを済ませると11時40分。次のお寺までは4キロある。途中に食べるところはあるのかな?と、近くに「ぬまた」というおうどん屋さんがあるとの情報をゲット。その店は5分ほど行くとわかりにくいところにあった。のれんをくぐると満席だ。浜松夫妻が椅子席にいた。運良く席を立った人が居て畳み席に上がった。相席で男性が一人いて、彼は広島さんだった。顔見知りが多いと話も弾む。靴を脱いだので体中に酸素が回ったような感じ。


冷たいてんぷらうどんを注文した。やまじゅう(切幡寺からの店)よりは少し柔らかめのうどんだったがおいしかった。
ここでちょっと寛いで12時半に重い腰をあげた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする