小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

「遍路日記‥‥五日目‥‥1」 

2015-05-16 | 四国遍路

6時半に朝食。昨夜はバスの屋根付き停留所(焼山寺行きバスの終着駅なのだ)で寝たという玉川さんも元気に朝食を共にした。若い人たちは既に出発済み。
ご主人がその食器を洗っている。
我々も7時に出発。といってもご主人が車で送ってくれる。
奥さんがペットボトルのお茶とぽんかんとお菓子をくれた。食事、おいしかったです。
次の大日寺までは鮎喰川に沿って30キロもある。この遍路のために頭を剃ったという定年退職した江戸川さんも一緒。
清流に沿ってしばらく走るとご主人が車を止めた。
山側のお地蔵さんに水をあげるためだ。このお地蔵さんはご主人が諸々の願いをこめて建立したもので毎日、お世話しているという。



小一時間走るとご主人はまた車を止めた。
お接待所だ。歩いてきた人にはなんともありがたい所。
中にはテーブルや椅子、案内所に飲み物、お菓子などがおかれてある。
「へんろみち保存協会」の方々がやってられるらしい。
投句箱が置かれていたので即興の一句投入。「傷ついて花の終わりの遍路道」

  

ここからは次の大日寺まではすぐだった。8時半に到着。
県道に面して山門があった。道を挟んだ真向かいに阿波の総鎮守だった一宮神社が鎮座している。
「すだち館」のご主人とはここでお別れ。ありがとうございました。

十三番札所 大栗山 大日寺
ご詠歌 阿波の国一宮とはゆうだすき かけて頼めやこの世のちの世

弘法大師がこの地で修業していると大日如来が現れて「この地は霊地なり。心あらば一宇を建立すべき」と告げたとされている。大師は大日如来像を造ってお寺を建てて像を安置して大日寺と命名した。







合掌する掌の中に現代アートのような観音像がおわす。
個人的にはちょっと違和感があるかな。
ここで浜松夫人と再会。泊まられたなべいわ荘はすだち館のちょっと先だったから、始発のバスで来たそうだ。
ここで歩いてくるご主人を待つそうだ。「なにしろ歩きに拘ってるもんで」と笑う。
いいなあ。泊まるところさえ確保しておけば自由なスタイルで参詣すればいい。
ツアーの人たちがどっときた。8時50分出発。

田園地帯を歩く。田畑の道もある。
所々にお地蔵さんが立っている。
幅が広くなってる鮎喰川の長い橋を渡る。河原にはシラサギがいて我が家のアオサギを思い出す。
さらに歩き遍路用の道を進む。



  

曲がってなだらかな坂道を登っていくと空に張り出したような建物が見えた。
常楽寺らしい。
やがて門が見えてきた。常楽寺到着9時20分。





十四番札所 盛寿山 常楽寺
ご詠歌 常楽の岸にはいつか到らまし 弘誓の船に乗りおくれずば

四国霊場の中で唯一の弥勒菩薩が本尊の寺。
「流水岩の庭」が有名。本堂の前庭は海辺の岩場のようになっていて歩きにくい。
これは長年の風雪によって浸食されたからで「流水岩の庭」となったという。
歩きにくいがいわれをきくと有難く思うのも凡人ゆえか。
弘法大師の像もこの流水岩の庭で本堂に向かって立っている。





昭和30年から戦争孤児を育て始め、今は養護施設「常楽園」を運営している。
10時に出発。足が痛い。マメよ、つぶれないでおくれ。
コメント
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