小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

遍路日記‥‥二日目‥‥2

2015-05-05 | 四国遍路
「愛染院」には休憩所があって熱いお茶とお菓子をお接待してくれた。温かさが五臓六腑に染み渡る感じ。靴紐を締め直して10時30分に出発。
少し行くと「萌月」といううどん屋さんがあった。おいしいと有名らしい。準備中だったしお昼には早すぎるので通過。ちょっと残念。
進んでいくと道の選択を迫られることがある。ここでも、アスファルトと歩き用の二つ。歩き用の方は近いのだろうけれど登りなのでアスファルトの方を選んだ。上の道をご夫婦が歩いている。時々ご主人が足を止めて奥さんを待たれる。
スイスでのハイキングで同じような経験を思い出してクスリ。やっと追いつくと休む間もなく夫は歩き出したっけ。
しかし、目ざとく小さな石の道標をみつけて近道!だと道なき道を進む。そして着いたのはどうやらどこぞの裏庭っぽい。
回り込んでみると五百羅漢だった。5番札所の地蔵寺の奥の院。


せっかくだからと入場料を払って鑑賞に回った。
五百羅漢というのは石仏だとばかり思っていたが、ここのは屋内にきらびやかな木造で並んでいた。
コの字型の廻廊には等身大の五百羅漢が安置されていてそれぞれに喜怒哀楽が伝わってくる。



ここからは地蔵寺への階段を降りなければならないので、先に大日寺に行くこととした。順路としては正当なのだけど。
ここからの登りアスファルトの道は天気も良くきつかった。
帰り道のお遍路さんたちが「がんばって」と声をかけてくれる。こちらも五百羅漢を是非見てねと応えた。
仁王門が見え始めてからも長い道が続いた。


それでも11時30分に到着。
四番札所 黒厳山 大日寺
ご詠歌 ながむれば月白妙の夜半なれや ただ黒谷のすみぞめの袖

この地で弘法大師は大日如来像を刻み、それを本尊として寺を創設したとされている。
一時は寂れたが江戸時代に再興されて以来、多くの参詣人が訪れる。
拝礼、灯明、線香、納札、読経(ムニャムニャ)納経帳に御朱印をいただく。



広い駐車場があり、そこの木陰で観梅苑で持たせてくれたおむすびを食べる。陽の光が輝いていた。
同行者は駐車場の売店で干し芋を買った。レンコンも欲しがったがさすがに荷物になるので諦める。このあたりはレンコンの産地らしい。
12時20分に立ち上がり、今来た道を下っていく。
五百羅漢の庭から石段を降りて地蔵寺に到着。12時50分。改めて表門まで行くとここもまた石段があった。

五番札所 無尽山 地蔵寺
ご詠歌 六道の能化の地蔵菩薩 導き給えこの世後の世

嵯峨天皇の勅願を受けて弘法大師が開創した。この時大師は勝軍地蔵菩薩を彫って本尊とした。この勝軍地蔵は甲冑をつけて軍馬にまたがるという姿で軍神として崇拝された。従って武士の間で信仰され頼朝や義経も多くの寄進をしていた。
大師像がやさしく迎えてくれ、樹齢800年の大銀杏が素晴らしい。







納経所で次の安楽寺への行き方を聞くと時計を見上げて「急げば14分のバスがありますよ」との有難いご助言。
こんな時は重いの痛いのはどこかに飛んでいってひたすら教えられた「羅漢」というバス停に向かって歩けた。
10分ほどで「六番」というバス停に着いて運転手さんに「安楽寺はここですよ」と言われて降車。
1時間に一本か二本しかないバスに乗れるなんてと幸運を喜び合った。
6番札所安楽寺到着は13時30分。



コメント
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