和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

2月9日(日)のつぶやき

2014年02月10日 02時25分13秒 | 今日の俳句

東風(こち)/今日の俳句≪No. 1495≫

2014年02月09日 06時58分52秒 | 今日の俳句
     ☆東風(こち)/今日の俳句☆


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2014年(平成26年)2月9日(日)


    ■2月9日(日)■

○ 漫画の日
 漫画本専門古書店「まんだらけ」が制定。
 漫画家・手塚治虫の命日。
※ 漫画家,アニメーション作家。大阪に生まれる。少年時代に田河水泡(たがわすいほう)の《のらくろ》,W.ディズニーのアニメーション映画などの影響を受け,1946年から《毎日小学生新聞》に《マアちゃんの日記帳》を連載し,漫画家としてデビューした。
 47年長編漫画《新宝島》(酒井七馬原作)を刊行,映画的手法を駆使した描写で注目を浴び,40万部の大ベストセラーとなった。50年から《ジャングル大帝》を《漫画少年》に,51年から《アトム大使》(のちの《鉄腕アトム》の母体)を《少年》に連載,同年に大阪大学医学部を卒業。

○ ふくの日
 下関ふく連盟が1981(昭和56)年に制定。「ふ(2)く(9)」の語呂合せ。下関では、河豚[ふぐ]は「ふく」と発音し、「福」と同音であることから縁起の良い魚とされている。

○ 服の日
 日本ファッション教育振興協会・全国服飾学校協会等が1991(平成3)年に制定。「ふ(2)く(9)」の語呂合せ。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】


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  ■※今日の俳句※■


  
  海の東風見え得ぬものを鳴らしけり
         加倉井秋を


  ゴッホの糸杉東風に逆立つ我が蓬髪
         高柳重信


  梅東風やくるま座内に児を放つ
         平井さち子


※ 東風→朝東風・夕東風・強東風・雲雀東風・鰆東風・梅東風・桜東風。
 東から吹く柔らかい風。春風の駘蕩たる感じと違って、まだやや荒い早春の風。強東風はその激しいさまである。「万葉集」には「あゆの風」と詠まれている。


【「合本・俳句歳時記/第三版」(角川書店)より転載】


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※わが友に贈る/名字の言※
【「聖教新聞」2014年(平成26年)2月9日(日)より転載】


 ■※わが友に贈る※■


 信心とは
 断じて諦めない勇気だ。
 いかなる試練も
 必ず変毒為薬できる。
 大使命の道を歩み抜け!

        2月9日



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   ■※名字の言※■


(2/9)
未来部の友が、皆で目標を定めて、祈ることを記したご祈念帳をつくった。項目の最後に、雪だるまの絵を添えた。「雪だるまだって、雪が積もらないとできないでしょ」。題目を積み重ねて目標を達成しよう、との決意の表れだった



雪の結晶は大気圏の高層でつくられ、地表に降る間に成長する。その途中の大気の条件によって形を変え、粉雪、ぼたん雪などの違いが生まれる。雪の研究の第一人者である中谷宇吉郎は、雪を“天から送られた手紙”と言った。地表の雪を調べれば、はるか上層の気象の状態が分かるからだ



彼は自らの信念を、こう書き残した。「一見不可能なことでも必ずできると思ってやれば大抵のことはできるものだ」(「冬の華」、『中谷宇吉郎随筆選集第1巻』所収、朝日新聞社)



夢や目標への遠い道のりも、目の前の一歩から始まる。「其の現在の因を見よ」(御書231頁)である。一人の人間が、今という一瞬に秘める可能性は無限だ



62年前の2月闘争で、若き池田名誉会長は訴えた。「広宣流布の戦いは、祈りから始めることです」と。決然と立った「一人」の一念が、世界広布の未来を開いた。純白の雪のように、真っすぐな祈りから、夢や目標は形になり始める。(蹴)


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2月8日(土)のつぶやき

2014年02月09日 02時29分57秒 | 今日の俳句

正義32/新・人間革命

2014年02月08日 16時45分51秒 | 新・人間革命
    
      小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2014年(平成26年)2月8日(土)より転載】


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正義32(2/8)

 静寂な夜であった。

 山本伸一は、一九八一年(昭和五十六年)に執り行われる、日蓮大聖人の第七百遠忌法要を思った。彼は、その慶讃委員長であり、この式典を、僧俗一丸となって荘厳し、広宣流布への大前進を期す佳節にしようと、固く決意していた。それだけに、悪侶による僧俗和合の攪乱と広宣流布の破壊が、残念で残念でならなかった。魔軍を喜ばせるだけだからだ。

 彼は、ホテルの机に向かった。

 後世のために、この出来事の真実とわが思いを、書きとどめておきたかった。

 ペンを手にすると、苦しみ抜いてきた同志の顔が浮かんでは消えた。

 「宗門問題起こる。心針に刺されたる如く辛く痛し」――こう書くと、熱湯のごとき憤怒と激情が、彼の胸にほとばしった。

 「広宣流布のために、僧俗一致して前進せむとする私達の訴えを、何故、踏みにじり、理不盡の攻撃をなすのか」

 そして、「大折伏に血みどろになりて、三類の強敵と戦い、疲れたる佛子」に、なぜ、このような迫害が繰り返されるのか、到底、理解しがたいとの真情を綴った。

 「尊くして 愛する 佛子の悲しみと怒りと、侘しさと辛き思いを知り、断腸の日々なりき。此の火蓋、大分より起れり」

 彼は、さらに、福井、兵庫、千葉などで、健気なる同志を迫害する悪侶が現れた無念を書き記し、第七百遠忌法要の成功を、「血涙をもって祈り奉りしもの也」と認めた。

 ホテルの窓から外を見た。漆黒の空に、星々が美しく瞬いていた。

 “これで、ひとたびは、事態は沈静化へ向かうであろう。しかし、広宣流布の道は、魔との永遠の闘争である。

 ゆえに魔は、これからも、さまざまな姿を現じて、大法弘通に生きるわれらに襲いかかるであろう……”

 彼は、安堵の情に酔うわけにはいかなかった。事実、既に、この時、学会と宗門を分断する謀略の次の矢が放たれていたのである。


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余寒/今日の俳句 ≪No. 1494≫

2014年02月08日 05時43分40秒 | 今日の俳句
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     ☆余寒/今日の俳句☆


彡------☆★☆*≪No. 1494≫------☆★☆*☆------☆☆彡
2014年(平成26年)2月8日(土)


   ■2月8日(土)■

○ 〒マークの日
 1887(明治20)年のこの日、逓信省(後の郵政省、現在の日本郵政グループ)のマークが逓信の「テイ」に合わせて甲乙丙丁の「丁」に決定した。
 しかし、万国共通の郵便料金不足の記号「T」と紛らわしいことがわかり、6日後の14日に、「テイシンショウ」の「テ」を図案化した「〒」の誤字だったことにして変更した。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】


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  ■※今日の俳句※■


  
  鎌倉を驚かしたる余寒あり
         高浜虚子


  うつくしき余寒の頬や稽古海女
         鳥羽とほる


  遠きほど家寄り合へる余寒かな
         広瀬直人


※ 余寒→残る寒さ。
 寒が明けてからの寒さ。春寒ということばにははるでありながらまだ寒いという語感があるのに対し、余寒は寒が明けてもまだ寒さが残っているという感じである。
→春寒・冴返る。

【「合本・俳句歳時記/第三版」(角川書店)より転載】


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※わが友に贈る/名字の言※
【「聖教新聞」2014年(平成26年)2月8日(土)より転載】


  ■※わが友に贈る※■


 大雪や暴風に警戒!
 凍結路や交通障害等に
 十分な注意が必要だ。
 配達員はじめ全同志の
 絶対無事故を祈る!

        2月8日



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  ■※名字の言※■


暦の上では立春を過ぎたが、寒気が居座る日本列島。寒風の中、全国の同志が勇んで仏法対話に挑んでいる。「祈り続けた」思いが形となり、弘教が実った体験を聞いた



ある青年が高校時代、家庭内の問題で深く悩んでいた。そのころ、親族の叔母さんが、陰に陽に彼を励まし、支えてくれた。その優しさに感激した彼は、“いつかこの恩を返したい”と願い、以来、15年以上、叔母さん一家の幸福を祈り続けてきた



昨秋、叔母さんの息子であるいとこから、「相談したいことがある」と連絡があった。悩みを聞き、仏法対話を重ねた結果、いとこは母の承諾を得て入会。今、自身の成長を期し、勤行・唱題を実践している。「最高の恩返しができました」と語る青年の表情は、実に晴れやかだった



「報恩の人こそ、人生の勝利者である」と池田名誉会長は語る。恩を返そうという心は成長へのエンジンとなり、恩を返された人にも、結果として喜びを贈ることになる。かつて励ました人が立派に成長した姿ほど、うれしいものはない



報恩の心は、目には見えないが、見えないものが生の充実を決める。報恩を心に置く青年の存在は、人間関係が希薄になったといわれる社会にあって、確かな希望の光である。(億)


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2月7日(金)のつぶやき

2014年02月08日 02時27分18秒 | 今日の俳句

正義31/新・人間革命

2014年02月07日 12時34分06秒 | 新・人間革命
    
      小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2014年(平成26年)2月7日(金)より転載】


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 正義30(2/7)

 山本伸一は、固く心に決めていた。

 “尊き仏子が、悪侶から不当な仕打ちを受け、苦しむような事態だけは、いっときも早く収拾させなければならない。

 広宣流布にかかわる根本問題については、一歩たりとも引くわけにはいかぬが、会員を守れるなら、それ以外のことは、なんでもしよう。ともかく、大切なのは、わが同志だ。

 私が盾となる。矢面に立つ。何があろうが、会員は私が守り抜く!”

 娑婆世界とは忍耐の世界である。正義への確信ゆえに、彼は何ものをも恐れなかった。

  


 一九七七年(昭和五十二年)十二月四日、伸一は、宮崎県日向市にある日向本山定善寺の本堂新築落慶入仏式に参列した。この宮崎訪問で日達法主と胸襟を開いて話し合いを重ね、学会の外護の赤誠を知ってもらい、学会に反感をいだく僧たちの、会員への非道な仕打ちに、ピリオドを打ちたかったのである。

 伸一は、前日も、宮崎市内で日達法主と、僧俗和合のために忌憚ない対話を交わした。

 そして迎えた定善寺の本堂新築落慶入仏式で、あいさつに立った伸一は、日達法主をはじめ僧侶たちに、今後も学会は、誠心誠意、宗門を厳護していく精神は不動であることを強く訴えた。

 宗門との間に、枝葉末節の問題で意見の食い違いがあったにせよ、広宣流布のために不惜身命で突き進む学会の情熱と宗門外護の心には、いささかも変わりがないことを、わかってほしかったのである。

 彼は、各寺院の儀式にも、さらに力を注ぐことを述べ、謝意を表し、最大の誠を尽くして、あいさつを終えた。

 伸一が一切の行事を終え、宿舎のホテルに戻ると、連絡があった。日達法主が、伸一に歌を詠んだとのことであった。


 「我宿の 松原越の 日向灘

     波静にと 祈りつ眺む」


 伸一もまた、直ちに日達への尊敬と感謝を込めた句を作り、届けてもらったのである。


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冴返る/今日の俳句 ≪No. 1493≫

2014年02月07日 08時59分23秒 | 今日の俳句
     ☆冴返る/今日の俳句☆


彡------☆★☆*≪No. 1493≫------☆★☆*☆------☆☆彡
2014年(平成26年)2月7日(金)


   ■2月7日(金)■

○ 北方領土の日
 日本政府が1981(昭和56)年に制定。
 1854(安政元)年12月21日(新暦1855年2月7日)、日露和親条約が締結され、北方領土が日本の領土として認められた。
 北方領土は択捉島・国後島・色丹島・歯舞諸島からなり、面積は4996平方kmで沖縄の2倍強ある。
 江戸時代から日本は北方領土の開発・経営をしていた。「日露通好条約」により、ロシアとの国境が択捉島とウルップ島との間に確定された。その後、1875(明治8)年の「樺太千島交換条約」によって樺太全島を放棄する代わりに千島列島全てが日本領となり、1905(明治38)年の日露戦争の勝利により、「ポーツマス条約」で南樺太も日本領となった。
 第2次大戦の敗戦により、1951(昭和26年)の「サンフランシスコ平和条約」で、日本が戦争によって奪った土地の権利・権原等は放棄することとなり、千島列島もその中に含まれた。しかし、北方領土は戦争によって獲得した土地ではなく、権限を放棄する千島列島には含まれないが、ソ連は千島列島の一部であるとして北方領土を占領し、その状態が現在まで続いている。

※ 瓜人忌
 俳人・相生垣瓜人の1985(昭和60)年の忌日。
 兵庫県高砂町(現、高砂市)生まれ。
 1920年、東京美術学校の製版科を卒業する。その同年に、浜松工業学校(現在の静岡県立浜松工業高等学校)に赴任し、その図案科教員となる。その傍ら、俳句活動に熱を入れ、1928年には「ホトトギス」に、1930年には「馬酔木」に投句活動を行う。1933年には水原秋桜子に従って、「馬酔木」の同人となるも秋桜子の脱退に伴い、それを共にす。戦時中は投句活動を中断していたが、戦後の1947年には俳誌「あやめ」に投稿、またその翌年の1948年に再び「馬酔木」へ投句を行う。1950年には「あやめ」を「海坂」に改題し、百合山羽公と共に撰者として活躍する。
 1949年には浜松放送局聴取者文芸俳句撰者に抜擢される。1976年には句集『明治草』などが評価され、第十回蛇笏賞を受賞する。
 1985年、風邪から心筋梗塞を併発し、意識を失ったまま永眠する。享年86。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】


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  ■※今日の俳句※■


  
  子規堂の一机一硯冴返る
         伊吹ぬい子


  凍てもどり木曽路は夜へ渓響き
         福田蓼汀


  地に下りて鳶の大きさ戻り寒
         光木正之


※ 冴返る→凍返る・寒戻る。
 そろそろ暖かくなりかけたと思うと、また寒さが戻ってくるのをいう。寒さがぶり返すと、ゆるんだ心持ちが再び引き締まり、万象が冴え返る感じをもつ。
 「凍返る」は寒さがぶり返して大地の凍てが再び戻ること。
→余寒・春寒・冴ゆ(冬)。

【「合本・俳句歳時記/第三版」(角川書店)より転載】


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※わが友に贈る/名字の言※
【「聖教新聞」2014年(平成26年)2月7日(金)より転載】


  ■※わが友に贈る※■


 「感謝」の心が
 無限の力を引き出す。
 「報恩」の人生に
 行き詰まりはない!
 わが誓いを貫け!

        2月7日



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  ■※名字の言※■


金閣寺放火事件が起きたのは1950年(昭和25年)7月のこと。犯人は若い寺僧であった。言わずと知れた三島由紀夫の『金閣寺』は、同事件に材を取った小説。一方、犯人と同郷だった作家・水上勉にも『金閣炎上』と題する一冊がある。こちらは綿密に取材を重ねて著したノンフィクションだ



後者を開くと、当時の仏教界の実態がよくわかる。寺は多額の拝観料に潤い、住職は酒に溺れ、花街に遊ぶ日々。欲望にまみれた寺の内情を見て、犯人は僧として生きることが嫌になってしまったのではないか、と水上は推測している



敗戦下、国民の生活は苦しかった。ところが坊主は、のうのうと暮らしている。民主化へと向かう時代にあって、庶民を食い物にする既成宗教界への反発は、必至であったろう



52年(同27年)、民衆運動の新たなうねりが、本格的にスタートした。「2月闘争」である。「宗教のための人間」から「人間のための宗教」へ。日本の戦後史における、この人間復興運動の時代的意義は大きい



今、世界広布の新時代を迎えた。平和創出への、一大民衆運動の開幕である。国籍・人種を超えて、笑顔と励ましの連帯が広がる。その世界史的意義は尊い。さあ、新たな人間復興の「2月闘争」を!(生)


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2月6日(木)のつぶやき

2014年02月07日 02時18分30秒 | 今日の俳句

正義30/新・人間革命

2014年02月06日 06時07分24秒 | 新・人間革命
    
      小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2014年(平成26年)2月6日(木)より転載】


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 正義30(2/6)

 僧たちの仕打ちは冷酷であった。

 福井県に住む婦人部員の夫が、信心することになった。夫人の念願が叶っての入会である。入信の儀式の“御授戒”を受けるために、その夫妻に同行して、壮年・婦人の幹部も寺へ行った。

 寺には、学会を敵対視する住職の影響を受け、学会批判を繰り返すようになった若者らが集っていた。

 住職は、約束の時刻になっても“御授戒”を行おうとはせず、学会を誹謗し始めた。

 「学会の会館に行っても功徳はない。寺に来てこそ功徳がある。そもそも、生きている時に寺へ来ないで、死んで厄介になろうなどというのは、おかしな話ではないか」

 「そうだ!」と、若者たちが口々に叫ぶ。

 付き添っていた幹部は、信心しようという人の前で、住職らと争う姿を見せたくはなかった。“こんなことを言われて、入会の決意を翻さなければいいが……”と、ハラハラしながら、じっと耐えていた。

 学会への誹謗は、四十分、五十分と、延々と続いた。遂にたまりかねて、壮年の幹部が強い語調で言った。

 「“御授戒”は、どうなっているんですか!」

 「なんや、おまえ!」

 若者たちが、壮年幹部を取り囲んだ。緊張が走った。住職は、“これはまずい”と判断したのか、ようやく“御授戒”を始めた。

 こうした寺が増え、学会員の多くが、寺へ行くたびに悔しさを噛み締めてみ締めてきたのである。

 山本伸一は、学会員の苦渋の訴えに、胸をかきむしられる思いがした。 

 “なぜ、罪もない学会員が、最愛の仏子たちが、こんな目に遭わなくてはならないのだ! もうこれ以上、同志を苦しめたくはない! 学会員は、広宣流布の使命を担って出現した仏子である。なればこそ、その方々を命がけで守るのが会長である私の務めである。断じて、断じて、守り抜かねばならぬ!”

 広宣流布に生きる人を、仏に仕えるがごとく守り抜く。そこに仏法の王道がある。


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春浅し/今日の俳句 ≪No. 1492≫

2014年02月06日 06時02分17秒 | 今日の俳句
春浅し/今日の俳句 ≪No. 1492≫

     ☆春浅し/今日の俳句☆


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2014年(平成26年)2月6日(木)


   ■2月6日(木)■

○ 世界女性器切除根絶の日(International Day of Zero Tolerance to Female Genital Mutilation)
 国連の国際デーの一つ。アフリカを中心に行われている女性器切除について広く世界の人々に認識させ、その撲滅を促進するための日。
 2003年にナイジェリアの大統領夫人であるステラ・オバサンジョの提案で始められ、国連人権委員会で国際的な啓発デーとすることが採択された。

○ 海苔の日
 全国海苔貝類漁業協同組合連合会が1966(昭和41)年に制定し、翌年から実施。
 702(大宝元)年1月1日(新暦2月6日)に大宝律令が施行され、その中で海苔が産地諸国の物産の一つとして年貢に指定された。
 また、この頃に海苔の生産の最盛期を迎えることから、2月6日を記念日とした。

○ 抹茶の日
 愛知県の西尾市茶業振興協議会が西尾茶創業120年を記念して制定。
 茶道で釜をかけて湯をわかす道具「風炉」から「ふ(2)ろ(6)」の語呂合せ。


【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】


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  ■※今日の俳句※■


  
  木の間とぶ雲のはやさや春浅き
         三好達治


  きりたんぽきちきち巻きて春浅し
         黒沢京子


  春浅し若狭かれひのひと焙り
         三谷いちろ


※ 春浅し→浅き春・浅春。
 早春と大体同じであるが、まだ春色は整わない。降雪もあるし木の芽も伸びない。風もまだ荒い。そういった若い感じの春の趣である。


【「合本・俳句歳時記/第三版」(角川書店)より転載】


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※わが友に贈る/名字の言※


【「聖教新聞」2014年(平成26年)2月6日(木)より転載】


  ■※わが友に贈る※■


 新会員の成長を
 皆で応援しよう!
 共に祈り、語り
 会合に参加する中で
 宝の人材は育つ!

        2月6日



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  ■※名字の言※■



ロシアでは初となる冬季オリンピックがあす7日、また、パラリンピックは3月7日に始まる。心身を鍛え抜いた選手の努力が花開く姿を楽しみにしたい



この冬季五輪の開催地にソチが選ばれたのは2007年7月だった。以来、約6年半を経ての開幕。数えると今、2020年の東京夏季五輪までも、およそ6年半だ



その年、109歳となる医師の日野原重明氏は、“十分な気力と体力をもってオリンピックを迎える”と目標を立て、愛用する十年日記の2020年の欄に予定を書き込んだという。いくつになっても、「人間としての成長」を刻もうと、自身を鍛える人は若々しい



岩手県の、ある多宝会の婦人は90歳。被災を免れた自宅を広布の会場に提供し、同志と復興の日々をかくしゃくと歩む。ある時、友に言われた。「信心を貫けば、こんな境涯になれると、姿で示していく大きな使命がありますね」。その言葉に奮起した。「100歳まで広布に生きます!」



「人生のオリンピックに敗者はいない。いるとすれば、それは『挑戦しなかった』人だけである」と池田名誉会長。人を元気にするのは、体力以上に「気迫」であろう。人生に勝つ力は、偉大な目的のために挑戦の日々を生きる「情熱」である。(白)


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正義29/新・人間革命

2014年02月05日 10時57分39秒 | 今日の俳句
     
      小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2014年(平成26年)2月5日(水)より転載】


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 正義29(2/5)


 一九七六年(昭和五十一年)の半ばごろから、山脇友政は、法主につながる人脈をもつ若手の僧らに、デマを流していった。

 「学会は、いよいよ宗門と対決する」「宗門を乗っ取って、支配する計画だ」――いずれも嘘で塗り固めた荒唐無稽な情報であった。

 若手の僧には、住職になれる教師資格をもちながら、赴任する寺のない無任所教師もいた。彼らにとって、その情報は、将来への不安と、学会への不信と憎悪を煽り立てる話であったにちがいない。山脇が、学会の幹部で弁護士であっただけに、その言葉を真に受けたのだ。

 これも後年になって明らかになるが、週刊誌などに、学会を中傷するための情報を流し続けていたのも、山脇であったのだ。

 僧たちの理不尽極まりない学会攻撃に対して、学会の首脳幹部は、宗務院の役僧に抗議もした。山本伸一も、事態の収拾を願い、学会の青年たちが考えた僧俗和合の原則を役僧に渡し、検討を求めたりもした。しかし、学会を敵対視する僧らは、宗務院の指導には、既に耳を傾けなかった。むしろ、役僧たちにも、攻撃の矛先を向ける始末であった。

 彼らの学会員への不当な仕打ちは、各地でますます激しくなっていった。

 宮崎県の二十一歳の男子部員は、最愛の母を亡くし、自宅での葬儀に宗門の僧を呼んだ。母は、女手一つで彼と二人の姉を育てた。その母が大好きだった学会歌を、葬儀で流した。僧は、吐き捨てるように言った。

 「学会歌なんか流すな! 不謹慎だ!」

 愕然とした。悔しさに震えが走った。涙声で「母が、母が、大好きだったんです」と言って、テープをかけ続けた。すると僧は、告別式が終わると、「火葬場には行かん」と言いだして、さっさと帰ってしまった。

 「坊さんは、なぜ、来ないのだ!」

 地域の人びとの声に身の細る思いがした。

 肉親の死に乗じて学会員を虐げる。この宗門事件は、露になった悪侶らの、卑劣な人間性との戦いでもあった。


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早春/今日の俳句 ≪No. 1491≫

2014年02月05日 08時35分21秒 | 今日の俳句
     ☆早春/今日の俳句☆


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2014年(平成26年)2月5日(水)

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   ■2月5日(水)■

○ 長崎二十六聖人殉教の日
 1596(慶長元)年のこの日、豊臣秀吉のキリスト教弾圧により、長崎西坂で26人のキリスト教徒が処刑された。
 殉教したのはペトロ・バプチスタ神父ら外国人6人と三木パウロ、茨木ルドビコ神父ら日本人20人で、この26人は1862年にローマ教皇ピウス9世によって聖人に列せられた。

○ プロ野球の日
 1936年のこの日、全日本職業野球連盟が結成された。
 当時は東京巨人軍(現 読売ジャイアンツ)・大阪タイガース(現 阪神タイガース)・大東京軍・名古屋軍(現 中日ドラゴンズ)・阪急(現 オリックスバファローズ)・東京セネタース・名古屋金鯱軍の7チームだった。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】


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  ■※今日の俳句※■


  
  早春や波引くあとを砂が追ふ
         太田佳代子


  早春の樹頭波打つ無何の郷
         金子兜太


  早春の触れて銀杏の木肌なる
         ふけとしこ

※ 早春→初春・張るの初め。
 立春後、二月いっぱいくらいをいう。暦の上では春であるが、まだ寒い。とはいえ春の足音はどこからか聞こえてきて、樹木の膚を見てもかすかに春の息吹が感じられる。
 季感は「春浅し」と大体同じであるが、それよりもやや期間が短く、寒さも強く、春早々といった感じ。

【「合本・俳句歳時記/第三版」(角川書店)より転載】


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※わが友に贈る/名字の言※


【「聖教新聞」2014年(平成26年)2月5日(水)より転載】


  ■※わが友に贈る※■


 「成仏は持つにあり」
 幸福境涯を築く力は
 持続を貫く信心に。
 一喜一憂せず
 悠然と進みゆけ!

        2月5日


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  ■※名字の言※■

√北海凍る厚田村吹雪果てなく……。戸田第2代会長のふるさと・北海道石狩市の厚田は、今、「厚田村」にうたわれる通り、厳冬のただ中にある



池田名誉会長がこの詩を着想したのは、恩師と同地を初めて訪れた時のこと。今から60年前、1954年の夏になる。2人で日本海を見つめつつ、「君は世界へ征くんだ」と広布を託した師。固く後継を誓った弟子。師弟の名場面である



修学旅行で、この厚田を訪れた高等部員がいる。難関の医学部を目指していたが、成績はクラスで最下位を争うほどで、人に公言するなど思いもよらなかった。だが、師匠の世界平和への道に続きたいという夢は、胸の中で生き続けていた



彼は厚田の海に向かって叫んだ。「世界を駆け巡る医師になります!」。それから猛然と努力を始める。受験は不合格。それでも、“厚田の誓い”を励みに自らを鼓舞し、浪人の末、ついに合格を果たす。今、彼は小児科医として子どもたちの健康を守る



“わが人生の主人公たれ”“人生の名優たれ”と、名誉会長は常に、青年世代に呼び掛けてきた。悩みにとらわれ、自分を小さく考えないで、志を立て、志を磨き、強く明るく生き抜いていく。これが、創価の人間革命の生き方である。(将)


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2月4日(火)のつぶやき

2014年02月05日 02時25分42秒 | 今日の俳句