和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

正義35/新・人間革命

2014年02月12日 04時35分03秒 | 新・人間革命
      
      小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2014年(平成26年)2月12日(水)より転載】


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 正義35(2/12)

 西欧の文化・芸術は、キリスト教という精神の水脈から創造の活力を得てきた。また、日本にあっても、仏教のもと、絢爛たる白鳳文化が花開いたことは、よく知られている。

 では、なぜ、宗教の土壌の上に、絵画や彫刻、音楽等々、文化・芸術が開花するのか。

 アメリカ・ルネサンスの思想家エマソンは、「最も美しい音楽は、生命からほとばしる慈愛と真実と勇気に満ちた人間の声の中にある」(注)と述べている。

 文化・芸術は人間の生命の発露である。その生命を磨き、潤し、希望と歓喜の泉にしていく力こそ、宗教であるからだ。

 日蓮大聖人は仰せである。

 「迦葉尊者にあらずとも・ま(舞)いをも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立ってをど(踊)りぬべし、上行菩薩の大地よりいで給いしには・をど(踊)りてこそい(出)で給いしか」(御書一三〇〇頁)

 釈尊の弟子である迦葉、舎利弗は、法華経で成仏の法を領解し、喜びに舞い踊る。また、地涌の菩薩は、末法の妙法流布の使命を担おうと、喜び勇んで、踊りながら出現しているのである。生命からほとばしる、その大歓喜の表出、表現こそが、文化・芸術の源泉にほかならない。

 また、大聖人は「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(同七八八頁)と言われている。自行化他にわたる南無妙法蓮華経の実践は、慈悲の生命を、勇気を、大歓喜を、わが胸中に涌現させる。創価の同志は、日々の学会活動を通して、それを実感してきた。

 その生命の発露として、新しき人間文化を建設し、広く社会に寄与することは、仏法者の社会的使命といってよい。優れた文化・芸術を生み出すことは、仏法の偉大さの証明となる。また、その文化・芸術への共感と賛同は、大きく仏縁を広げていくことになろう。

 ゆえに山本伸一は、「広宣流布とは“妙法の大地に展開する大文化運動”である」と定義してきたのだ。学会の合唱祭や文化祭、芸術祭も、その一環にほかならない。


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風光る/今日の俳句≪No.1498≫

2014年02月12日 04時29分34秒 | 今日の俳句
     ☆風光る/今日の俳句☆


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2014年(平成26年)2月12日(水)

○ ダーウィンの日(Darwin Day)
 『種の起源』を著したチャールズ・ダーウィンの1809年の誕生日。

○ ブラジャーの日
 ワコールが制定し、現在は日本ボディファッション協会が実施。
 1913年のこの日、アメリカ人女性マリー・フェルブ・ジャコブが、ブラジャーの原型となるものの特許を取得した。
 ハンカチをリボンで結んだだけという単純なものだった。ブラジャーが発明されるまでは、胸から腰にかけての体型を整える為コルセットで体を締め附けていた。

○ ペニシリンの日
 1941(昭和16)年のこの日、イギリスのオックスフォード大学附属病院が、世界で初めてペニシリンの臨床実験に成功した。

○ 黄ニラ記念日
 JA全農おかやまが岡山県の特産の黄ニラのPRのために制定。「に(2)っこりいい(1)ニ(2)ラ」の語呂合せと、この時期が鍋物などへの需要期であることから。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】


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  ■※今日の俳句※■


  風光る白一丈の岩田帯
         福田甲子雄


  新調のこころ一枚風光る
         櫂未知子


  風光り泥のひかりの大きな手
         成田千空


※<風光る白一丈の岩田帯 福田甲子雄>
 季語は「風光る」で春。「岩田帯」は、妊娠した女性が胎児の保護のために腹に巻く白い布のこと。一般に、五ヶ月目の戌の日(犬の安産にあやかるため)に着ける。
 命名の由来は「斎肌帯」からとか、現在の京都府八幡市岩田に残る伝説からとか、諸説がある。心地よい春風のなかを、お祝いの真っ白な岩田帯が届けられたのだろう。
 新しい生命の誕生を待ちわびる作者の喜びが、真っすぐに伝わってくる。「白一丈(正確には七尺五寸三分)」とすっぱりと言い切って、喜びの気持ちのなかに厳粛さがあることを示している。
 純白の帯が、目に見えるようだ。ところで掲句の解釈とは無関係だが、だいぶ以前の余白句会で「風光る」が兼題に出たことがある。句歴僅少の谷川俊太郎さんが開口一番、「なんだか恥ずかしくなっちゃうような季語だねえ」と言った。
 一瞬、私は何のことかわからなかったが、考えてみればそうなのである。たとえば「風光る」と詩に書くとすると、かなり恥ずかしい。散文でも、同様だ。きざっぽくて、鼻持ちならない。逆に、ひどく幼稚な表現になってしまう場合もあるだろう。となると、俳句を詠まない人が、たまたま「風光る」の句を読んだとすれば、相当な違和感を覚えるはずである。
 俳人なら別になんとも思わないことが、そうでない人には奇異に写る……。こういう目で見ていくと、恥ずかしくなるような季語は他にもありそうだ。俳句が本当の意味での大衆性を獲得できない原因の一つは、ここらへんにもあるのだろう。『白根山麓』(1982)所収。
(清水哲男)

【「『増殖する俳句歳時記』(検索エンジン」より転載】



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※わが友に贈る/名字の言※
【「聖教新聞」2014年(平成26年)2月12日(水)より転載】


 ■※わが友に贈る※■


 創価班・牙城会の
 大学校生が弘教に先駆!
 深き使命の君たちよ
 苦闘の中で自身を磨け!
 不滅の原点を築け!


       2月12日


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   ■※名字の言※■


(2/12)
新しい図書が増えたことを心から喜び、われ先にと“競って”読む子どもたち――その姿に、本のある環境がいつしか当たり前となり、本のありがたさが分からなくなっていた自分を猛省した



今月4日に行われた、沖縄・伊良部島の小学校に対する300冊の図書贈呈式。読書量の多い学校だが、島には書店も公立図書館もない。だからだろうか。休み時間になると、児童が学校の図書館に駆け込む光景が日常茶飯事という



贈呈式で児童は言った。「池田会長さんが約束を守り、私たちの小学校へ何度も図書贈呈を行ってくれていることに大変感動しました」。子どもたちは、池田名誉会長が出席した40年前の図書贈呈式について調べていた



この時、名誉会長は1006冊を贈り、戦争によって本を買えず、読みたくても読めなかった青春時代の体験を振り返り、「どんなことがあっても、少年少女期には本を与えていかなければならない」「これからも2回、3回と本を贈っていきたい」と。今回の贈呈が、1974年、2004年に次ぐ3回目だった



「約束を守る」ことから信用が生まれる。本は、島の子どもたちの成長を願い、40年間、忘れなかった心の結晶。本とともに、人間としての生き方を贈り届けた。(川)


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