和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

正義29/新・人間革命

2014年02月05日 10時57分39秒 | 今日の俳句
     
      小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2014年(平成26年)2月5日(水)より転載】


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 正義29(2/5)


 一九七六年(昭和五十一年)の半ばごろから、山脇友政は、法主につながる人脈をもつ若手の僧らに、デマを流していった。

 「学会は、いよいよ宗門と対決する」「宗門を乗っ取って、支配する計画だ」――いずれも嘘で塗り固めた荒唐無稽な情報であった。

 若手の僧には、住職になれる教師資格をもちながら、赴任する寺のない無任所教師もいた。彼らにとって、その情報は、将来への不安と、学会への不信と憎悪を煽り立てる話であったにちがいない。山脇が、学会の幹部で弁護士であっただけに、その言葉を真に受けたのだ。

 これも後年になって明らかになるが、週刊誌などに、学会を中傷するための情報を流し続けていたのも、山脇であったのだ。

 僧たちの理不尽極まりない学会攻撃に対して、学会の首脳幹部は、宗務院の役僧に抗議もした。山本伸一も、事態の収拾を願い、学会の青年たちが考えた僧俗和合の原則を役僧に渡し、検討を求めたりもした。しかし、学会を敵対視する僧らは、宗務院の指導には、既に耳を傾けなかった。むしろ、役僧たちにも、攻撃の矛先を向ける始末であった。

 彼らの学会員への不当な仕打ちは、各地でますます激しくなっていった。

 宮崎県の二十一歳の男子部員は、最愛の母を亡くし、自宅での葬儀に宗門の僧を呼んだ。母は、女手一つで彼と二人の姉を育てた。その母が大好きだった学会歌を、葬儀で流した。僧は、吐き捨てるように言った。

 「学会歌なんか流すな! 不謹慎だ!」

 愕然とした。悔しさに震えが走った。涙声で「母が、母が、大好きだったんです」と言って、テープをかけ続けた。すると僧は、告別式が終わると、「火葬場には行かん」と言いだして、さっさと帰ってしまった。

 「坊さんは、なぜ、来ないのだ!」

 地域の人びとの声に身の細る思いがした。

 肉親の死に乗じて学会員を虐げる。この宗門事件は、露になった悪侶らの、卑劣な人間性との戦いでもあった。


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早春/今日の俳句 ≪No. 1491≫

2014年02月05日 08時35分21秒 | 今日の俳句
     ☆早春/今日の俳句☆


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2014年(平成26年)2月5日(水)

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   ■2月5日(水)■

○ 長崎二十六聖人殉教の日
 1596(慶長元)年のこの日、豊臣秀吉のキリスト教弾圧により、長崎西坂で26人のキリスト教徒が処刑された。
 殉教したのはペトロ・バプチスタ神父ら外国人6人と三木パウロ、茨木ルドビコ神父ら日本人20人で、この26人は1862年にローマ教皇ピウス9世によって聖人に列せられた。

○ プロ野球の日
 1936年のこの日、全日本職業野球連盟が結成された。
 当時は東京巨人軍(現 読売ジャイアンツ)・大阪タイガース(現 阪神タイガース)・大東京軍・名古屋軍(現 中日ドラゴンズ)・阪急(現 オリックスバファローズ)・東京セネタース・名古屋金鯱軍の7チームだった。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】


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  ■※今日の俳句※■


  
  早春や波引くあとを砂が追ふ
         太田佳代子


  早春の樹頭波打つ無何の郷
         金子兜太


  早春の触れて銀杏の木肌なる
         ふけとしこ

※ 早春→初春・張るの初め。
 立春後、二月いっぱいくらいをいう。暦の上では春であるが、まだ寒い。とはいえ春の足音はどこからか聞こえてきて、樹木の膚を見てもかすかに春の息吹が感じられる。
 季感は「春浅し」と大体同じであるが、それよりもやや期間が短く、寒さも強く、春早々といった感じ。

【「合本・俳句歳時記/第三版」(角川書店)より転載】


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※わが友に贈る/名字の言※


【「聖教新聞」2014年(平成26年)2月5日(水)より転載】


  ■※わが友に贈る※■


 「成仏は持つにあり」
 幸福境涯を築く力は
 持続を貫く信心に。
 一喜一憂せず
 悠然と進みゆけ!

        2月5日


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  ■※名字の言※■

√北海凍る厚田村吹雪果てなく……。戸田第2代会長のふるさと・北海道石狩市の厚田は、今、「厚田村」にうたわれる通り、厳冬のただ中にある



池田名誉会長がこの詩を着想したのは、恩師と同地を初めて訪れた時のこと。今から60年前、1954年の夏になる。2人で日本海を見つめつつ、「君は世界へ征くんだ」と広布を託した師。固く後継を誓った弟子。師弟の名場面である



修学旅行で、この厚田を訪れた高等部員がいる。難関の医学部を目指していたが、成績はクラスで最下位を争うほどで、人に公言するなど思いもよらなかった。だが、師匠の世界平和への道に続きたいという夢は、胸の中で生き続けていた



彼は厚田の海に向かって叫んだ。「世界を駆け巡る医師になります!」。それから猛然と努力を始める。受験は不合格。それでも、“厚田の誓い”を励みに自らを鼓舞し、浪人の末、ついに合格を果たす。今、彼は小児科医として子どもたちの健康を守る



“わが人生の主人公たれ”“人生の名優たれ”と、名誉会長は常に、青年世代に呼び掛けてきた。悩みにとらわれ、自分を小さく考えないで、志を立て、志を磨き、強く明るく生き抜いていく。これが、創価の人間革命の生き方である。(将)


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2月4日(火)のつぶやき

2014年02月05日 02時25分42秒 | 今日の俳句