和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

正義32/新・人間革命

2014年02月08日 16時45分51秒 | 新・人間革命
    
      小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2014年(平成26年)2月8日(土)より転載】


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正義32(2/8)

 静寂な夜であった。

 山本伸一は、一九八一年(昭和五十六年)に執り行われる、日蓮大聖人の第七百遠忌法要を思った。彼は、その慶讃委員長であり、この式典を、僧俗一丸となって荘厳し、広宣流布への大前進を期す佳節にしようと、固く決意していた。それだけに、悪侶による僧俗和合の攪乱と広宣流布の破壊が、残念で残念でならなかった。魔軍を喜ばせるだけだからだ。

 彼は、ホテルの机に向かった。

 後世のために、この出来事の真実とわが思いを、書きとどめておきたかった。

 ペンを手にすると、苦しみ抜いてきた同志の顔が浮かんでは消えた。

 「宗門問題起こる。心針に刺されたる如く辛く痛し」――こう書くと、熱湯のごとき憤怒と激情が、彼の胸にほとばしった。

 「広宣流布のために、僧俗一致して前進せむとする私達の訴えを、何故、踏みにじり、理不盡の攻撃をなすのか」

 そして、「大折伏に血みどろになりて、三類の強敵と戦い、疲れたる佛子」に、なぜ、このような迫害が繰り返されるのか、到底、理解しがたいとの真情を綴った。

 「尊くして 愛する 佛子の悲しみと怒りと、侘しさと辛き思いを知り、断腸の日々なりき。此の火蓋、大分より起れり」

 彼は、さらに、福井、兵庫、千葉などで、健気なる同志を迫害する悪侶が現れた無念を書き記し、第七百遠忌法要の成功を、「血涙をもって祈り奉りしもの也」と認めた。

 ホテルの窓から外を見た。漆黒の空に、星々が美しく瞬いていた。

 “これで、ひとたびは、事態は沈静化へ向かうであろう。しかし、広宣流布の道は、魔との永遠の闘争である。

 ゆえに魔は、これからも、さまざまな姿を現じて、大法弘通に生きるわれらに襲いかかるであろう……”

 彼は、安堵の情に酔うわけにはいかなかった。事実、既に、この時、学会と宗門を分断する謀略の次の矢が放たれていたのである。


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余寒/今日の俳句 ≪No. 1494≫

2014年02月08日 05時43分40秒 | 今日の俳句
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     ☆余寒/今日の俳句☆


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2014年(平成26年)2月8日(土)


   ■2月8日(土)■

○ 〒マークの日
 1887(明治20)年のこの日、逓信省(後の郵政省、現在の日本郵政グループ)のマークが逓信の「テイ」に合わせて甲乙丙丁の「丁」に決定した。
 しかし、万国共通の郵便料金不足の記号「T」と紛らわしいことがわかり、6日後の14日に、「テイシンショウ」の「テ」を図案化した「〒」の誤字だったことにして変更した。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】


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  ■※今日の俳句※■


  
  鎌倉を驚かしたる余寒あり
         高浜虚子


  うつくしき余寒の頬や稽古海女
         鳥羽とほる


  遠きほど家寄り合へる余寒かな
         広瀬直人


※ 余寒→残る寒さ。
 寒が明けてからの寒さ。春寒ということばにははるでありながらまだ寒いという語感があるのに対し、余寒は寒が明けてもまだ寒さが残っているという感じである。
→春寒・冴返る。

【「合本・俳句歳時記/第三版」(角川書店)より転載】


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※わが友に贈る/名字の言※
【「聖教新聞」2014年(平成26年)2月8日(土)より転載】


  ■※わが友に贈る※■


 大雪や暴風に警戒!
 凍結路や交通障害等に
 十分な注意が必要だ。
 配達員はじめ全同志の
 絶対無事故を祈る!

        2月8日



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  ■※名字の言※■


暦の上では立春を過ぎたが、寒気が居座る日本列島。寒風の中、全国の同志が勇んで仏法対話に挑んでいる。「祈り続けた」思いが形となり、弘教が実った体験を聞いた



ある青年が高校時代、家庭内の問題で深く悩んでいた。そのころ、親族の叔母さんが、陰に陽に彼を励まし、支えてくれた。その優しさに感激した彼は、“いつかこの恩を返したい”と願い、以来、15年以上、叔母さん一家の幸福を祈り続けてきた



昨秋、叔母さんの息子であるいとこから、「相談したいことがある」と連絡があった。悩みを聞き、仏法対話を重ねた結果、いとこは母の承諾を得て入会。今、自身の成長を期し、勤行・唱題を実践している。「最高の恩返しができました」と語る青年の表情は、実に晴れやかだった



「報恩の人こそ、人生の勝利者である」と池田名誉会長は語る。恩を返そうという心は成長へのエンジンとなり、恩を返された人にも、結果として喜びを贈ることになる。かつて励ました人が立派に成長した姿ほど、うれしいものはない



報恩の心は、目には見えないが、見えないものが生の充実を決める。報恩を心に置く青年の存在は、人間関係が希薄になったといわれる社会にあって、確かな希望の光である。(億)


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2月7日(金)のつぶやき

2014年02月08日 02時27分18秒 | 今日の俳句