和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

正義27/新・人間革命

2014年02月03日 20時39分12秒 | 新・人間革命
      
      小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2014年(平成26年)2月3日(月)より転載】


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 正義27(2/3)

 創価学会は、荒れ狂う社会にあって、現実の大地にしっかりと足をつけ、人びとと同苦し、仏法を生活に即して語りながら、広宣流布の新しき地平を開いてきた。しかし、広布への責任と使命を自覚できない僧には、社会、民衆に仏法を開いていくことの大切さが、わからなかったにちがいない。

 彼らは、広宣流布の誓願に燃えて、自在に活動を推進する学会に対して、幹部らの言葉尻をとらえては批判してきたのだ。

 また、激しさを増す僧たちの学会誹謗と相呼応するかのように、一九七七年(昭和五十二年)の七月下旬から、一部の週刊誌が学会への中傷記事を掲載し始めた。学会が大石寺を“兵糧攻め”にしているとか、大石寺が乗っ取られるなどといった喧伝が繰り返されたのだ。学会を敵対視する住職のなかには、御講の席で御書講義もそっちのけで、そうした週刊誌を手にして学会を誹謗する者もいた。

 「ここに出ていることは本当なんです! 学会に騙されている。学会は謗法です」

 学会を攻撃する寺は、次第に増えていった。

 多くの学会員にとっては、青天の霹靂であった。会員は皆、寺に対して、純真に尽くし抜いてきた。だが、御講に行くたびに、“謗法”呼ばわりされるのである。

 皆、訳がわからなかった。?然とした顔の壮年もいた。悔し涙をこらえる婦人もいた。抗議の声をあげる青年もいた。

 “こんなことを言われるくらいなら、もう寺には来たくない”と、肩を落とし、悔しさと怒りに震えながら家路をたどるのである。

 悪侶による学会への誹謗は、葬儀の場にも及んだ。学会員ではない親戚や縁者が多数集った通夜の席で、「創価学会の信心では成仏できない」と、僧が言うのである。

 最愛の肉親を亡くした悲しみの傷口に、塩を塗るような非道な仕打ちであった。「哀悼の涙」は、「憤怒の涙」に変わった。

 懸命に広宣流布を進める創価学会を、僧侶が攻撃する。誰もが耳を疑うような、予期せぬかたちで競い起こるのが魔なのである。


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枯野/今日の俳句 ≪No. 1489≫

2014年02月03日 06時41分29秒 | 今日の俳句
     ☆枯野/今日の俳句☆


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2014年(平成26年)2月3日(月)


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   ■2月3日(月)■

○ 大豆の日
 大豆製品を取扱うニチモウ(現 ニチモウバイオティックス)が制定。この日が、豆撒きをする節分になることが多いことから。

○ 大岡越前の日
 1717(享保2)年のこの日、大岡越前守忠相が南町奉行に就任した。
 「大岡裁き」と呼ばれる名裁判で有名であるが、19年間の在任中の裁判は3回だけで、そのうち忠相が執り行ったのは1回だけだった。8代将軍吉宗の信頼が厚く、享保の改革に協力した。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】


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  ■※今日の俳句※■


  火遊びの我れ一人ゐしは枯野かな
         大須賀乙字


  枯野にて子守自分に唄ひだす
         平畑静塔


  馬のゐる枯野を好きになりにけり
         今井杏太郎


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※わが友に贈る/名字の言※


【「聖教新聞」2014年(平成26年)2月3日(月)より転載】


  ■※わが友に贈る※■


 わが勝利の姿は
 同じ悩みと闘う
 全ての人の希望となる!
 宿命を偉大な使命に
 変えて立ち上がれ!

        2月3日(月)


  ■※今週のことば※■

 人と会い
 人と語り励ます。
 これが地涌の実践だ。
 自他共の境涯革命へ
 大胆に動こう!

        2月3日(月)


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  ■※名字の言※■

東日本大震災の被災地を取材していて、小さな単位で地域を知り、語ることの大切さを何度も実感した



「(岩手県・大槌町の)安渡の小学校の校庭の仮設住宅ですね」「(仙台市宮城野区蒲生の)上屋倉を海側にいったところですね」。取材のやり取りのなかで、ふとそう口にしたとき、先方が一気に親しく語り掛けてきた経験は2度、3度ではなかった。他地域から話を聞きに通っている記者が、「大字」「字」のような、市町村より小さな地名を語るようになれたとき、地域の「仲間」の末席に加われたのかも、と思うことがある



気鋭の社会学者で、被災各地の支援も行っている新雅史さんは「被災地だけでなく、これからの日本を考えるとき、『公民館』を中心としたぐらいの、顔の見える小さな単位のコミュニティーづくりが必須になってくる」と語っていた



避難所、仮設住宅を転々としながらも、さまざまな工夫で「町内会」の団結を維持してきたある自治会長は言っていた。「私たちのような小さな工夫と団結が、あちこちで生まれて、日本は変わるかもしれない」



創価学会の「地区」「ブロック」――顔の見える集いが、和気あいあいと団結し、切磋琢磨していく。社会の変革の基盤はそこにある。(哉)


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2月2日(日)のつぶやき

2014年02月03日 02時09分34秒 | 今日の俳句

節分/今日の俳句 ≪No. 1488≫

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