和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

正義26/新・人間革命

2014年02月01日 03時47分28秒 | 新・人間革命
      
      小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2014年(平成26年)2月1日(土)より転載】


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 正義26(2/1)

 一九七七年(昭和五十二年)の三月、学会は、これまでの御観念文に、創価学会の興隆祈念、初代会長・牧口常三郎と二代会長・戸田城聖への報恩祈念の記載を加える発表をした。

 かねてから学会本部には、「勤行の際に、学会の興隆祈念、牧口・戸田会長の報恩祈念を、どこで行えばよいか」との質問が、多数寄せられていた。それに答える意味から、宗門と相談して決定したのであった。

 また、三月十九日には、第一回となる学会の「春季彼岸法要勤行会」が、学会本部をはじめ、全国の主要会館で開催された。これも全国の会員からの強い要請に基づいていた。

 「故人は、学会員として広宣流布のために戦い抜いて、霊山に帰っていった。ぜひ、学会の会館で、追善の回向をしてほしい」との声が、各地に起こっていたのだ。

 さらに、学会は独立した宗教法人であり、宗門とは別に、そうした宗教行事を執り行う必要もあった。そこで、会員、同志による会館での彼岸の追善法要が行われたのだ。

 すると、僧たちは、初代会長等への報恩祈念の御観念文や、会館での彼岸法要、教学部大会での“学会の会館等は、現代における寺院である”との山本伸一の言葉をもって、学会は宗門からの独立を企てているなどと言いだしたのである。

 彼らの攻撃は、「聖教新聞」に四月から六回にわたって連載された、山本伸一の「生死一大事血脈抄」講義にも向けられた。伸一は、そのなかで、「信心の血脈」の大切さを強調し、「御本尊」と「御書」を根本に進むことを訴えていた。それに対しても、歴代法主を否定するものだというのである。

 伸一は、法主の存在も、役割も、否定したことなどなかった。ここでは、信仰実践の立場から見て、血脈相承が、信心のなかに受け継がれることを述べたのである。

 また、御本尊と御書を根本とし、大聖人に直結せずして、正法正義などあろうはずがないではないか。“日蓮と同意”となることこそが、日蓮門下の生き方ではないか。



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冬草/今日の俳句 ≪No. 1487≫

2014年02月01日 03時28分33秒 | 今日の俳句
     ☆冬草/今日の俳句☆


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2014年(平成26年)2月1日(土)


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   ■2月1日(土)■

○ テレビ放送記念日
 1953(昭和28)年のこの日、NHK東京放送局が日本初のテレビの本放送を開始した。
 1953(昭和28)年2月1日午後2時、東京・内幸町の東京放送会館から「JOAK-TV、こちらはNHK東京テレビジョンであります」の第一声が放送された。当時の受信契約数は866台、受信料は月200円だった。
 その年の8月には日本テレビ、翌1954(昭和29)年3月にNHK大阪と名古屋、1960(昭和30)年4月にラジオ東京(現在の東京放送(TBS))でもテレビ放送が開始された。

○ 京都市電開業記念日
 1895(明治28)年のこの日、京都で日本初の路面電車が塩小路東洞院通~伏見町下油掛間6.4kmで営業を始めた。
 初期の市電は運転手の側に「電車の先走り」という少年を配置し、停車の度に前後の安全を確認していた。
 東京の市電は1903(明治36)年に営業開始された。

○ 琉球王国建国記念の日
 沖縄県観光事業協同組合が制定。
 1425年2月1日の琉球の交易記録に明の宣徳帝が琉球の尚巴志を王と記載したものがあり、これが琉球王国が対外的に認められたことがわかる最古の文書であることから。

○ プロ野球キャンプイン
 日本のプロ野球では、ペナントレース開始前の全球団が一斉に2月1日からの1か月間、選手・監督・コーチが合宿して全体練習などを行う「春季キャンプ」を行う。

※ 俳人・河東碧梧桐の忌日。
 < かわひがし-へきごとう > 1873年(明治6年)-1937年(昭和12年) 明治-昭和時代前期の俳人。
 明治6年2月26日生まれ。高浜虚子とともに正岡子規にまなび,新聞「日本」の俳句欄の選者をひきつぐ。のち新傾向俳句運動をおこし,中塚一碧楼(いっぺきろう)らと「海紅」を創刊,季題と定型にとらわれない自由律俳句にすすむ。大正12年「碧(へき)」,14年「三昧(さんまい)」を創刊。昭和12年2月1日死去。65歳。愛媛県出身。本名は秉五郎(へいごろう)。作品に「碧梧桐句集」,紀行文に「三千里」など。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】


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  ■※今日の俳句※■


  冬草や少年はすぐしゃがみこみ
         津田このみ


  石囲む冬草ひしと蘆花の庭
         荘司正代


  冬草にふかくも入るる腕かな
         きちせあや


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※わが友に贈る/名字の言※


【「聖教新聞」2014年(平成26年)2月1日(土)より転載】


  ■※わが友に贈る※■

 広布の伸展は
 リーダーの
 気迫と勢いで決まる。
 真剣な祈りと行動で
 友に勇気と自信を送れ!

        2月1日


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  ■※名字の言※■


 雪原に寒立馬が立っている。がっしりとした太い脚で大地を捉え、寒風に耐えている。時折、ひづめで雪を掘り起こしては、埋もれた草を食んでいる



青森県下北半島の北東端にある尻屋崎の放牧地。ここで寒立馬は冬を越し、春に出産シーズンを迎え、新たな命を誕生させる。厳しい風雪に身じろぎもしない圧倒的な存在感。春の到来を、じっと信じている姿のように思え、人生の冬を勝ち越える力を与えてくれる



創価大学を卒業後、郷里の青森県で臨時教員を務めてきた壮年部員。2年前、採用任期が切れ、失職した。家族を養うための職探しは難航するが、地元を離れる気はなかった。この地で勝利することが、わが人生を鍛え、育んでくれた故郷と同志への恩返しと決め、学会活動にも全力を注いだ



その後、求人広告で見つけた地元企業の面接を受けた。担当した会社幹部らは彼の近所に住み、日頃、地域のために奮闘する姿を見てきた。地域の発展に尽くす当社に必要な人材、と採用された



2月は「如月」。あたたかな陽気になる「気更来」、草木が芽吹く「生更木」からきたとの説も。少しずつ、季節は春へと動き始める。「伝統の2月」の勝利へ、輝きの季節へ、今、ここから立ち上がろう。(城)


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1月31日(金)のつぶやき

2014年02月01日 02時12分26秒 | 今日の俳句