和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

勿忘草(わすれなぐさ)/今日の俳句 ≪第2121号≫

2016年04月29日 05時54分28秒 | 今日の俳句
≪2016年(平成28年)4月29日(金)≫(旧暦3/23)
※昭和の日
国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)の一部改正によって2007年(平成19年)に制定された祝日で、日付は昭和天皇の誕生日である4月29日があてられている。同法ではその趣旨を、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」としている。「ゴールデンウィーク」を構成する祝日のひとつでもある。





 小さう咲いて勿忘草や妹が許
         村上鬼城

 まさに瑠璃富士を前なる勿忘草
        中村草田男

 この花に勿忘草といふ名あり
         清崎敏郎

 花よりも勿忘草といふ名摘む
        粟津松彩子

 シャンソンを聴く薄明の勿忘草
       きくちつねこ

 


※ 勿忘草・忘るな草・ミヨソティス。
 欧州およびアジア原産のムラサキ科の多年草。鉢植えや花壇に栽培される。高さ三〇センチぐらい。春から初夏にかけて、先端がサソリの尾のように巻いた総状花序を出し、瑠璃色で中心が黄色の可憐な小花をつける。伝説とロマンスに富む草花。日本には野生種はない。正しくは「忘るな草」。

【新訂「現代俳句歳時記/石田波郷・志摩芳次郎編」主婦と生活社より抜粋】



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       ※☆*わが友に贈る*☆※


  さあ飛び出そう!

  人と会った分だけ

  友と語った分だけ

  広布の裾野は広がる。

  まず祈りから出発!



       2016年4月29日



       ※☆*寸 鉄*☆※


 学会は人々の内発の力を育み、自立の心を磨く―博士。一人が輝く社会へ

      ◇

 黄金週間が開始!旧友を大切に、新しい友つくれ。無事故最優先で有意義に

      ◇

 東京「大田の日」。源流のりは同志の胸に脈々!鉄壁の団結で勝利を必ず

      ◇

 愚痴は何の足しにもならない。行動するのだ!―闘士。わが誓願へ決然と

      ◇

 熊本の指定避難所、32カ所が損壊などで閉鎖に。全国各地でも総点検急げ


【聖教新聞:2016年(平成28年)4月29日(金)付】



      ※☆*名字の言*※



1人暮らしの高齢者や、災害時の避難に際して支援を必要とする高齢者の訪問を、14年にわたって続ける大阪の壮年に会った。活動に携わった実感として、地域のネットワークを強固にするためには、「アウトリーチ」が大切です――壮年はそう繰り返した



アウトリーチとは、福祉分野の用語で、英語で「手を差し伸べる」の意味。従来の福祉は、援助を求めてきた人に対応する「申請主義」が中心だった。それに対しアウトリーチは、自分が支援の必要な状態だと自覚していない人、支援を受ける方法が分からない人の所へ、援助者のほうが直接出向いて、手を差し伸べる在り方を指す



災害時においても、こうした姿勢が何より必要だろう。ただし、押し付けと受け取られないよう、「被災者の視点」を見失ってはなるまい。時には、じっと見守ることが、被災者の安心になる場合もある。先の壮年も、常に心掛けたのは「相手の側に立つ」ことだという



熊本で最初の地震が起きてから、半月が過ぎた。生活再建への戦いは、これから本格化する。「被災者」といっても、一人一人に生きてきた人生があり、思いがある。「誰も置き去りにしない」との誓いに立って、励ましのネットワークを強く、しなやかに広げていきたい。(芯)

【聖教新聞:2016年(平成28年)4月29日(金)付】


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【コラム「北斗七星」】

公明新聞:2016年4月28日(木)付

「災害などでエレベーターが動かなくなったら」。2013年1月、名古屋市営住宅の8階に住む女性は公明党市議に不安を訴えた。夫は車いす利用者。エレベーターが使えなければ緊急避難ができないと

同市議は手立てを思案する中、ある医療用搬送具に着目した。それは巻かれたマットのバルブを開けると自動的に空気が吸入され、担架に早変わりするもの。車輪はないものの備え付けのベルトを引っ張れば、患者を乗せ廊下や階段を移動できる。同市議はこの搬送具を相談者の女性が住む住宅に配備するよう推進し、先月、1台が導入された

感心したのは同市議の粘り強い取り組み。党市議団のメンバーと同搬送具について講習を受けた上で住宅の自治会長らに紹介し、防災訓練を通じ住民への周知にも努めた。購入費の助成も市側に要請するなど課題を克服し、3年以上かけて市営住宅初の配備にこぎつけた

仙台市の高層マンションに住んでいた女性は、東日本大震災でエレベーターが止まったため、同居する母親と共に避難できず、数日後に救い出されたという。筆者はこの話を聞き、高齢者や障がい者を移動させるための備えが必要と痛感して、今回の搬送具導入に注目した

国民の声を謙虚に受け止め、対応する公明党の姿勢が命を守る政治を前進させる。(典)


 

力走 三十一〈小説「新・人間革命」〉

2016年04月29日 05時42分04秒 | 今日の俳句
【力走 三十一】 法悟空 内田 健一郎 画 (5788)

 栗山三津子の手術は、大成功に終わった。
 そして、年末に退院し、年が明けると、何事もなかったかのように、元気に活動を開始し、これまで以上に、強い確信をもって、多くの同志を励ましていくことになる。
  
 十二月四日、山本伸一は峯子と共に、三重研修道場から、車や列車を乗り継いで大阪へ行き、伊丹空港から、空路、高知へと向かうことになっていた。
 この日、三重は曇天であったが、大阪に入ると、雨が降り始めた。高知も雨だという。
 飛行機は、少し遅れて伊丹空港を飛び立った。高知空港は雨のため視界が悪く、しばらく上空を旋回していた。もし、着陸できなければ伊丹空港に引き返すことが、機内アナウンスで伝えられた。
 伸一の一行を出迎えるために、高知空港に来ていた県長の島寺義憲たちは、灰色の雨空をにらみつけながら、心で懸命に唱題した。
 伸一が四国を訪問するのは、一月、七月に続いて、この年三度目である。しかし、高知入りは六年半ぶりであった。それだけに島寺は、“何が何でも山本先生に高知の地を踏んでいただくのだ”と必死であった。
 一行の搭乗機は、高知上空を旋回し続けていたが、遂に午後四時半、空港に着陸した。予定時刻より、一時間近く遅れての到着であったが、乗客は皆、大喜びであった。
 伸一は、機長への感謝を込め、和歌を詠み贈った。
 「悪天に 飛びゆく操縦 みごとなる
   機長の技を 客等はたたえむ」
 彼は、その見事な奮闘への賞讃の思いを、伝えずにはいられなかったのである。
 皆が感謝の思いを口にし、表現していくならば、世の中は、いかに温かさにあふれ、潤いのあるものになっていくか。
 空港のゲートに伸一の姿が現れた。
 「先生!」と、島寺は思わず叫んでいた。
 伸一は、微笑み、手をあげて応えた。
 「新しい高知の歴史をつくろう!」


【「聖教新聞」2016年(平成28年)4月29日より転載】


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