和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

全国で報道されていない食中毒事件が多発していた!?厚労省のデータからヤバすぎる事実が発覚!

2015年10月13日 19時58分52秒 | ユー・チューブ
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女郎花/今日の俳句 ≪第1924号≫

2015年10月13日 05時51分52秒 | 今日の俳句



≪2015年(平成27年)10月13日(火)長月≫(旧暦9/1)


 雨風の中に立ちけり女郎花
          小西 来山

 ひょろひょろと尚露けしや女郎花
          松尾 芭蕉

 女郎花裾野の雨に負けしかな
          長谷川かな女

 女郎花子の声隠す行止り
          久保田月鈴子

 女郎花男郎花吹く札所かな
          澤田とよみ


※ 女郎花
 秋の七草の一つ。をみなえしともいう。いたるところ日当たりのよい山地にはえるオミナエシ科の多年草。茎は直立し高さ一メートル(三尺三寸)ぐらい。葉は対生し、羽状に分裂し、裂片は狭く、先がとがっている。
 晩夏から秋にかけて茎の上部で分枝し、黄色い細花を散房状に、あたかも傘を開いたようにびっしり開く。花は東北地方や新潟・長野・岐阜などの諸県で《粟花》と呼んでいるくらいに小さい。花が優美で、草の姿がなよなよしているのを女にたとえて。この名がある。
 「えし」または「めし」の意味は不明。昔、小野頼風という男の契りをこめた京の女が、頼風の無情を恨んで放生川に身を投じたところ、その衣が朽ちて女郎花を生じたという伝説(謡曲「女郎花」)がある。

【新訂「現代俳句歳時記/石田波郷・志摩芳次郎編」主婦と生活社より抜粋】


小西 来山(こにし らいざん)

 1654年(承応3年)~1716年11月16日(享保元年10月3日))は江戸時代の俳人。通称、伊右衛門。満平、湛翁、湛々翁、十萬堂の号がある。
 現在の大阪淡路町に薬種商の家に生まれた。父親と親しかった前川由平に俳諧などを学び、1675年頃には宗匠として、門弟をとっていたとされ,1678年に満平の号で井原西鶴編の『物種集』に入集した。
 1680年頃、来山に号を改めた。1681年、最初の撰集『大阪八五十韻』を刊行した。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】






             

10月12日(月)のつぶやき

2015年10月13日 01時49分02秒 | 今日の俳句

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