和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

法旗(二十五)小説「新 ・人間革命」

2013年01月01日 17時07分07秒 | 今日の俳句
法旗(二十五)小説「新 ・人間革命」


【「聖教新聞」 2013年 (平成25年)1月1日(火)より転載】


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法旗25(1/1))
  山本伸一は、燃えていた。激しく燃えていた。
この八日間の愛媛県、香川県の訪問で、なんとしても、新生・四国の大前進のスタートを切ろうと思うと、情熱と闘魂が生命の底から噴き上げてくるのだ。

 彼は、愛媛文化会館の恩師記念室で、四国総合長の森川一正に言った。

 「時が来たよ。新しい時代の幕を開く時が来たよ。立つのは今だ!

 日蓮大聖人は『命と申す物は一身第一の珍宝なり一日なりとも・これを延るならば千万両の金にもすぎたり』(御書九八六ページ)と言われている。
その貴い一日を、一瞬を、決して無駄にしてはならない。最高の聖業である広宣流布のために、捧げ抜いていくんです」

 森川は、決意のこもった声で、「はい!」と応え、大きく頷いた。

 伸一は、微笑を向けながら言葉をついだ。

 「上昇、発展への流れをつくるには、人間の一念が変わらなければならない。
現状が厳しいからとか、人材がいないからとか、停滞の理由を並べ立てていても、事態はいっこうに変わりません。

 現状追随からくる“あきらめ”の一念を、“そうした現状を打開するために私がいるのだ!”という、一人立つ精神へ、挑戦と敢闘の一念へと転じていくんです。

 今、世相は、景気回復の兆しもなく、明るい話題が何一つない時代と言われています。
また、どう生きるのかという、人生の根本軌道が見失われています。
まさに、濁世の様相を呈しているといってよい。

 そういう時代だからこそ、広宣流布を進めていくんです。使命の炎を燃え上がらせるんです。
この世の不幸をなくすために出現したのが、創価学会ではありませんか。

 草創期に各支部は、弘教の法旗を高らかに掲げて、“不幸を討ち取らん!”と、誇らかに民衆の大行進を続けていった。

 広布第二章の『支部制』の魂は、支部長、支部婦人部長はもとより、全同志が、その一念に立ち返ることにあるんです」



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新年/今朝の俳句 ※No.1150※

2013年01月01日 07時57分52秒 | 今日の俳句

     謹賀新年


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 2013年(平成25年)1月1日(火)
    ※No.1150※


      ■

   ※今日の記念日※


■ 元日(New Year's Day)。
 新年の幕開けの日。年のはじめを祝う国民の祝日。
 1948(昭和23)年7月公布・施行の祝日法によって制定された。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



  ※※  新年の歌  ※※

   創価学会名誉会長
     池田 大作


  時は満ち
    世界広布の
       大攻勢
    伸びゆく弟子と
        勝利の祝賀を


      ◇


  わが友は
   一人一人が
      幸福城
   試練を勝ち超え
      築く嬉しさ


      ◇


  目覚めたる
    創価の若人
       燃え立ちて
    生命の法理で
     人類 結べや


       二0一三年  元旦


【「聖教新聞」2013年(平成25年)1月1日(火)より転載】


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   ■※今日の俳句※■


 新年の壁に吊るせり草箒
      穴井太


 杉落葉香りぞたかく年明けたり
      加倉井秋を


 年いよよ水のごとくに迎ふかな
      大野林火


■ 一碧楼忌。
俳人・中塚一碧楼[なかつかいっぺきろう]の1946(昭和21)年の忌日。
 岡山県浅口郡玉島町(現・岡山県倉敷市玉島勇崎)の旧家で製塩業等を営む実業家・中塚銀太の四男に生れる。
 1900年(明治33年)岡山中学(現・岡山県立岡山朝日高校)入学。1906年(明治39年)中学卒業の年に洗礼を受けクリスチャンとなる。翌、1907年(明治40年)早稲田大学商科に入学する。大学時代は飯田蛇笏に兄事し俳句を学ぶ。早稲田吟社にも一時参加。後に早大を中退し帰郷。
 帰郷後の一碧楼は守旧的な『国民俳壇』の句風よりも、新傾向俳句運動を展開する河東碧梧桐の『日本俳句』に傾倒。1908年(明治41年)から日本俳句に投句を始める。1909年(明治42年)城崎温泉に碧梧桐を尋ね15日間にわたり師弟は俳句を作り続ける。この際、碧梧桐より「半ば自覚せぬ天才の煥発である」と評される。
 1910年(明治43年)兵庫県飾磨郡(現・兵庫県姫路市)で素麺問屋を営む濱田家の婿養子となる。碧梧桐の弟子ではあったが碧梧桐が荻原井泉水らと出版する俳誌『層雲』には参加せず、『自選俳句』を郷里にて出版。翌1911年(明治44年)には再び早稲田大学文科に入学する。この年『試作』を創刊して一時碧梧桐から遠ざかった。のち1912年(大正元年)早大を再び中退し帰郷。新聞『日本』俳句欄に投句。新傾向の作家として頭角を表す。
 1915年(大正4年)碧梧桐を主宰として俳誌『海紅(かいこう)』を創刊。層雲と並び自由律俳句の中心誌となる。のち碧梧桐が海紅を去り一碧楼が主宰者となる。また、『朝日俳壇』選者もつとめた。
第二次大戦の終戦間もない1946年(昭和21年)大晦日、59歳でその生涯を閉じた。
『』
《参考文献 [編集]》
瓜生敏一/著 『中塚一碧楼-俳句と恋に賭けた前半生』 桜楓社 1986年
森脇正之/編 『俳人中塚一碧楼』 倉敷文庫刊行会 1980年

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】 
http://www.nnh.to/12/30.html


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   ■※わが友に贈る/寸鉄/今週のことば※■


【「聖教新聞」2013年(平成25年)1月1日(火)より転載】       

    ※わが友に贈る※


 青年の「熱」と「力」が

 世界の「針路」を決める。

 おお創価の若人よ!

 広宣流布の黄金時代へ

 勇気凛々と勝ち進め!


    ☆1月1日☆ 

      ◇


    ※今週のことば※

 新たな挑戦の一年だ。

 総本部の完成を目指し

 わが地区に人材の城を!

 わが人生に福徳の城を!

 そして我らの勝利城を!

    ☆1月1日☆ 


 

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    ※寸 鉄※


 「青年学会 勝利の年」が開幕。総本部完成へ!万代の広宣流布の礎を建設



 栄光の「3・16」55周年。池田門下の本舞台だ。圧倒的な拡大の劇(ドラマ)を綴れ!



今まで以上にこの一年は若々しい希望で始まるー哲人(ソロー)。さあ師と共に躍進



本年は「国際水協力年」。限りある資源を大切に。仏法の共生哲理を大発信



「此の心の一法より国土世間も出来(しゅったい)」。私が輝けば地域も輝く。強き祈りで



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株式会社シーマン サーバー監視サービス
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