謹賀新年
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2013年(平成25年)1月1日(火)
※No.1150※
■
※今日の記念日※
■ 元日(New Year's Day)。
新年の幕開けの日。年のはじめを祝う国民の祝日。
1948(昭和23)年7月公布・施行の祝日法によって制定された。
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※※ 新年の歌 ※※
創価学会名誉会長
池田 大作
時は満ち
世界広布の
大攻勢
伸びゆく弟子と
勝利の祝賀を
◇
わが友は
一人一人が
幸福城
試練を勝ち超え
築く嬉しさ
◇
目覚めたる
創価の若人
燃え立ちて
生命の法理で
人類 結べや
二0一三年 元旦
【「聖教新聞」2013年(平成25年)1月1日(火)より転載】
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■※今日の俳句※■
新年の壁に吊るせり草箒
穴井太
杉落葉香りぞたかく年明けたり
加倉井秋を
年いよよ水のごとくに迎ふかな
大野林火
■ 一碧楼忌。
俳人・中塚一碧楼[なかつかいっぺきろう]の1946(昭和21)年の忌日。
岡山県浅口郡玉島町(現・岡山県倉敷市玉島勇崎)の旧家で製塩業等を営む実業家・中塚銀太の四男に生れる。
1900年(明治33年)岡山中学(現・岡山県立岡山朝日高校)入学。1906年(明治39年)中学卒業の年に洗礼を受けクリスチャンとなる。翌、1907年(明治40年)早稲田大学商科に入学する。大学時代は飯田蛇笏に兄事し俳句を学ぶ。早稲田吟社にも一時参加。後に早大を中退し帰郷。
帰郷後の一碧楼は守旧的な『国民俳壇』の句風よりも、新傾向俳句運動を展開する河東碧梧桐の『日本俳句』に傾倒。1908年(明治41年)から日本俳句に投句を始める。1909年(明治42年)城崎温泉に碧梧桐を尋ね15日間にわたり師弟は俳句を作り続ける。この際、碧梧桐より「半ば自覚せぬ天才の煥発である」と評される。
1910年(明治43年)兵庫県飾磨郡(現・兵庫県姫路市)で素麺問屋を営む濱田家の婿養子となる。碧梧桐の弟子ではあったが碧梧桐が荻原井泉水らと出版する俳誌『層雲』には参加せず、『自選俳句』を郷里にて出版。翌1911年(明治44年)には再び早稲田大学文科に入学する。この年『試作』を創刊して一時碧梧桐から遠ざかった。のち1912年(大正元年)早大を再び中退し帰郷。新聞『日本』俳句欄に投句。新傾向の作家として頭角を表す。
1915年(大正4年)碧梧桐を主宰として俳誌『海紅(かいこう)』を創刊。層雲と並び自由律俳句の中心誌となる。のち碧梧桐が海紅を去り一碧楼が主宰者となる。また、『朝日俳壇』選者もつとめた。
第二次大戦の終戦間もない1946年(昭和21年)大晦日、59歳でその生涯を閉じた。
『』
《参考文献 [編集]》
瓜生敏一/著 『中塚一碧楼-俳句と恋に賭けた前半生』 桜楓社 1986年
森脇正之/編 『俳人中塚一碧楼』 倉敷文庫刊行会 1980年
【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】
http://www.nnh.to/12/30.html
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■※わが友に贈る/寸鉄/今週のことば※■
【「聖教新聞」2013年(平成25年)1月1日(火)より転載】
※わが友に贈る※
青年の「熱」と「力」が
世界の「針路」を決める。
おお創価の若人よ!
広宣流布の黄金時代へ
勇気凛々と勝ち進め!
☆1月1日☆
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※今週のことば※
新たな挑戦の一年だ。
総本部の完成を目指し
わが地区に人材の城を!
わが人生に福徳の城を!
そして我らの勝利城を!
☆1月1日☆
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※寸 鉄※
「青年学会 勝利の年」が開幕。総本部完成へ!万代の広宣流布の礎を建設
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栄光の「3・16」55周年。池田門下の本舞台だ。圧倒的な拡大の劇(ドラマ)を綴れ!
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今まで以上にこの一年は若々しい希望で始まるー哲人(ソロー)。さあ師と共に躍進
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本年は「国際水協力年」。限りある資源を大切に。仏法の共生哲理を大発信
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「此の心の一法より国土世間も出来(しゅったい)」。私が輝けば地域も輝く。強き祈りで
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