名字の言
【「聖教新聞」平成24年9月1日(土)より転載
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(9/1)
1923年(大正12年)9月1日の関東大震災によって、東京は焦土と化した。
首都をよみがえらせるため、帝都復興院総裁の後藤新平が、まず、着手したのは道路を敷くことだった
▼
大胆な区画整理を伴う復興計画は、地権者の猛反発、財政難という壁の前に大幅な規模縮小を余儀なくされた。だが、環状道路などにその名残を留めるように、現在の東京の都市骨格を築いた
▼
後藤の先見は都市計画だけではなかった。
未来への道を開くために最も必要なのは「人材」との信念を貫いた。
実力と情熱ある人材を登用しては、飛躍の機会を惜しみなく与えた。
台湾総督府民政長官の時代、破格の処遇で新渡戸稲造を引き抜いたことは有名だ。
少年団(ボーイスカウト)総長も務め、晩年、こう語ったという。
「金を残すは下、仕事を残すは中、人を残すは上」
▼
仏法では「道を開くとは、身を惜しまないこと」と教える。
広布のため、友のため、わが身を惜しまず、尽くし抜く。
そこに無上道の生き方がある
▼
きょうは「牙城会の日」でもある。
創価の友は、青年の育成にわが身を惜しまない。
そして、立派に成長した青年も、また、人々の幸福のために尽くしていく。
人材育成の大道を進む中に、未来を築く道がある。 (城)
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【「聖教新聞」平成24年9月1日(土)より転載
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(9/1)
1923年(大正12年)9月1日の関東大震災によって、東京は焦土と化した。
首都をよみがえらせるため、帝都復興院総裁の後藤新平が、まず、着手したのは道路を敷くことだった
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大胆な区画整理を伴う復興計画は、地権者の猛反発、財政難という壁の前に大幅な規模縮小を余儀なくされた。だが、環状道路などにその名残を留めるように、現在の東京の都市骨格を築いた
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後藤の先見は都市計画だけではなかった。
未来への道を開くために最も必要なのは「人材」との信念を貫いた。
実力と情熱ある人材を登用しては、飛躍の機会を惜しみなく与えた。
台湾総督府民政長官の時代、破格の処遇で新渡戸稲造を引き抜いたことは有名だ。
少年団(ボーイスカウト)総長も務め、晩年、こう語ったという。
「金を残すは下、仕事を残すは中、人を残すは上」
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仏法では「道を開くとは、身を惜しまないこと」と教える。
広布のため、友のため、わが身を惜しまず、尽くし抜く。
そこに無上道の生き方がある
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きょうは「牙城会の日」でもある。
創価の友は、青年の育成にわが身を惜しまない。
そして、立派に成長した青年も、また、人々の幸福のために尽くしていく。
人材育成の大道を進む中に、未来を築く道がある。 (城)
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