ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

22 広瀬大社から伏見稲荷大社、日吉大社の宇迦之御魂ルート

2009-03-04 01:16:00 | Weblog
●ボク 19:11
広瀬大社の背後の馬見山丘陵には、全長は約197m大塚山古墳をはじめ、8基の大塚山古墳群があります。この馬見山丘陵には、北部、中央部、南部の3つの古墳群があり、北部がこの大塚山古墳群になります。これらは、葛城氏の墓とする説と、大王家ゆかりの墓とする説があります。

●カントク 19:15
ボクの携帯電話はすごいなあ。たちどころにデータが出てくるんだから。

●ボク 19:16
携帯電話のように見えますが、正確にいうと、スマートフォンと呼ばれています。僕のはウィルコムの通称「アドエス」と呼ばれている機種で、パソコンのデータを丸ごと移すこともできますし、USBにデータを入れておいて、アドエスに付けて利用できます。
どなたか、僕のことを「歩くデータベース」とおっしゃいましたが、手の内を明かすと、アドエスを持ち歩いているだけなんです。ヒメさまも、是非、試してみて下さい。

●ヒメ 19:21
そういうの苦手なんだけど、それだと、旅先でも使えるわよね。ブラジルに持っていこうかしら。

●ボク 19:22
重たいパソコンを持っていくことはないですよ。これだと、パソコンのキーボードと同じように原稿を入力して、メールに添付して原稿を送れますよ。

●ヒメ 19:23
 ちょっと、コロンビア行きの話は編集者には絶対に秘密よ。完全に私は失踪するですからね。
 それより、不思議よね。広瀬大社に宇迦之御魂神が祀られている以上、背後の馬見山丘陵の古墳群には、宇迦之御魂神の一族が祀られているんじゃないのかしら。
歴史学者や考古学者達は、なぜ、それを葛城氏や天皇家ゆかりの墓とするのかしら。

●カントク 19:30
そこなんじゃ。素人にはどうしても理解できないタブーがあちらの世界にはあるようなんじゃ。
戦後、戦前の皇国史観への反省から、記紀を疑ってかかるようになり、9代までの天皇は架空である、記紀が創作した歴史である、という仮説が大いに流行ったんじゃ。
ボクやひなちゃんは、どっぷりとその世界に漬かっていると思うけど、その延長上で、記紀の神代、ようするに天皇家以前の記紀に書かれた神話は、全部、後世の創作、というようになっているのよ。

●マル 19:36
カントク、「議論はしないで、データを集めよう」とおっしゃったのはどなたでしたっけ?馬見山丘陵の古墳群を造ったのは、葛城氏、天皇家、宇迦之御魂神一族、の3つの仮説がある、ということにしておきましょうよ。

●ボク19:38
宇迦之御魂神は、伏見稲荷大社にも主祭神として祀られています。この伏見稲荷大社は、稲荷神を祀る全国約4万社の稲荷神社の総本宮とされています。
渡来系氏族の秦氏が和銅年間(708~715年)に神社を創建したとされていますが、宇迦之御魂神信仰はそれ以前からあった可能性があります。

●ヒナ 19:42
佐保川を遡って奈良まで行き、奈良阪を越え、木津川を下ると伏見に出ます。

●ボク19:43
宇迦之御魂神の子の大山咋神は、古事記には「近海淡海国の日枝山に坐す」と書かれており、大津にある日吉大社(ひよしたいしゃ)の東本宮は大山咋神を祀っています。後に、天智天皇の大津京遷都の際に、大神神社から大国主神を招き、西本宮の祭神としています。

●カントク 19:46
広瀬大社から伏見稲荷大社、さらに日吉大社と、宇迦之御魂ルートがあるような気がしてきたのう。

●マル 19:48
奈良盆地の西の入り口の二上山の麓の大坂山口神社と、東の三輪山の大神神社、これを結ぶ大歳神ルートも重要よね。
なにしろ、大坂山の石を、人々が並んで手渡しで運び、三輪山の麓の箸墓が造られたんだからね。

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