ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

倭語論13 「主語―目的語―動詞」言語の起源と拡散

2020-02-11 21:21:15 | 日本民族起源論
 日本民族はアジア諸国からの多様なDNAを受け継ぎ、漢字を使いながら「倭音、呉音、漢音」読みを併用し、「主語―目的語―動詞(SOV)」言語構造を維持しており、中国語の「主語―動詞―目的語(SVO」言語構造を採用していません。朝鮮語は同じ「主―目―動」言語構造ですが、呉音・漢音のように朝鮮音の併用例は日本語には見られず、基礎言語も一致しておらず、日本語形成には影響を与えていません。
 「弥生人(中国人・朝鮮人)による縄文人征服説」が通説として根強いのですが、イギリスのように言語転換が起きておらず、また、台湾・フィリピン・インドネシアなどのように言語の異なる多数の少数民族が入り混じってはいません。1万年の土器文化(通説は縄文文化)からみても、わが国は独自の言語・文化を維持しながら様々な民族の人たちを受けいれ、積極的に中国文化を吸収し、自律的・内発的発展を遂げたと私は考えています。
 言語学では諸説入り乱れ、門外漢の私にはどれを採用すべきかの判断基準を持ちあわせてはいませんが、それらのデータを紹介しながら、2018年7月に作成したレジュメをもとに、修正しました。雛元昌弘

1.「主語―目的語―動詞(SOV)」言語地域と「主語―動詞―目的語(SVO)」言語地域
現在の「主目動」言語地域と「主動目」言語地域については下図のような分布図がウィキペディアで紹介されています。
 
世界の言語分布図



 この図でみると、日本語の「主語―目的語―動詞(以下主目動と略)」言語のルーツは「アフリカの角(エチオピア・ソマリア)」を起点として、インド・ミャンマーを経たルート、草原地帯ルート、シベリアルートの3つが想定されます。
 安本美典氏の言語研究(『新説! 日本人と日本語の起源』『研究史 日本語の起源』『日本民族の誕生』など)によれば、「主目動」言語は、海岸沿いのインド南部のドラヴィダ語→ミャンマー語→日本語などの「海の道」に点在し、さらにシベリアのブリヤート語→ギリヤーク語→アイヌ語(樺太・千島列島・カムチャツカ半島・北海道)などの「マンモスの道」、ウイグル語→モンゴル語→満州語→朝鮮語を繋ぐ「草原の道」が浮かんできます。安本美典氏は北方ルート説ですが、私は南方ルートの「海の道」が主と考えています。

日本語はどの言語に近いか(安本美典『新説! 日本人と日本語の起源』より)



「主語ー目的語ー動詞」語順の言語分布図



 日本語が多くの漢語を受け入れて今も日常的に漢字を「倭音・呉音・漢音」で併用しながら「主目動」語順を維持し、中国語の「主動目」語順に変えていないことを考えれば、単語よりも語順は可変性が低く、他の語族の支配・強制がなければ語順転換は起こりにくいと考えられます。

2.「主目動(SOV)」言語と「主動目(SVO)」言語の起源
 人口比でみると下図のように、「主目動(SOV)」言語が48%で多数で、「主動目(SVO」言語は32%のようです(中尾俊夫,寺島廸子『図説英語史入門』(大修館書店,1988年)。ウィキペディアでは、SOV型(主目動型)が一番多く565言語、次いでSVO型(主動目型)が488言語とされています。

世界の言語順(中尾俊夫,寺島廸子『図説英語史入門』:大修館書店、1988年)




 中国13.9億人、インド13.2億人、アメリカ3.3億人、インドネシア2.6億人、ブラジル2.1億人、パキスタン2.0億人、ナイジェリア1.9億人、バングラデシュ1.6億人、ロシア1.4億人、日本1.3億人の人口大国のうちでは、「主動目(SVO」言語の国が中国・アメリカ・インドネシアなど多数で、「主目動(SOV)」言語はインド・パキスタン・日本です。
 では「主目動(SOV)」、「主動目(SVO」のどちらが先に生またのか、あるいは、別々に発生したのでしょうか? 
 「主目動(SOV)」語から「主動目(SVO)」に変わっている言語が多いとされていることからみると、下図のように「主目動(SOV)」言語がまず生まれ、他の「主動目(SVO)」を始めとする言語が派生した可能性が考えられます。

世界の言語順の変化(中尾俊夫,寺島廸子『図説英語史入門』)



 
 しかしながらモンゴル帝国に東ヨーロッパや中国支配にも関わらずそれらの国々の言語構造が変わることがなく、イギリスに公用語が4つ(ゲルマン人の英語(イングランド語)と原住民ケルト人の「動主目(VSO)」言語のスコットランド語、ウェールズ語、アイルランド語))あることかみても、語順は基本的には変わりにくいとみられます。そうすると「主動目(SVO)」と「主目動(SOV)」などの言語はもともとアフリカで独自に発生し、それぞれ何次にもわたって世界に拡散した可能性が高くなります。

「主動目(SVO)」「主目動(SOV)」言語等アフリカ起源説(雛元仮説)




 人類が東アフリカに現れたのは約20万年前、アフリカ大陸から出たのは5万~6万年前とされていますが(近年、誕生は30万年以上前頃、出アフリカは12万年前頃の説あり)、「主動目(SVO)」族と「主目動(SOV)」族などはそれぞれ別々に何次にもわたってアフリカを出て各地に定住したのではないかと私は考えています。
 なお日本語は「ウラルアルタイ語」に属し、英・独・仏・伊語やスペイン語、ロシア語、、ペルシア語、ヒンディー語などは「インド・ヨーロッパ語」と習ってきましたが、語順でみると「主目動(SOV)」言語のヒンディー語やペルシャ語は別系統で、と見るべきと考えます。

3.「主目動詞」語族の出発地と分岐点
 「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『日本主義』40号)、「言語構造から見た日本民族の起源」(『日本主義』42号)で掲載した図のように、私は「主目動」言語構造の部族は今のエチオピアあたりから出アフリカを果たし、中央アジアを分岐点として、「マンモスの道」「草原の道」「海の道」を通って日本列島にたどり着いたと漠然と考えていました。
 「出アフリカ」が今のエジプトからシナイ半島を通ったのか、あるいは今のエチオピアから紅海を越えてアラビア半島のイエメンに渡ったのか、1ルートなのか、2ルートなのかは、まだ検討できていません。
 また、「マンモスの道」「草原の道」「海の道」の分岐点は最初はメソポタミア文明の発祥地インダス川あたりを考えて、次には、寒冷期の熱帯作物のヒョウタンの「海の道」と、ドラヴィダ語(古代インド語)、ミャンマー語に注目してパキスタン・インドあたりを分岐点に考えましたが、まだ確かめられていません。
 寒冷期には「草原の道」は乾燥化して大型動物は移動できず、エジプトでの牧畜の開始が紀元前5000年前頃、ウクライナ地方での馬の家畜化は紀元前3000年前頃、中央アジアでの騎馬遊牧民の活発な活動は紀元前1000年頃とされていますから(常木晃編『食糧生産社会の考古学』など)、「主目動」語族が「草原の道」ルートを東進したのは土器時代(縄文時代:約15,000年前から約3,000年前)よりもずっと後になります。
 従って、「主目動」語族が旧石器・土器時代に何次かにわたって日本列島にやってきたのは「海の道」と「マンモスの道」であり、それは縄文時代の若狭の鳥浜遺跡のヒョウタン・ウリなどの熱帯・亜熱帯植物と北方系のアサ・カブ・ナタネなどからも裏付けられます。そして紀元前2世紀頃に「主目動(SOV)」語族の騎馬民族が朝鮮半島北部に入り、アフリカを出た同じ「主目動(SOV)」語族が劇的に出会うことになります。

4.アフリカの「主目動」と「主動目」語族の分布
 ウィキペディアによれば、アフリカの歴史は次のように書かれています。「約10万年前に出現した現代型のホモ・サピエンスは体格だけでなく、質的にも現代人と相違ない文化を獲得していったとされる」「ケニアでは約5万年前の地層からダチョウの卵殻を加工した装飾品が出土しており、現代型ホモ・サピエンスの特徴は後期旧石器時代に位置付けられる」「約1万年前になると大陸内の民族分布も次第に明確になり、東部、南部にコイサン語族、中央部にピグミー系民族、西部に黒人系民族が根を下ろし始める」(※コイは牧畜民、サンは狩猟採集民。コイサン語は現生人類の最も古い言語とされる)
 その言語は「アフリカで話される言語の殆どはアフロ・アジア語族、ナイル・サハラ語族、ニジェール・コンゴ語族のいずれかの語族に属しており、そのほか数百の言語がウバンギ諸語のような小さな語族や、まとめてコイサン諸語と呼ばれる色々な語族、またはアフリカ以外の地域に起源があるインド・ヨーロッパ語族やオーストロネシア語族に分類される。」とされています。

アフリカの言語地図(ウィキペディアより)




 さらに、アフロ・アジア語はアフリカ東北部ではセム語(橙色)とクシ語(水色)に分かれ、クシ諸語は主にアフリカの角、タンザニア、ケニア、スーダン、エジプトで話され、最も大きな言語はオロモ語(約3,500万人)、次いでソマリ語(約1,800万人)、シダモ語(エチオピアに約200万人)とされています。オロモ語はエチオピアとケニアにいる2500万人のオロモ人やその近隣のウェルジ人などの第一言語であり、エチオピアの公用語のアムハラ語(主目動言語)はクシ語の影響を受けているとされています。

クシ語派の分布(ウィキペディアより)




 3万年前の語族・言語分布と、現在の語族・言語分布と言語の系統分岐図は不明ですが、「主目動(SOV)」語族のルーツはアフリカ北部のエチオピアからソマリア、ケニアあたりの可能性が高いと考えられます。
 ちなみに、アフリカ大陸15か国で仕事した「yozat14氏」のブログ「社会起業家を目指して」によれば、おじぎをする国民はエチオピア人だけとのことです。

5.「主目動詞」語族の日本列島への道
 中国湖南省の鍾乳洞からは約10万年前の歯化石が発見されたことが報道されましたが(2015年10月14日『Nature』)、彼らが今の中国人の直接の祖先である「主動目(SVO)」語族なのか、それとも、先住していた「主目動(SOV)」語族なのかは不明です。
 前者だとするとアフリカ中央部から「主動目(SVO)」語族がシナイ半島を通り、西と東に分岐し、ヨーロッパと中国から東南アジアにかけて分布し、「アフリカの角」から「主目動(SOV)」語族が「海辺の道」「海の道」を通りイラン・インド・ミャンマー・ニューギニアにかけて分布し、途中から南の「海の道」と北の「マンモスの道」に分かれ、日本列島に3~4年前に沖縄と北海道に到達したことになります。
 後者だとすると、「主目動(SOV)」語族が「アフリカの角」から「海辺の道」「海の道」を通り、イラン・インド・東南アジア・東アジア全域に分布し、後に「主動目(SVO)」語族がシナイ半島からマンモスの道を通って東進し、中国・東南アジアに先住する「主目動(SOV)」語族を追い出して分布した、ということになります。
 あるいは、何次かに分けて、「主目動」語族「主―動―目」語族とがそれぞれ段階的に出アフリカを果たし、各地に分散した可能性もあります。
 日本語が「主目動」言語でありながら、「主動目」の東南アジアの多くの単語を吸収していることから考えると、インド・ミャンマー方面から東南アジアに入り、「主動目」語族と共住しながら、黒潮に乗って北に進み、日本列島にたどり着いた可能性が高いと考えます。
 今後、アフリカ・アジアの言語学、遺伝子学、旧石器遺跡、植生分布などから、さらに総合的な検証が求められます。

6.「主目動詞」語族は北方系か南方系か?
 安本美典氏は邪馬台国論や日本語起源論について多くの著書を書かれ、私も古代王即位年の統計的分析や邪馬台国甘木・朝倉説など多くの影響を受けています。ただ、氏の古代王即位年推計をアマテルからさらに私は古事記の始祖神に遡らせており、邪馬台国甘木・朝倉の馬田説に対し私は甘木高台説であること、卑弥呼太陽神崇拝説に対し私は卑弥呼霊御子(ひみこ)説であること、古事記神話からのアマテル・神武東征抽出に対し私は古事記神話全体の分析であること、邪馬台国東進説に対し私はワカミケヌ(諡号=死号は神武天皇)傭兵隊移動説、筑紫地名のワンセット大和移転を邪馬台国東進とみるのに対し私はスサノオ・大年(大物主大神・大物主)の美和国建設説であるなど、氏とは異なります。
 日本語起源説について、大野進氏のドラビダ語説を批判し、下図のように安本氏は「古極東アジア語」の中に「古日本語系」を置き、「古日本語系」はビルマ系言語の影響を受けており、日本語の形成は北方系の日本海側の「古日本語」と太平洋側の「インドネシア系言語」の2系統で考えています。

日本語の形成プロセス




 しかしながら、「ビルマ系言語の影響を受けた古日本語」が北方系というのも意味不明ですし、太平洋側と大陸側とで日本語方言に違いがあるとの分析は見たことがありません。もし北方系、ビルマ系、インドネシア系(主動目言語)の民族の移動があったのなら、縄文文化は台湾やフィリピンのように多言語・多文化・多民族の構成になったのではないでしょうか?
 また、黒潮に乗って南からの民族移動があったのなら、対馬暖流がビルマ系、黒潮本流がインドネシア系という証明ができるのでしょうか? 縄文人は対馬暖流に乗り、琉球から北海道、シベリア沿岸まで「貝の道」「黒曜石の道」「ヒスイの道」を交易していた海人族であり、丸木舟製作に使用する丸ノミ石器は琉球から九州西岸にも太平洋側にも分布しています。縄文人の言語もまた南から北へと対馬暖流・黒潮本流に広がったとみるのが自然です。
 さらに、ツングース系の扶余族の古朝鮮の成立は檀君神話(後世の創作説が濃厚)でみても紀元前2333年、実際には紀元前4世紀頃(2世紀頃説も)に中国東方地方(満州)から朝鮮半島北部にまたがる連盟王国とされ、縄文1万年の古日本語と同時代の言語分布で論じるのはそもそも無理があります。 
 琉球の始祖のアマミキヨ伝承と記紀神話のアマテル(天照:本居宣長説はアマテラス)名の類似性、あま地名の分布(奄美、天草、甘木、海人、天城など)、琉球方言と本土方言との繋がり(例えば、琉球と出雲の「あいういう」3母音)などからみても、「主目動」言語の古日本語(縄文語)は安本氏もビルマ系(ミャンマー系)の影響を示しているように、南方系と見るべきと考えます。
 
7.「竹筏の道」「丸ノミ石器の道」「ヒョウタンの道」「タロイモの道」「ヒエ・アワの道」「貝の道」「黒曜石の道」「稲の道」「土器鍋の道」「DNAの道」「言語の道」の総合的判断へ
 日本民族起源論については、DNAなど人類学に根拠を求める論も多いのですがそもそもサンプル数・地域が限られており、DNA民族として、共通の土器時代の言語・文化に求めるべきと考えます。
 ただし、日本文化起源論(柳田國男ら)として論じる場合には、単に文化というより、生産・生活・交流・交易に基礎に置いた日本文明論として論じるべきであると私は考えます。
 その際、これまでの論で不十分と感じるのは、1万年の土器時代(通説:縄文時代)の芋・豆・雑穀農耕を軽視・無視した「弥生時代論」、海人(あま)族の漁業と舟による広域的な交流・交易を軽視した「狩猟採取中心の縄文論」の「ジベタリアン文明観」、アフリカ起源言語の「単一言語拡散分化説」、単語分析に偏った「文章構造論軽視」の言語学などです。
 

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