ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

「琉球論1 『へのこ』考」のお知らせ

2020-01-31 19:26:30 | スサノオ・大国主建国論
 「琉球=龍宮論」「琉球弁古日本語論」を中心に、古代の「琉球」と本土の関係について2017年より書いてきたものを、Livedoorブログ「帆人の古代史メモ」において、本日「琉球論1 『へのこ』考」をアップしました。性器名称は基本語・基礎語と言えますが、どのような意味で、どう伝わったのか、考察しています。
 海人族の「スサノオ・大国主建国論」とも密接に関係していますので、紹介いたします。http://blog.livedoor.jp/hohito/


倭語論9  「卑」字について

2020-01-31 18:22:00 | 倭語論
 わが国が最初に国交を結んで後漢の冊封体制に入り、「漢委奴国王」金印を与えられたのは「委奴国王」であり、次に魏から「親魏倭王」として金印を与えられたのは「邪馬壹国」の女王「卑弥呼」です。
 「奴隷、匈奴」などの「奴」、「邪魔、邪道」などの「邪」、「卑賎、卑猥」などの「卑」という卑字が使われていることから、「中華意識」の後漢や魏が倭国をさげすんで「奴、邪、卑」などの卑字を使った、というのがこれまでの解釈でした。
このような「被支配史観・被虐拝外史観」に対し、私は委奴国王と卑弥呼の使者は王の国書を持参し、その中で「委奴国王」「邪馬壹国」「卑弥呼」と書き、それを中国側が金印に印し、記録したと考えています。
 今回は「卑」字について考えてみたいと思います。
 古事記は天照(あまてる)の2番目の子を「天之菩卑(あめのほひ)」、日本書紀は「天穂日」としており、当時の倭人は「卑=日」として倭流漢字として使っていたことを示しています。白村江で唐と戦って大破し、国家意識が高まった時に作られた古事記・日本書紀が「卑」字を使っていることからみて、「天之菩卑(あめのほひ)」名は実際に使われていた漢字とみて間違いありません。
 では「男尊女卑」などに使われる「卑」字はどういう意味の字だったでしょうか。
 「卑」を漢字分解すると「甶(頭蓋骨)+寸」で、「甶(頭蓋骨)」を「手」で支えるという字になり、死者の頭蓋骨を子孫が掲げて祀るという、祖先霊を祀る字になります。

「卑」「鬼」「魂」「魏」字に共通する「甶(頭蓋骨)」字


 前に述べたように、「鬼」字は「甶+人+ム」で、「甶(頭蓋骨)を人が支え、ム(私)」が拝む」というような意味の字ですから、倭人は「卑」字も「鬼」字と同じような字として理解していたと考えれます。「魏」字が「委(禾+女)+鬼」であることからみても、「鬼」字や「卑」字は祖先霊を祀ることを示す「貴字」であったことが明らかです。
 このような例からみて、女系社会において「卑」字は卑しい字でなく、海人(あま)族の女王国の「卑弥呼」は誇らしい字として、鬼道(霊信仰)をとり行う「霊御子=霊巫女」として、魏皇帝の「霊帝」の「霊」字を避けて、「卑」字を使ったと考えられます。
 ここから、私たちは孔子の「男尊女卑」の意味を見直さなければならないと考えます。中国人が大事にする「姓名」の「姓」は「女+生」(女が生まれ、生きる)ですから、もともと中国も周時代には母系性社会であった可能性が高く、祖先霊を祀る役割は女性が担い、それが「女卑」(女が祖先霊を祀る)であったのです。

「姓」字が示す「女が生まれ、生きる」母系制社会


 春秋・戦国時代に奴隷制が始まり、女奴隷にされた女性の地位が低まり、後の儒学者たちは「女卑」を「女は卑しい」と解釈するようになり、やがて祖先霊を祀る役割を男系に変えた、と私は考えます。
 中国においては、「卑」字は春秋・戦国時代から「貴字から卑しいという卑字」へと変わったのですが、孔子が「道の国」とみていた母系制の倭国では周時代の「卑」字の用法が残り、「卑弥呼」名で魏に国書を届けたのです。孔子が憧れた古きよき母系制社会の伝統がこの国には残り、倭流漢字用法とでもいえる独特の漢字文化を保持していたのです。
 超大国の周辺にあり、積極的に交流・交易・外交を行いながら、全てを模倣することなく、独自の道を歩んだ「辺境」を恥じて「卑下」することはないと考えます。

注:2019年10月25日のフェイスブック原稿を加筆・修正したものです。