500才(自称)ともなれば、見た目の美醜は問題ではないわ。いえいえ若かりし
頃よりだけど。少し負け犬の遠吠えって感はぬぐえないわね。そして、今。
昨日、最新機械による骨密度測定なんぞへ出掛けて来たのよ。
かなり昔、ひょんな事で測ったことはあるけれど、過去の話は関係は無いわね。
それで、金具は身からはずして、骨の撮影。薄暗い小部屋、程よい硬さのベッド。
このままーーお休みなさいーーーでもいいかしらという感じ。
仰臥・側臥で何枚か。カシャッもパチリもない、「大きく吸って、吐いて~、
止めて」を繰り返し、その回数だけ撮影されたみたい。
次は、違うお部屋で骨密度測定ですって。ベッドに仰臥したまま、50~60cm
角の布に覆われた発砲スチロールのような感触物体に両足を乗せて、静止。
渡された紙片には、私の脊椎写真と、測定結果グラフと説明文。
20~44才までが最も密度が高いそうで、それを100%としたら1,2倍増し。
同年代(まさか500才なんてことはない!)では、なんと1,5倍増しの我が
骨密度だったのよ。カルシウムをいっぱい摂ってる?いいえ!
特別意識したことはないけれど、偏食はない。う~ん、強いて言えば、海草が好き。
大豆を始め豆類が好き。くらいかしら。牛乳はそのままは飲めないし、乳製品は、
まあ、なんでも美味しく戴くだけの食生活。
マリリンのお陰でお散歩は毎日30分~1時間。両隣の駅までは徒歩。
紫外線からはかなりガードの姿だけど、太陽光線は浴びているわね、必要量は。
そんな食生活・運動・太陽光線量が、私の骨を支えているという事。
近くに来ることがあったら電話してよ。
両親の友人だった人の子息、マサアキチャンの事務所がある藤沢へ出たので、電話
したら留守電でした。美味しいコーヒーを飲ませてあげるよ、だったのに。
それで、駅前にあるキッチングッズ専門店で、パン1斤用型と、短い麺棒を買って
う~れしいな!うれしいな!で帰ってきました。
だって、骨は問題ない、探していたパン型、短い麺棒に巡り会えたのよ。
嬉し~~~い!さあさあご飯を炊くように、パンを作りましょう。
な~んにも不足のない、幸せな私です。心は満ち足りています。
アッ、ちょっとしたお話を一つ。
ある女性にメールしたのね、お元気?って。ある人物(身近ではない人)のこと
知ってる?って。博学な女性です。でも、そこから始まる厭味な、ひがみ中傷の
言葉のあれこれ。・・・なんで?
幸せではない彼女の日々が、文面からひしひしと伝わる。悲しくなってきました。
なぜ、人を傷つけるの?この夏、もう一人傷害罪の人がいました。
「人を傷つけるって、肉体だけじゃないってわかるわね?」
「ええ、わかるわ」
確信犯ね。それでも、手紙だけでもやり取りしたい、付き合いたいって。
「さようなら」
今回はここまでにしましょう、自分を好きになってね、さようなら。
件(くだん)のメールの相手にね。
その1時間後くらいだったでしょうか、数秒おきのあくびが始まったのです。
顎が痛くなるほど、涙も。そして、頭痛も同時に起きて、ちょっと寝るわ。
いつもなら、いつでもどこでも眠れる私ですが眠れないのです。
丸々1日そのあくびと頭痛に悩まされました。心は重く、不快感、悲しみでいっ
ぱい。なんで?なんで?私があなたに何をしたの?手を差し伸べることはして
来たわね?物心共に力になってきたつもりよ。それが、このお返し?
人の言動に心を揺らされている自分がイヤでたまりませんでした。
便利な世界で生きているのですから、このパソコンで検索です、あくびについて。
くも膜下出血経験者は、全く怯えがないとは言えない弱い自分がイヤでたまらな
かったです。それで、検索しているうちに、ハタと気付いたの!そう、やっぱり
解決は自分の中にある!って事に。
ーーああ、ごめんなさい。信じてるって、ウソなの?いつも信じきるって言ってる、
のに、何このビビリようは。そんな弱い事でどうするの?!あなたは強いのよ。
優しいのは当たり前。でも、自分を好きなら、愛してるのなら、何オタオタし
てるの?大丈夫!あなたは強いのよ。な~んにも心配することなんかないのよ
ーーーー
強いストレスがあくびも頭痛も引き寄せることがあるって。だからって?それがわ
かったから何?知ったからって、どうするの?だから?
そうです。だから?医者に行く?いいえ!
解決は自分の中にあることに気付きました。
ン?
アラッ、気が付いたら、あくび?頭痛?・・・・・消えてました。
そこで、私は自分に、ありがとうの連発です。
ーーーやっぱりレイコは凄い。ありがとう、ありがとう。------
嬉し涙でグジャグジャです。感謝を捧げました。そこに気付いた自分を賞賛。
遠慮も何もありません。褒めちぎり感謝の言葉を吐き続けました。
でも、・・・
ーーー彼女は生きることが何たるかを知りません。負の言葉が彼女の同道者
なんて。私は彼女が自分の力を知り、自身にとって自分以上のかけが
えのない存在なんてないってことに気付くことを信じます。ええ、き
っと気付くって、信じます。自身を愛すること以上の宝はないって。ーーー
涙が頬を伝い落ちます。何の涙なのかわかりません。許し?よく許しなさいって
言葉を聞きますが、私は嫌いですその言葉は。どこか不遜って感じがその言葉の
中にはあります。ですからそんなものは持ち合わせていません。
でも、ひたすら祈りました。大丈夫、彼女は大丈夫!って。
そう、許しって言葉が生きているなら、それは人に対して遣う言葉ではないの
です。何もかも、いつでも、対峙する相手は自分自身でなければなりません。
ですから、他者が許してあげるわ、なんて、なんと言う傲慢。もっともっと自分
と向き合わなければいけません。許しは、自分に対してだけ!なぜ?さあ、そこ
がわかれば、幸せな自分に出会えるって、500才の魔女は思っています。
500才ともなれば、様々な経験をしてきました。もちろんこれからも。
くも膜下出血の手術後、揺れに揺れた精神は、光を求めました。死ぬのが怖い?
いいえ、生きるのが怖かったのです。
そして、ある時、雷に打たれたような、全身を貫く衝撃が頭のてっぺんから私を
貫いたのです。これは前に書きましたね。光は内なる自分自身にあることを。
その後、私は変わりました。意図的に変わろうとした部分もありました。
何もかも、クッキリし出してきたのです。
モヤ~ッとしてたものが、ハッキリと見えるようになって。
死の淵をのぞいた女には。
メールの彼女は、私が変わったと、なじりました。ええ、そう望んだことです
からどうという事もない。価値観が、開いてきたということだけ。
若かりし頃より、モノ金に関心の薄かった魔女は、浮世の人々に合わせたりしません。
大勢が認めるものやことに、本当に価値がある?って。徒党を組む弱さ醜さが嫌い。
孤独ではありません。それより孤高の一人で善しを望んでいますから、私を、幸せな
私を疎ましく、面白くない人は批判も要らないのです。近寄らないことです。
ただ、それだけのことです。
”ありがとう”の言葉が魔法の力を引き出すことは否定のしようもない事実。
日々にその言葉を言うことがない人はいつも批判者です。目は懐疑的、口はへの字。
今の幸せに、感謝がない人です。
形のあるものに、際限無い欲につき動かされ、決してこれでいい にはならない
無限の無いものねだりをし続けます。ウソでも、ええ、心がこもればベターよ。
”ありがとう”を日に何十回か言い続けてみて。きっと嬉しい「ン?」が起きます。
そして、”私は素晴らしい!”って。”大丈夫!”って。何をためらうの?
笑われるんじゃない?バカみたい?誰も居ない所で言うのです。いつも人の目を
気にするって、自身がいつも他者を非難・批判・比較するから、見えない何かに
怯えるのです。自分自身に怯えるのです。それこそバカらしいでしょう。
魔女も時に悩みます。けれども自分の力を信じて、転ぶ前に立ち直ります。
そこに気付いた自分を褒めます。いつも言うように、私にとって最高の存在は私自
身に他ならないのですから。 ありがとう~~~~~!
頃よりだけど。少し負け犬の遠吠えって感はぬぐえないわね。そして、今。
昨日、最新機械による骨密度測定なんぞへ出掛けて来たのよ。
かなり昔、ひょんな事で測ったことはあるけれど、過去の話は関係は無いわね。
それで、金具は身からはずして、骨の撮影。薄暗い小部屋、程よい硬さのベッド。
このままーーお休みなさいーーーでもいいかしらという感じ。
仰臥・側臥で何枚か。カシャッもパチリもない、「大きく吸って、吐いて~、
止めて」を繰り返し、その回数だけ撮影されたみたい。
次は、違うお部屋で骨密度測定ですって。ベッドに仰臥したまま、50~60cm
角の布に覆われた発砲スチロールのような感触物体に両足を乗せて、静止。
渡された紙片には、私の脊椎写真と、測定結果グラフと説明文。
20~44才までが最も密度が高いそうで、それを100%としたら1,2倍増し。
同年代(まさか500才なんてことはない!)では、なんと1,5倍増しの我が
骨密度だったのよ。カルシウムをいっぱい摂ってる?いいえ!
特別意識したことはないけれど、偏食はない。う~ん、強いて言えば、海草が好き。
大豆を始め豆類が好き。くらいかしら。牛乳はそのままは飲めないし、乳製品は、
まあ、なんでも美味しく戴くだけの食生活。
マリリンのお陰でお散歩は毎日30分~1時間。両隣の駅までは徒歩。
紫外線からはかなりガードの姿だけど、太陽光線は浴びているわね、必要量は。
そんな食生活・運動・太陽光線量が、私の骨を支えているという事。
近くに来ることがあったら電話してよ。
両親の友人だった人の子息、マサアキチャンの事務所がある藤沢へ出たので、電話
したら留守電でした。美味しいコーヒーを飲ませてあげるよ、だったのに。
それで、駅前にあるキッチングッズ専門店で、パン1斤用型と、短い麺棒を買って
う~れしいな!うれしいな!で帰ってきました。
だって、骨は問題ない、探していたパン型、短い麺棒に巡り会えたのよ。
嬉し~~~い!さあさあご飯を炊くように、パンを作りましょう。
な~んにも不足のない、幸せな私です。心は満ち足りています。
アッ、ちょっとしたお話を一つ。
ある女性にメールしたのね、お元気?って。ある人物(身近ではない人)のこと
知ってる?って。博学な女性です。でも、そこから始まる厭味な、ひがみ中傷の
言葉のあれこれ。・・・なんで?
幸せではない彼女の日々が、文面からひしひしと伝わる。悲しくなってきました。
なぜ、人を傷つけるの?この夏、もう一人傷害罪の人がいました。
「人を傷つけるって、肉体だけじゃないってわかるわね?」
「ええ、わかるわ」
確信犯ね。それでも、手紙だけでもやり取りしたい、付き合いたいって。
「さようなら」
今回はここまでにしましょう、自分を好きになってね、さようなら。
件(くだん)のメールの相手にね。
その1時間後くらいだったでしょうか、数秒おきのあくびが始まったのです。
顎が痛くなるほど、涙も。そして、頭痛も同時に起きて、ちょっと寝るわ。
いつもなら、いつでもどこでも眠れる私ですが眠れないのです。
丸々1日そのあくびと頭痛に悩まされました。心は重く、不快感、悲しみでいっ
ぱい。なんで?なんで?私があなたに何をしたの?手を差し伸べることはして
来たわね?物心共に力になってきたつもりよ。それが、このお返し?
人の言動に心を揺らされている自分がイヤでたまりませんでした。
便利な世界で生きているのですから、このパソコンで検索です、あくびについて。
くも膜下出血経験者は、全く怯えがないとは言えない弱い自分がイヤでたまらな
かったです。それで、検索しているうちに、ハタと気付いたの!そう、やっぱり
解決は自分の中にある!って事に。
ーーああ、ごめんなさい。信じてるって、ウソなの?いつも信じきるって言ってる、
のに、何このビビリようは。そんな弱い事でどうするの?!あなたは強いのよ。
優しいのは当たり前。でも、自分を好きなら、愛してるのなら、何オタオタし
てるの?大丈夫!あなたは強いのよ。な~んにも心配することなんかないのよ
ーーーー
強いストレスがあくびも頭痛も引き寄せることがあるって。だからって?それがわ
かったから何?知ったからって、どうするの?だから?
そうです。だから?医者に行く?いいえ!
解決は自分の中にあることに気付きました。
ン?
アラッ、気が付いたら、あくび?頭痛?・・・・・消えてました。
そこで、私は自分に、ありがとうの連発です。
ーーーやっぱりレイコは凄い。ありがとう、ありがとう。------
嬉し涙でグジャグジャです。感謝を捧げました。そこに気付いた自分を賞賛。
遠慮も何もありません。褒めちぎり感謝の言葉を吐き続けました。
でも、・・・
ーーー彼女は生きることが何たるかを知りません。負の言葉が彼女の同道者
なんて。私は彼女が自分の力を知り、自身にとって自分以上のかけが
えのない存在なんてないってことに気付くことを信じます。ええ、き
っと気付くって、信じます。自身を愛すること以上の宝はないって。ーーー
涙が頬を伝い落ちます。何の涙なのかわかりません。許し?よく許しなさいって
言葉を聞きますが、私は嫌いですその言葉は。どこか不遜って感じがその言葉の
中にはあります。ですからそんなものは持ち合わせていません。
でも、ひたすら祈りました。大丈夫、彼女は大丈夫!って。
そう、許しって言葉が生きているなら、それは人に対して遣う言葉ではないの
です。何もかも、いつでも、対峙する相手は自分自身でなければなりません。
ですから、他者が許してあげるわ、なんて、なんと言う傲慢。もっともっと自分
と向き合わなければいけません。許しは、自分に対してだけ!なぜ?さあ、そこ
がわかれば、幸せな自分に出会えるって、500才の魔女は思っています。
500才ともなれば、様々な経験をしてきました。もちろんこれからも。
くも膜下出血の手術後、揺れに揺れた精神は、光を求めました。死ぬのが怖い?
いいえ、生きるのが怖かったのです。
そして、ある時、雷に打たれたような、全身を貫く衝撃が頭のてっぺんから私を
貫いたのです。これは前に書きましたね。光は内なる自分自身にあることを。
その後、私は変わりました。意図的に変わろうとした部分もありました。
何もかも、クッキリし出してきたのです。
モヤ~ッとしてたものが、ハッキリと見えるようになって。
死の淵をのぞいた女には。
メールの彼女は、私が変わったと、なじりました。ええ、そう望んだことです
からどうという事もない。価値観が、開いてきたということだけ。
若かりし頃より、モノ金に関心の薄かった魔女は、浮世の人々に合わせたりしません。
大勢が認めるものやことに、本当に価値がある?って。徒党を組む弱さ醜さが嫌い。
孤独ではありません。それより孤高の一人で善しを望んでいますから、私を、幸せな
私を疎ましく、面白くない人は批判も要らないのです。近寄らないことです。
ただ、それだけのことです。
”ありがとう”の言葉が魔法の力を引き出すことは否定のしようもない事実。
日々にその言葉を言うことがない人はいつも批判者です。目は懐疑的、口はへの字。
今の幸せに、感謝がない人です。
形のあるものに、際限無い欲につき動かされ、決してこれでいい にはならない
無限の無いものねだりをし続けます。ウソでも、ええ、心がこもればベターよ。
”ありがとう”を日に何十回か言い続けてみて。きっと嬉しい「ン?」が起きます。
そして、”私は素晴らしい!”って。”大丈夫!”って。何をためらうの?
笑われるんじゃない?バカみたい?誰も居ない所で言うのです。いつも人の目を
気にするって、自身がいつも他者を非難・批判・比較するから、見えない何かに
怯えるのです。自分自身に怯えるのです。それこそバカらしいでしょう。
魔女も時に悩みます。けれども自分の力を信じて、転ぶ前に立ち直ります。
そこに気付いた自分を褒めます。いつも言うように、私にとって最高の存在は私自
身に他ならないのですから。 ありがとう~~~~~!