昨日のこと、
「三十三間堂の門にペンキがかけられた」というニュースがありました。
幸い、被害にあった門は国宝とかではなかったそうですが、
こういうニュースを聞くと何とも情けないというか索漠とした気分になります。
怒りでもなく、あきれるでもなく、うら寂しくなります。
国宝、あるいは重文か否かは問題ではありません。
「美しいもの」「良きもの」を平気で(あるいは意図的に)損なうことの
出来る人、というのは心の中の美に感応するはずの部分が壊死しているのでは
ないかしらん?
美に感応できない人が人間の機微を汲み取ることができるかしらん?
コミュニケーションなんてとれるのかしらん?
「美を損なう行為」が起こると、つい「美に感応できない人間」の
ざらざらとした胸の内を見せ付けられたようで
なんとも味気ない気分になります。
「美」なんてものは腹の足しにはならないものだけれど
いくら目と頭に取り込んでも邪魔にはならないし、太りすぎの心配もありません。
「命短し、恋せよ乙女」などと申します。
変に斜に構えても人生は過ぎていきます。
この世にあふれている「美」に目を背けているなんて
ああ、もったいない!!