幼い頃から土曜日の夜というのはワクワクしたものだが、それも中心となる核と周辺を配置された世界あってのものだった。
まだ、それは「紅白歌合戦」だの何だの・・・批判しながらも、相対するものが成立しえた時代のことであった。
しかし、その後、この世界は、予定外・予想外の動きをする。
まるで東京電力様の福島原子力発電機1号機~6号機と同じで。
資本主義の頭に「超」が付くほどに加速化をしてしまい、その暴走装置を止められなくなり、街の再開発、土地転がし、地域社会の崩壊、核家族化の末に、暴走機関車が速度を極限まで上げた。
そして、1989年に「バブル崩壊」という目に見える形で大破する。
その後は、ひたすら下落を20年以上続ける自殺者大国となった。
すべての民が浮遊する難民と化した2011年。
80年代初頭以降、カルチャー(枠組み)を東京のサブカルチャーが揶揄し、相対する文化を形成し、崩壊させていく戦いの頃は、私の幸福時代だったのかもしれない。
世界の文化が、東京を中心にして回っていたのだから。
まさに快感そのものだったが、そういう元気も1987年以降ずるずると自分の崩壊とともに、ボーダーレスをとうに超えて、全部が分解され、個・個・個・個・・・・がどう繋がったり/切れたり・・・所詮はその程度のことを20数年繰り返してきただけだ。
***
1982年6月に土曜日の夜中3時に始まったFM東京の「スタジオテクノポリス27」(DJ:ピーター・バラカン&矢野顕子)は、途中でアッコちゃんが居なくなってピーター独りのDJとなり、さらにスポンサーまで降りてしまい、そういう末に最終回を迎えた。
確か、最後の曲はアル・グリーンの「レッツ・ステイ・トゥゲザー(Lets Stay Together)」だったような気がする。
そして、「スタジオテクノポリス27」が終わり、続いた番組が「FMトランスミッション/バリケード(スポンサー:JUN MEN)」だった。
その境目を忘れてしまったが、第一回目の(1)立花ハジメの「テッキー君とキップルちゃん」に入っている機械音で出来たテーマ曲「バリケードのテーマ」~(2)アート・オブ・ノイズ「モーメンツ・イン・ラヴ」~(3)YESの「Leave it」のトレヴァーホーンがMIXした12インチの「ハロー・グッバイ・ミックス」ヴァージョンの流れを聴いて、言葉にある『イスから転げ落ちる』をまでも通り越して「このテクノの変遷の果てはどんな未来に繋がっていくのだろう」という驚愕と恐怖と「それでも乗りかかった船だから降りるわけにはいかない」思いを抱いて、動揺していた記憶がある。
***
結果、なかなか夜中3時だから、そこまで起きているのは難しかったが、このめったには聴けない最先端のニュー・ウエイヴの輸入盤を淡々と語りも無く紹介する「FMトランスミッション/バリケード」を録音し聴いた。
録音したカセットテープはかなり消してしまったが、今残るうちの1つがコレ。
書いてある紙から、A面は1984年5月26日に録音、B面は1985年4月に録音とわかる。
このカセットテープは、よく高校生の夏には聴いた。
すでに聴いて知っている曲も混じってはいたが、1つの流れを成しており、それは貴重なテープだった。
***
そんなわけで、ボブ彦のように「そんな曲は歌えねえんだよ!」と激怒するばかりではない面も必要かと。。。。
アンテナの「カミノ・デル・ソル」を紹介する。
日和っているようにも思われるだろうが、それは今の時代にアンテナに対して言えることで、当時はそういう穢れた存在では無かった。
いとおしい音楽だった。
■Camino Del Sol■
夏の木漏れ日が満たす、このイラストのジャケットの美しさは、今でも愛している。
アンテナは、クレプスキュール・レーベルから出てきた女性3人のユニットで、最初の12インチをジョン・フォックス(ウルトラヴォックス)がプロデュースするなど、完璧なニュー・ウェイヴそのものだったが。。。。
どういう訳か、80年代後半になると、イザベル・アンテナという1人となり、女子大生やオシャレ好き系の不愉快な連中が集うカフェ・バーでかかる音楽に成り果てた。
まあ、そういう段階で、当然自分は見捨てたのではあるが。。。。
この初期のアンテナは素朴で新鮮だった。
当時の新星堂が(エライ)このクレプスキュール・レーベルの入手しづらい12インチ等を採算度外視で輸入販売していた。
アンテナ、ドゥルティ・コラム、ペイル・ファウンテンズ、ミカド、ポール・ヘイグ・・・・み~んな新星堂のお陰だった。
ただし、それは今の新星堂とは違う。
まあ、もう少しで新星堂もタワーレコードもつぶれるか撤退を余儀なくされるだろうが。
残るのは、JANISや神保町のタクトみたいな筋金が通った店くらいになるはずだ。
ほとんどのCDショップは、確実に潰れる。
まだ、それは「紅白歌合戦」だの何だの・・・批判しながらも、相対するものが成立しえた時代のことであった。
しかし、その後、この世界は、予定外・予想外の動きをする。
まるで東京電力様の福島原子力発電機1号機~6号機と同じで。
資本主義の頭に「超」が付くほどに加速化をしてしまい、その暴走装置を止められなくなり、街の再開発、土地転がし、地域社会の崩壊、核家族化の末に、暴走機関車が速度を極限まで上げた。
そして、1989年に「バブル崩壊」という目に見える形で大破する。
その後は、ひたすら下落を20年以上続ける自殺者大国となった。
すべての民が浮遊する難民と化した2011年。
80年代初頭以降、カルチャー(枠組み)を東京のサブカルチャーが揶揄し、相対する文化を形成し、崩壊させていく戦いの頃は、私の幸福時代だったのかもしれない。
世界の文化が、東京を中心にして回っていたのだから。
まさに快感そのものだったが、そういう元気も1987年以降ずるずると自分の崩壊とともに、ボーダーレスをとうに超えて、全部が分解され、個・個・個・個・・・・がどう繋がったり/切れたり・・・所詮はその程度のことを20数年繰り返してきただけだ。
***
1982年6月に土曜日の夜中3時に始まったFM東京の「スタジオテクノポリス27」(DJ:ピーター・バラカン&矢野顕子)は、途中でアッコちゃんが居なくなってピーター独りのDJとなり、さらにスポンサーまで降りてしまい、そういう末に最終回を迎えた。
確か、最後の曲はアル・グリーンの「レッツ・ステイ・トゥゲザー(Lets Stay Together)」だったような気がする。
そして、「スタジオテクノポリス27」が終わり、続いた番組が「FMトランスミッション/バリケード(スポンサー:JUN MEN)」だった。
その境目を忘れてしまったが、第一回目の(1)立花ハジメの「テッキー君とキップルちゃん」に入っている機械音で出来たテーマ曲「バリケードのテーマ」~(2)アート・オブ・ノイズ「モーメンツ・イン・ラヴ」~(3)YESの「Leave it」のトレヴァーホーンがMIXした12インチの「ハロー・グッバイ・ミックス」ヴァージョンの流れを聴いて、言葉にある『イスから転げ落ちる』をまでも通り越して「このテクノの変遷の果てはどんな未来に繋がっていくのだろう」という驚愕と恐怖と「それでも乗りかかった船だから降りるわけにはいかない」思いを抱いて、動揺していた記憶がある。
***
結果、なかなか夜中3時だから、そこまで起きているのは難しかったが、このめったには聴けない最先端のニュー・ウエイヴの輸入盤を淡々と語りも無く紹介する「FMトランスミッション/バリケード」を録音し聴いた。
録音したカセットテープはかなり消してしまったが、今残るうちの1つがコレ。
書いてある紙から、A面は1984年5月26日に録音、B面は1985年4月に録音とわかる。
このカセットテープは、よく高校生の夏には聴いた。
すでに聴いて知っている曲も混じってはいたが、1つの流れを成しており、それは貴重なテープだった。
***
そんなわけで、ボブ彦のように「そんな曲は歌えねえんだよ!」と激怒するばかりではない面も必要かと。。。。
アンテナの「カミノ・デル・ソル」を紹介する。
日和っているようにも思われるだろうが、それは今の時代にアンテナに対して言えることで、当時はそういう穢れた存在では無かった。
いとおしい音楽だった。
■Camino Del Sol■
夏の木漏れ日が満たす、このイラストのジャケットの美しさは、今でも愛している。
アンテナは、クレプスキュール・レーベルから出てきた女性3人のユニットで、最初の12インチをジョン・フォックス(ウルトラヴォックス)がプロデュースするなど、完璧なニュー・ウェイヴそのものだったが。。。。
どういう訳か、80年代後半になると、イザベル・アンテナという1人となり、女子大生やオシャレ好き系の不愉快な連中が集うカフェ・バーでかかる音楽に成り果てた。
まあ、そういう段階で、当然自分は見捨てたのではあるが。。。。
この初期のアンテナは素朴で新鮮だった。
当時の新星堂が(エライ)このクレプスキュール・レーベルの入手しづらい12インチ等を採算度外視で輸入販売していた。
アンテナ、ドゥルティ・コラム、ペイル・ファウンテンズ、ミカド、ポール・ヘイグ・・・・み~んな新星堂のお陰だった。
ただし、それは今の新星堂とは違う。
まあ、もう少しで新星堂もタワーレコードもつぶれるか撤退を余儀なくされるだろうが。
残るのは、JANISや神保町のタクトみたいな筋金が通った店くらいになるはずだ。
ほとんどのCDショップは、確実に潰れる。
一文字一文字に想いを感じます。
レーベルを創る作業は楽しかったですね…
私はこまっしゃくれていたのでしょう、
英語で曲名を書いていました。
気に入っていたカセットレーベルは、ソニーのカセットについていた、風景写真のもの。
夕暮れに大木が映える写真が特に好きで、U2「Shadows and tall trees」を入れたカセットに使っていました。
CDも、一時はラベルを作ったりしましたが、今はマッキーでタイトルをちゃちゃっと書いて終わり。しかもそのまま重ねる。
新星堂には私もお世話になりました(過去形)。
クレプスキュール(すてきな名前です)以外にも質のよいものや、いわゆるレアものを輸入していて
おかげさまでU2のシングル4枚組シリーズや(ここに大好きな「J.swallo」が入っています)
日本では発表されていなかったJAMの「Absolute Beginners」など入手しました。
(JAMでこれを挙げる人はあまり居ないと思いますが、なぜか好きです)
* * * * *
今日は七夕。
こんな天気の変動では天の川は望めそうにありませんが
Swallow Tongue がこの場に導いてくれたことに感謝。
去年の今頃でした。
(-_-#)後一日で済ませたいが問題山積。
今年の夏は、沖縄に行きたいです。
何もしないで過ごす。
かなうように持って行きます。
なんとか。
スワロータンは、このカセットで出会ったんですね。
当時、インスタントレタリングシートを買ったり、いろんな文具と切り抜きを組み合わせていました。
本物の「ミュージックカセット」に如何にして近付けるかに挑戦していた時期もありました。
英語で曲名を書くこともありましたが、なんだか肉感的なコンマ数ミリのペンであえて日本語表記にもこだわっていました。
それは、海の向こうの異国に居て聴いている自分の足元の確認だったのかもしれません。
『気に入っていたカセットレーベルは、ソニーのカセットについていた、風景写真のもの。
夕暮れに大木が映える写真が特に好きで、U2「Shadows and tall trees」を入れたカセットに使っていました』
私は、FMfanの洒落たショットやFMレコパルのマルディロのイラスト、または月刊プレイボーイなどの写真広告の上にカセットを重ねてトリミングしてカッターで慎重に切り抜いたりしていました。
ニューウェイヴのミックスカセットはシリーズ化して、あえてTDKーADに統一して、裏返すと行のあるシートに書き込んでいました。
CDはさくりんさんが言う通りで、最初はテプラを貼っていましたが、今はエンピツ書きで、布の袋に入れるか置き去り。
当時の新星堂は、本当に音楽人として敬意抱くレコードショップでしたねえ。
FM雑誌の人たちもそうでしたが、こういう気概を持った音楽人がたくさん居たものです。
今は、まず経済としての利潤追求の発想が先にあり、そういう汚いよごれた手で音楽を扱う『けだもの』ばかり。
クレプスキュールからU2のシングル4枚組シリーズ・JAM「Absolute Beginners」が出されていたのは初耳でした。
私には、実は買ったけれども手放したポール・ヘイグの『ジャスティス』という12インチへの後悔があります。
あれからレコードもCDも買ったのですが、あの12インチのバージョンには出会えていません。
そんな後悔もいくつかあって「あの時買っていたら」「あの時売らなかったら」そんなものもあります。
今もレコード屋さんのエサ箱を漁りながら偶然の出会いを求めています。
U2およびJAMのシングルは、クレプスキュールのリリースではなく、
新星堂で入手したことをお伝えしたかったのです。
一時でも、紛らわしい情報になってしまいましたね。
文章力が足りず、本当にごめんなさい。
* * * * *
カセットのお話、頷いたり、感心したり、愉しく伺っています。
特徴のあるペンだなあと思っていましたが、やはりコンマ数ミリですか。
私はボールペンも万年筆も太字が好きですが、
ちょうどよい太さのペンとそのインクが用紙にのるかどうかにこだわっていました。
レタリングシートもよく使いました。
特定の文字だけ早くなくなってしまう。
「FMfanの洒落たショット」、私も手元にあります。
丘の上から見おろす異国の街並みの写真です。
* * * * *
今日もお帰りは遅いのでしょうね。
お互い、問題の山ですね。
私のは、だんだんスモーキー・マウンテンのように焦げついてくずぶっています。
「ごはんができたよ」
いつも最後には泣いているうた。
ちょっぴり泣いたけど/こんなに元気さ
の後にくる
ちょっぴり笑ったけど/それが何になるのさ
の正直な、気の移ろい、ヒトの弱さ。
つらいことばかりあるなら帰って帰っておいで
泣きたいことばかりなら帰って帰っておいで
思えば今まで培ってきた大事なモノと少しの人間関係があるから
いつか清算するためであっても、帰って行けるところがあるから
毎日生きていられるような気がします。
何もしない沖縄、叶いますように。
あくせくまわらず、気の向くまま、ただ過ごすのが贅沢というもの。
まずは今週もお疲れ様でした。
了解です。
新星堂というレコード屋さんは、ニューウェイヴが聴きたかった人々には、本当に貴重なレコード屋さんだったと思います。
「FMfanの洒落たショット」
トレイシー・ヤングの曲とともにアップしましたよ。
土日は疲れを取るだけで終わる生活が続いています。
つい「引きこもり」になってしまいます。
特に、こんな放射能日和の炎天下では。
「ごはんができたよ」のカセットのインデックス・カードには夕暮れの赤い写真を合わせましたよ。
「何もしない沖縄、叶いますように。
あくせくまわらず、気の向くまま、ただ過ごすのが贅沢というもの。」
今年は意地でも沖縄に行きたいです。
何もしない空白の時間を過ごさないと、もうエンジン切れです。