こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

音盤日誌:ニューウェイヴ・カセットシリーズ14 1982.10-11 B面

2022-11-30 22:20:00 | 音楽帳

B面
1/ピーター・ゲイブリエル「サン・ジャシント」1982
2/ウルトラヴォックス「リープ・ザ・ワイルド・ウィンド」1982
3/Blancmange「Feel Me」1982
4/Positive Noise「Inhibitions」1982
5/Rockers Revenge「Walking On Sunshine」1982


・当時、毎晩毎晩、たった一人で盛り上がる、夜の小宇宙がヘッドフォンの中で展開していた。
A面の10ccなどは室内にいるのに、星空を眺めているような感覚になった。

B面は、自分の中での当時のヒットパレードみたいで楽しい。
各ミュージシャン/バンド1曲づつだが、1982年でしか創られなかったであろう名曲が並ぶ。
こんなにもたくさんの音楽があって、1982年の夜は興奮して眠れなかった。
40年後の2022年の今は病気のせいもあり、眠れぬ夜ばかり。。。(といいつつ不眠薬と鎮痛薬で眠っている)。1982年と2022年とは同じ不眠でも様相は異なる。
2022年も1982年みたいに日々新しい音楽との出会いや興奮に満たされるなら、安堵で満足するだろうに。。。教授や幸宏の健康問題に始まり、悲しい事ばかりで、絶句しては言葉を失う。

・B1「サン・ジャシント」には夜明け時の、朝もやの風景が見える。実は重い内容の歌というのに、水平線や大地に顔を出してくる太陽が見えてしまう。
教授の「サウンドストリート」でも語りのバックにこの曲が流れる日があったな。。。
この曲を収録したピーター・ゲイブリエル4枚目のソロアルバムは、彼のアルバムでも一番よく聴いたソロであり、当時他に類を見ないサウンドが実に圧巻だった。それは単なるドラムの音とかリズムの作りとかいった部品の良さだけの話しでは無く、迫ってくるリアルな音像と説得力を持っていた。

■Peter Gabriel「San Jacinto」1982■

・B2ウルトラヴォックスは新譜「カルテット」からの軽快な1曲。
YMO含めて多くのミュージシャンに影響を与えた「ヴィエナ」「エデンの嵐」から一転して、明るくポップでキャッチーなシングルカット。
プロデューサーはコニー・プランク&ウルトラヴォックスの共同プロデュースからジョージ・マーティンへと変わった。



■Ultravox「Reap The Wild Wind」1982■

・B3は初めて聴いたブラマンジェの曲。
今でもこれが彼らの中で一番好きな曲かもしれない。エレクトロニック・ポップと言い出したのはこの1982年のことだったと思うが、ブラマンジェもそんなシーンに登場したバンドだった。
これは自分の思い込みだろうが、「Feel Me」のひきつったリフに、ビート二クス(幸宏+鈴木慶一)の「NoWayOut(出口なし)」の影響を感じる。陽と陰の大きな違いはあるものの。



■Blancmange「Feel Me」1982■

・B4ポジティヴ・ノイズは国内で10月に発売となった2枚目のLPからの1曲。
彼らを初めて知ったのは、これまた1981年・教授の「サウンドストリート」だった。当時「Charm」というハード目な曲が掛かったが、この2枚目に入った「Inhibitions」はきらびやかでダンサブルな曲調と、まるでウルトラヴォックスと軌を一にしたようなポップな方向への変化。



■Positive Noise「Inhibitions」1982■

・B5のロッカーズ・リベンジは、今では話題にする人もいないだろうが、当時ヒット曲で、よくFMで掛かっていて好きだった。B1~4はいつも通り「クロスオーバー・イレブン」からのエアチェックだが、このB5だけはFM東京で夕方掛かった瞬間を偶然とらえたもの。
つい数年前、このシングル輸入盤をレコード屋さんで発見した。たぶん、DJやクラブ関係からの流出モノなんだろう、結構キズがついた代物だった。その盤を見ながら、今になって気がついたのはプロデューサー、アレンジとしてアーサー・ベイカーのクレジットがあったこと。彼は、この後やってくる12インチレコードのブームで大きく活躍することになる。



■Rockers Revenge「Walking On Sunshine」1982■

コメント
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