こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

ロビー・ウィリアムス 「ミレニアム」'98

2008-10-18 17:57:17 | 音楽帳


毎年、年末が近づくと、この曲「ミレニアム」を聴きたくなる。

1998年という年は、仕事場で、FMがいつもかかっているせいで、それも、インターFMで、好きな曲が自分の中でたくさん生まれた稀有な年だった。

年末のベストテンまで聞きかじるほどであった。

その中でも、1つの発見が、このロビー・ウィリアムスだった。
この「ミレニアム」以外でも「ノー・リグレット」という名曲もあったね。

90年代は、ほとんど、自分が発見する音楽というのは、JANISでかかっているアルバムが中心だったのだけど、この98年だけは、特別な年だった。

***

このロビー・ウィリアムスというヒト、全然背景を知らずにここまで来たのだが、色んな経歴を持ち、苦労の上にやっと陽の目を見た人だったようです。

HPからの引用。
「アメリカの音楽ファンのほとんどは、Robbie Williamsがヒット曲“Millennium”でポップシーンに登場した新人だと思っているが、実はこのハンサムなシンガーは、'90年代に最も印象的な“カムバックを果たした少年”の1人である。

元メロドラマ俳優であり、イギリスのポップグループTake ThatのメンバーだったWilliamsは、いつも女の子たちの憧れの的として称賛に包まれていた。
――少なくとも母国イギリスにおいては。

Take Thatはアメリカでは本格的にブレイクしなかったものの、その定石どおりのマネージメント・プランのおかげでイギリスでは驚くほどの人気を獲得。
しかし、マーケティング主導で売り出されたティーン向けアイドルグループに、Williamsは自分の創造性が生かされない息苦しさを感じる。
以前から事あるごとにマネージメントや他のメンバーと衝突し、グループの“反逆者”として知られていた彼だけに、'95年、Take Thatをいち早く脱退したのも不思議ではなかった(ある筋の話ではクビにされたとも言われている)。

大胆不敵にも超人気グループを離れ、ソロの道を切り開こうとしたWilliamsだったが、いざそのスタート地点に立ってみると、それは決してたやすい道ではなかった。
彼が信用を獲得するために最初に試みたのは、モダンロックのスーパースターOasisの周りをうろうろすること。
これは彼の音楽的実力にはほとんど役にたたず、ただGallagher兄弟によって、パーティとアルコール、ドラッグの嵐の中へ引っ張り込まれ、1年の大半を費やしてしまっただけだった。

こうして元ティーンアイドルはゴシップ欄に登場し、以前のハンサムな彼とは程遠い、ぶくぶく太った姿をさらすようになる。
加えて最初のシングルであるGeorge Michaelのカヴァー曲“Freedom '90”は、'96年に発売されたものの大失敗に終わった。
というわけで決して前途有望なスタートとは言えなかったが、それでもWilliamsは一歩一歩前に進んでいこうと決意する。

運が向いてきたのは'97年になってからのこと。
2ndシングル“Old Before I Die”と、ソロデビューアルバム『Life Through A Lens』の両方がイギリスで好成績を収める。
世間の反応に刺激されたWilliamsは、翌年、2ndソロアルバム『I've Been Expecing You』をリリース。
さらに自国での成功の勢いを借りて、アメリカ向けにスペシャルコンピレーションアルバム『The Ego Has Landed』を制作。アメリカでの成功に最後の望みをかけた。

メジャーレーベルであるCapital Recordsの強力なサポートと、瞬く間にヒットとなった“Millennium”に支えられて、Williamsはついにアメリカでも注目される存在となった。
再びスリムでハンサムな昔通りのルックスに戻ったことも、その要因ではあったが、皮肉なことに、今日この元ティーンアイドルに再び称賛を贈っているのは、どうも昔から彼に注目していた“元”恋するティーンの少女達らしい。」
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Joy Division 「Shadowplay」'78

2008-10-18 01:24:07 | 音楽帳
Joy Division - Shadowplay


やはり、絶望にひたりたい夜には、ジョイ・ディヴィジョン。

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