京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

三嶋亭で京風すき焼のお食事会

2019年03月23日 17時25分16秒 | 日記
今日、3月23日は「そうだ 京都、行こう。」のイベントで寺町三条にある三嶋亭ですき焼を頂きました。



以前に大丸京都店地下食品フロアにある三嶋亭さんのイートインでステーキ丼を頂いた事はありますが本店では初めてでした。

5代目ご主人の三嶌太郎さんの案内で店内をご案内して頂きました。







どの部屋も凝った作りで床、生け花、掛軸、欄間、天井、照明などそれぞれ違った意匠が施されています。明治6年創業の伝統を至る所で感じます。







店舗の外側三階に掛けられている書は、京都府第三代知事 槇村正直の書ですし、今日のイベント会場 床の間のお軸は醍醐寺門跡の書。
三階踊り場の書は川端康成です。







その後、ご主人から三嶋亭の歴史、肉の仕入れ、肉の良し悪しの見方のお話がありました。



いよいよすき焼の登場です。給事は全て仲居さんがして下さいます。
運ばれてきた肉の刺しにまず感動!



どの肉にも共通だと思いますが脂の旨味で優劣がわかるようで脂の溶ける温度が低い程、いい肉だそうです。

まずはすき焼鍋で砂糖と秘伝の割り下のみで焼かれた肉を頂きます。



なんとも言えない肉の旨味が口の中に広がります。全く脂っぽさを感じず、むしろ芳醇な甘さを感じます。

この割り下についてお聞きしましたが、醤油、みりんがベースになっている以外は仲居さんも知らないそうです。

次に野菜を頂きます。しらたき、麩、玉ねぎ、京野菜の九条葱の他に季節の野菜が使われています。今日の野菜は聖護院かぶらと菜の花でした。冬野菜が終わると春野菜のふきのとうやぜんまいなどに変わるそうです。



次にご飯、香の物が運ばれてきます。



香の物は、ごぼう、春キャベツ、赤かぶらの漬物で白ごはんによく合う美味しさでした。



最後は肉と九条葱のみのすき焼です。肉の旨味と九条葱の甘味はまさしくベストマッチングです。

肉を焼く毎に残った割り下に新たな割り下を注ぎ足すので後になる程に強い旨味が味わえます。

同じテーブルの方はごはんに残りのたまごをかけて食べられていました。
僕はしていませんが、美味しかったでしょうね!

デザートはマスクメロンです。編目の付いたメロンは随分と久しぶりです(笑笑)

お腹も心も満たされ、いいランチタイムを過ごす事が出来ました!

最後にお部屋のしつらえ、調度品の写真です。









三嶋亭の三嶌社長、女将さん、仲居の皆様、「そう京」スタッフの皆様 素敵なお昼をありがとうございました。

「漆軒と印象」明治生まれの堂本兄弟 うるしと日本画の競演

2019年03月23日 09時23分38秒 | 日記
3月17日に堂本印象美術館の企画展「漆軒と印象」展に行ってきました。







印象は、京都を巡っていると寺院の障壁画や襖絵、法堂の龍図などでよく見かける言わずと知れた京都画壇の巨匠ですが、兄の漆軒は全く知識がありませんでした。



堂本漆軒(1889〜1964)は、大正末期から昭和にかけて活躍した漆芸家です。
展示品には、豪華客船あるぜんちな丸(1939年竣工)の一等食堂を飾った蒔絵飾扉が船の模型、食堂内部のパネル写真とともに展示されていました。

また、鉄線を描いた〈鉄線蒔絵飾扉〉は当時では不可能と言われた白漆を見事に表現しています。



また、印象が下絵を描いた漆軒との共作〈印象下絵蒔絵書簡箱〉も興味深かった作品です。
また、印象による〈堂本漆軒の像〉も展示されお互いの芸術性を認め合い、刺激し合ってきたライバルであり、また、仲の良い兄弟という感想を持ちました。本阿弥光悦と俵屋宗達との共作を思い出します。





下の写真は印象のアトリエです。非公開



下の写真は美術館の東に隣接する印象の邸宅です。現在は立命館大学が管理しているようです。
非公開




2019京都 桜紀行①

2019年03月22日 07時04分32秒 | 日記
いよいよ京都に桜🌸の季節がやって来ました。
長かった冬に終わりを告げ塞がっていた気分が桜とともに明るく開花する、、、そんな感じでしょうか?

また、卒業、入学、就職、転勤、、、と人生の節目が桜と重なる事もあるのでしょうか?

まずは17日の百万遍知恩寺の鐘楼横の一本桜です。花びらの色が濃いので早咲きの河津桜でしょうか?





次に京都で最も早く開花する京都御苑北側にある近衛邸跡の糸桜です。

18日(水)の写真です。数輪咲いているくらいです。









ここからは21日の写真です。







ここ最近の陽気でいっきに開花が進んでいます。
今週末には見ごろになる事でしょう!

次に寺町通にある本満寺のしだれ桜です。以前は人も少なく隠れた穴場でしたが今ではメジャーなスポットにになっています。満開になると天蓋のように咲き誇ります。その下では、お釈迦様が説法されているように見えるます。





次に出町柳にある長徳寺門前の一本桜🌸です。
こちらは早くも満開で一部は散り様になっていました。(叡電 出町柳駅の南側)









続編は、まだまだ続きます。

信仰や伝説が渦巻く神楽岡、不思議な神仏を巡る

2019年03月21日 08時35分54秒 | 日記
今日、3月17日は、まいまい京都の「信仰や伝説が渦巻く神楽岡、不思議な神仏を巡る」に参加しました。

知っているようで知らない京都、行った事があるけど知識が定着していない、、、、
記憶を呼び覚まし、知識が少しでも残るように時折、専門のガイドさんによるツアーに参加しています。

集合場所は百万遍知恩寺。境内では早咲きの河津桜でしょうか?すでに見頃になっていました。







百万遍知恩寺の石仏(五劫思惟阿弥陀如来)
いわゆるアフロの阿弥陀さまです。



そのすぐ西側には、関ヶ原の合戦の前哨戦で伏見城で自害した鳥居元忠の墓があります。



京都大学理学部の石仏
理学部工事の際、地中から出てきた石仏をぞんざいに扱ったところ、関係者が次々と病気になった為、ここに集め祀ったと伝わります。



太閤夜泣き地蔵
この地蔵を気に入った秀吉は聚楽第に運ばせたところ、夜な夜な「白川に帰りたい」と言った為、もとに戻されたと伝わります。



白川二体石仏
志賀越えの街道沿いに並んで座っている二体の阿弥陀如来の石仏。鎌倉時代作。
横に立つ道しるべには嘉永2年(1849)の年号が、、、ペリーが浦賀にやってきた頃ですねー。



吉田神社
平安前期の中納言 藤原山蔭が奈良春日神社を勧請し建立。その後、国の祭祀を行う神社に昇格。神官であった吉田兼倶が吉田神道を創始、唯一神道を唱える。



竹中稲荷
由来が不明。民間信仰の神社。春は参道の桜🌸美しいです。





鎌倉地蔵(真如堂)
9尾の狐(玉藻前)の成れの果てである「殺生石」が割れた一部で作られたと伝わる石仏。





芝薬師大興寺
鎌倉時代、後鳥羽上皇が17才で亡くなった長女 昇子内親王のために西陣に建立。本尊は薬師如来坐像で延暦寺の本尊の模刻て伝わります。しかし、中国 宋の影響を受けた独特のお姿をしています。
詳しい由緒はわからないそうです。







かっては山門の北に本堂がらありましたが経年劣化で倒壊の恐れがあったために解体され、現在まで再建されずにいます。ご住職の自宅の一室が本堂がわりになっています。

吉田山周辺の石仏を巡るだけでも、これだけ回れるのですね!


京都御所 天皇陛下御在位30年記念特別公開

2019年03月20日 07時54分25秒 | 日記
京都御所では、天皇陛下御在位三十年記念の特別公開が3月12日から21日まで行われています。





御車寄では花車の展示があり、見事な生花に皆さん写真を撮っておられました。
新御車寄では牛車が展示されていたり、明治、大正、昭和の各天皇の即位に関する展示品やパネルの説明、当時の衣装を見に纏った人形が展示されるなど、いつもと違う雰囲気の御所内でした。







今回は、天皇、皇后陛下しか通る事が出来ない御所正門の建礼門が開扉されていました。



皇太子と言えど建礼門は通れず、東側にある建春門から入られます。



春興殿の改修も終えて再び、美しい姿を取り戻していました。



紫宸殿
天皇が公務や儀式を行う最も格式高い正殿で、いつもは高御座、御帳台が置かれていますが、皇居で10月に行われる即位の礼のために、解体して皇居に運ばれています。



清涼殿
天皇の日常のお住まい。天正18年(1590)に御常御殿に移られてからは、主に儀式に使われるようになりました。



御内庭は曲折した遣水を流して、所々に土橋や石橋を架け、灯籠や庭石を配した庭です。





小御所
幕末期に将軍慶喜の処遇を決めた小御所会議はこちらで行われました。



御学問所
明治天皇による「王政復古の大号令」は、こちらで発せられましたら。



御常御殿
天皇の日常の場。南側には上段、中段、下段の間が備わり儀式や体面の間としても使われました。部屋数は15室からなり、神器を納める剣璽の間もその一室です。明治天皇は東京遷都までの間、こちらでお住まいになられました。