京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

横山大観 画業と暮らしと交流(大観邸)

2019年03月17日 19時43分35秒 | 日記
3月18日まで京都高島屋で開かれている「画業と暮らしと交流 大観邸」に行ってきました。





2017年に旧宅と庭園が国の史跡および名勝に指定された記念の特別展です。



東京都台東区上野池之端に、横山大観が暮らした旧宅が記念館として公開されています。
2017年に旧宅と庭園が国の史跡および名勝に指定された記念の特別展です。は



横山大観は、明治元年(1868)に水戸藩士の子として生まれ、東京美術学校一期生として岡倉天心らに学びました。
天心が同校校長を辞職すると、ともに日本美術院の結成に参画、天心没後には経営が行き詰まっていた美術院を再興しています。
明治、大正、昭和にわたって新しい日本絵画の創造に取り組みました。
私生活では、最初の妻、幼い娘を病気で失い、再婚した妻にも先立たれています。3番目の妻 静子夫人とは、大観が45歳の時に再婚しています。
昭和33年(1958)、89歳で死去しています。

横山大観記念館
明治41年(1908)から過ごした自宅兼画室および庭園からなります。
大正8年(1919)に完成した木造2階建ての数寄屋風日本家屋は、東京大空襲で焼失しましたが、昭和29年(1954)に再建され、大観が亡くなるまでの創作活動の場となりました。
建物の内装や庭園の意匠にも大観の意向が反映されていまさす。庭園には親交のあった細川護立侯爵から贈られた石も配されています。
昭和51年(1976)に記念館として一般公開されています。大観夫妻は生前に語っていた「資産は日本美術発展の為に活用して欲しい」という志を具現化した結果です。



今回の展覧会では〈霊峰飛鶴〉〈或る日の太平洋〉そして、全長26mに及ぶ大作〈四時山水〉のすべてが公開されていました。
また、絵画以外では大観意匠による静子夫人の着物、大観絵付の〈青華酒壜〉五代目清水6兵衛作、画材、画室での創作現場の写真、庭園や鉦鼓洞の写真が展示されていました。