京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

豊国神社(京の夏の旅)

2021年07月28日 08時06分00秒 | 日記
ふ 7月20日は「京の夏の旅」で書院と宝物殿が特別公開されている豊国神社へと来ました。





天下人・豊臣秀吉公は慶長3年(1598)8月18日に亡くなられ、その御遺骸は豊臣秀吉の遺命により阿弥陀ヶ峰に葬られました。

翌年慶長4年には中腹に秀吉公を祀る豊国社が創建されました。






朝廷からは正一位の神階と「豊国大明神」の神号が贈られました。









 唐門(桃山時代・国宝)は伏見城の遺構です。





唐門に向かって右側の3期目の石灯籠は大野治長が寄進した物です。









書院では、狩野内膳の「豊国祭礼図屏風」の複製が展示されています。
本物は宝物館に所蔵されています。(重文)


秀吉公着用の「黄地菊桐文付紗綾胴服」(重文)です。





伝粟田口吉光「薙刀直シ刀」(重文)
普段は京博に寄託されていますが7月11日から18日まで本物が展示されていました。

見たのはレプリカですがかなり精巧に作られています。







宝物殿の入口に何気に置かれていますが辻与次郎作の鉄灯籠です。
慶長5年(1600)の銘があり国指定の重要文化財です。





こちらは先程の「豊国祭礼図屏風」の本物です。





秀吉愛用の「枕」です。
夢を食べると言う、架空の動物・ばくが彫刻されています。

秀吉の馬印の「千成瓢箪」です。





宝物殿を出てさらに東側には大きな石塔の五輪塔があります。

家康の謀略により慶長20年度に豊臣家は滅亡し、後水尾天皇の勅許を得て「豊国大名神」の神号と神社も廃絶させられます。

神号を失った秀吉の墓です。
長年の風格で今では読めないですが「国泰院俊山雲龍大居士」という仏式の戒名が与えられ、ひっそりとお祀りされていました。
あの希有の天下人のお墓が誰も立ち寄らない場所にひっそりとあるのは寂しい限りです。

時代は移り、明治に入ると明治天皇の勅命により神社ならびに豊国廟も復興されました。











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