御香宮神社で正式参拝、発掘物の見学、小堀遠州ゆかりの庭園を観賞後、豊臣秀吉が築いた指月伏見城(第3期伏見城)の痕跡を求めて散策します。
参道を進むと「明治天皇陵・昭憲皇太后陵」の石碑があります。
南側からは近くは宇治方面が、遠くは生駒山や葛城連山が遠望出来ます。
伏見城大手道を東に進むと左手に「松平筑前公園」の公園があります。
この辺りは松平筑前🟰前田利家の屋敷があった場所と推定されています。
五大老のひとつだけあり、広大な敷地を有していたそうです。
ご覧の通り、城の周りには大名屋敷がびっしりと建っています。
秀吉に近い大名には「金箔瓦」の使用が許されたので、大名屋敷群はさぞ煌びやかな光景だったことでしょう。
しかし当初、豊臣秀吉が自身の隠居所として築城した指月伏見城は文禄5年9月(1596)の"慶長伏見大地震"で倒壊してしまいます。
秀吉は直ちに場所を木幡に変えて築城します。(第3期伏見城)
参道を進むと「明治天皇陵・昭憲皇太后陵」の石碑があります。
車寄
皇族の方が参拝される際には、こちらで車を降りられ休息を取られ明治天皇陵に参拝されます。
こちらが明治天皇陵です。
大正天皇以降は東京に陵墓が造られているので、京都に葬られた最後の天皇です。
この地は秀吉時代の本丸があった場所で、陵墓造営の際、大部分が破却されているので石垣をはじめ、秀吉時代の本丸の痕跡はほとんど残っていないそうです。
(宮内庁の管轄下にあるので立ち入る事は出来ませんが、研究者の学術調査の為に数度、公開されたそうです。)
南側からは近くは宇治方面が、遠くは生駒山や葛城連山が遠望出来ます。
数名の方がトレーニングでこの長い階段を行き来されていました。
眼下にはかっては広大な小椋池が広がっていましたが、河川の付け替えで水の流入が無くなり干拓地になりました。
明治天皇陵の東側には昭憲皇太后の陵墓があります。
その後、南側にあるエリアを散策します。
明治天皇陵の南側に"乃木神社"が鎮座されています。
表門は台湾檜の一枚板が使われていています。
台湾では既に台湾檜の輸出が禁止されていましたが、台湾統治時代に善政を行った乃木希典をお祀りする神社建立の為にと特別に許可されたそうです。
JR奈良線の高粱あたりが伏見城の舟入口と推定されています。
京都でも気候が温暖で、水運の良く、経済の中心地・伏見の地は天下人にとって魅力的な土地でした。