京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

新徳寺 京の夏の旅②

2023年08月05日 07時14分00秒 | 日記
 旧前川邸東の蔵に見学に続いて新徳寺を拝観しました。







京都では珍しく、臨済宗永源寺派のお寺です。
観光寺院ではないので普段は拝観する事は出来ません。
(一度、カルチャーセンターの現地講座で拝観した事があります。)







ご本尊は准胝観音菩薩さまです。



屋根葺(やねふき)地蔵尊

大風で壊れた屋根を直してくれた若い法師が地蔵菩薩の化身であったと言い伝えられています。



幕末期に徳川14代将軍・家茂の上洛に際して、尊皇攘夷・討幕の志士たちが集まる京都での将軍護衛目的で江戸幕府は浪士を募集しました。

この「浪士組」の組織を幕府に進言し主導したのが庄内藩(現:秋田県)の清河八郎でした。

文久3年(1863)2月3日に集まった234名の浪士たちは中山道を経由して京都・壬生村に到着、その夜に本部となった新徳寺の本堂に清河八郎は「浪士組」を集め大演説を行なっています。







この演説の中で清河は「将軍護衛ではなく尊皇攘夷を目指す」のが真の目的であると演説しています。
大勢はこれに賛同し再び江戸へと戻りましたが、これに反発しあ芹沢鴨や近藤勇・土方歳三らは清河八郎らと決別し、「幕府権力の維持」を目的に組織された集団が「壬生浪士組」を結成、後に「新選組」と名を改めています。



閑栖(かんせい)住職さんは書や絵がお上手で、本堂内に飾られている清河八郎や勝海舟、山岡鉄舟の人物画は閑栖住職が描かれたものです。



御朱印を授与して頂き、次に壬生寺へと向かいます。