8月8日は京都島原にある「輪違屋」へ。




























"京の夏の旅"で久しぶりに公開されています。
島原の正式名称は「西陣屋敷」と呼ばれますが、京都の人は誰もそうは呼びません。
お寺や神社の名称もそうですが、"通称名"で呼ばれる事がほとんどです。



寛永18年(1641)に東本願寺の北側六条三筋町から京都所司代の命で現在地に移転してます。
その際の移転の際の騒動が、少し前に起こった「島原の乱」を彷彿させる事から「島原」と呼ばれるようになったそうです。



今回、公開されている"輪違屋"は元禄年間の創業を誇り以来300年以上も営業を続けている「置屋」(太夫や芸妓を抱える館)です。
現在の建物は安政4年(1857)の再建です。
① 主の間





室内の設えに歴史を感じます。





名太夫で有名だった吉野太夫の書や新選組組長・近藤勇の書が屏風仕立てで残されています。
② 傘の間
二階にある座敷のひとつで、襖の模様は銀箔の無地に道中傘の紙を貼ったものです。
"輪違屋"のシンボル的な部屋です。

床の間には桂小五郎の軸が飾られています。


③ 紅葉の間
壁には本物な紅葉を塗りこんで乾燥後に取り出し、そこに顔料ど色付けされています。
④ 太夫の間
太夫の控えの間です。
かってはこちらに住まいされていました。

かっては島原も花街のひとつとで輪違屋の北側には"歌舞練場"がありました。


現在は福祉施設になっています。


島原の入口に建つ「大門」
本瓦葺きで切妻の高麗門です。
島原の"顔"的な存在であり、島原の往時の繁栄を思わせる立派な門です。