京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

2019錦秋の京⑯大寧軒

2019年12月04日 19時40分00秒 | 日記
 大寧軒は元は南禅寺塔頭大寧院でしたが明治政府による上地令によりその土地は民間に払い下げられました。







やがて南禅寺がこの土地を買い戻し、藪内家第11代家元、透月斎竹窓(とうげつさいちくそう)により明治38年(1904)頃に作庭されました。
この辺りの"南禅寺別荘群"の多くを手がけた7代目小川治兵衛の作庭ではないところに興味を惹かれます。







植治の庭は東山を借景に作庭された開放感のある庭園が特徴的ですが、大寧軒は茶道の家元が造られた庭園らしくどこか"露地"風を感じるところが多いです。







西側にある滝は琵琶湖疎水から一次利用された水がふんだんに使われて、その水は琵琶湖の形の池を流れ、次に金地院、對龍山荘、無鄰菴、瓢亭へと利用され、ひとつのネットワークを構成しています。
これらのネットワークを解明されたのが京都造形美術大学の尼崎博正先生と植彌加藤造園先々代の社長です。用水路の蓋をひとつひとつ開けて色を流して調査されたそうです。







また、大寧軒の特徴のひとつは石の景物が多いです。右京区にある通称"蚕の社"にある三柱鳥居を模した物や亀型の一文字手水鉢、但馬の玄武洞から運ばれた棒状石、そして当時でも高価な石だった鞍馬石が贅沢に使われています。

その反面、琵琶湖を模した池の周囲の石組みには植治が多く用いた守山石が使われています。








滅多に公開されない庭園だけに参観でき、良い勉強になりました。















2019錦秋の京⑭東福寺塔頭 光明院

2019年12月04日 09時27分00秒 | 日記
 12月1日は、東福寺塔頭光明院で「東福寺光明院で心の大掃除」のイベントがあり参加しました。





いつもは1階から庭園を眺めますが今日はご住職の藤田さまの案内で"観庭楼"の2階から"波心庭"を眺められます。

こちらでご住職のお話があり、東福寺について、また、こちら光明院の住職になられた経緯や修行時代の事、禅宗の食事の心構え"食事五観"をお話下さいました。



ご住職がたてられたお抹茶とおはぎを頂きました。

なかなかこの角度から"波心庭"を眺める機会はないです。感動物です。










"波心庭"は昭和初期の庭園研究家であり作庭家の重森三玲が作庭しています。
この時期、重森三玲は東福寺本坊庭園の作庭を依頼され作庭に取りかかっていた時期です。そこで当時の光明院住職に出会い自坊光明院の庭園を依頼され、本坊庭園と同時進行で作庭することになったそうです。

三尊石を三組石組みし、その形は三角形になっています。その中心本尊から光が放射線状に放たれている様子を表しています。奥のつつじや皐月の刈込みは雲を表現しています。三尊石を阿弥陀如来、観音・勢至菩薩だとすれば来迎図を見ているように感じます。





庭園だけではなく表門前の石柱も創建当初の様式を取り入れるなど決して手を抜く事のない三玲の精神の現れを感じます。









本堂でご本尊さまの釈迦牟尼仏さまにお詣りし、ご住職の案内で非公開の茶室「蘿月庵(らげつあん)」へ。









窓、壁、障子を含めて"月"を表し、「波心庭」から眺めると東の空から月が昇るようにデザインされています。
全てが計算されているのには驚きですね。

何度訪れても何某かの発見のある魅力あるお寺です。
もみじの数より人の方が遥かに多い通天橋を渡るより遥かに心癒されます。



藤田ご住職、お忙しい中ありがとうございました。