京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

幡枝 圓通寺

2019年12月12日 17時00分00秒 | 日記
 鳴滝の了徳寺で親鸞聖人を偲び大根焚きを頂いた後、幡枝にある圓通寺に来ました。






門前には「不許葷酒入山門」(葷酒山門に入るを許さず)の石柱があります。
葷酒(くんしゅ)すなわち臭いのする食べ物やお酒を食した者はこの山門を入ってはいけない。との意味があります。
そのような者は修行の妨げになるからです。






この地は、江戸時代の初期に後水尾院が造営された幡枝離宮の跡を後に禅寺に改めた臨済宗妙心寺派のお寺です。
幕府から禁中並公家諸法度を押し付けられ政治の実権を奪われた後水尾天皇は芸術、文化でその感性を発揮されます。

長年、探し歩かれ辿り着いた地がこちらの幡枝でした。




京都を守護する霊峰比叡山を借景に、生垣と石組、檜の木立だけですが非常に計算された素晴らしい枯山水庭園です。
方丈から見る位置によって比叡山の見え方が変化して行きます。

ご本尊さまの前から見ると両側に柱の額縁庭園に、また、縁側から見ると檜の間から霊峰比叡山が望める趣向です。

改めて「人の立てる石は、生得の山水にまさるべからず」(人の造った庭は自然の美には敵わない の意。橘俊綱編纂の「作庭記」)を肌で感じる庭園です。

しかし、豊富な水を使った庭園を理想とされた院はやがて修学院の地を気に入られ広大な修学院離宮を造営されます。
やはり王侯貴族の遊びは池に舟を浮かべ水面に映った月を愛でたり歌を読んだり、、を理想とされたのでしょうね。

修学院離宮上離宮の浴龍池は、山の小川を堰き止め"大刈込み"の巨大な堤防を築いた人工の池です。






素晴らしい庭園を鑑賞し、次に顕本法華宗の総本山妙満寺へと向かいます。



2019 仁和寺観音堂

2019年12月12日 07時26分00秒 | 日記
 12月3日は、天皇さまが退位された後に住持となられた最初の門跡寺院仁和寺を訪ねました。と言うのも観音堂の公開が当初11月24日まででしたが好評で12月8日まで延長が決まりました。
今回、2回目の拝観です。






平成24年(2012)から6年に及ぶ半解体修理を終え、今年5月にようやく落慶法要の運びとなりました。
観音堂は、仁和寺で修行されているお坊さまの修行の場で通常公開される事はありません。
その観音堂が公開されるのですから是非にも見ておきたいお堂です。

ご本尊千手観音菩薩立像をお守りするように二十八部衆が並び須弥壇の前には風神、雷神像がおられます。


また、障壁画には様々なお姿に変化(へんげ)された観音さまが描かれています。普段、扉を開けられる事もないので色彩がよく残り観音さまの慈悲の世界を感じることが出来ます。

また、裏堂も公開されています。
「法華経」の世界観が極彩色で描かれたおり、上段には観音菩薩さまがいる浄土の世界が、下段には六道の現世が描かれています。



 
国宝の金堂は御所の紫宸殿が下賜され移築された貴重な建物です。
重要文化財の五重塔は仁和寺のシンボルであり、宸殿からの眺めの借景にもなっています。




重要文化財の経蔵です。



重要文化財の九所明神(くしょみょうじん)は仁和寺の北西鬼門におかれ、伏見稲荷や八坂神社など9社がお祀りされています。