鳴滝の了徳寺で親鸞聖人を偲び大根焚きを頂いた後、幡枝にある圓通寺に来ました。
門前には「不許葷酒入山門」(葷酒山門に入るを許さず)の石柱があります。
葷酒(くんしゅ)すなわち臭いのする食べ物やお酒を食した者はこの山門を入ってはいけない。との意味があります。
そのような者は修行の妨げになるからです。
この地は、江戸時代の初期に後水尾院が造営された幡枝離宮の跡を後に禅寺に改めた臨済宗妙心寺派のお寺です。
幕府から禁中並公家諸法度を押し付けられ政治の実権を奪われた後水尾天皇は芸術、文化でその感性を発揮されます。
長年、探し歩かれ辿り着いた地がこちらの幡枝でした。
京都を守護する霊峰比叡山を借景に、生垣と石組、檜の木立だけですが非常に計算された素晴らしい枯山水庭園です。
方丈から見る位置によって比叡山の見え方が変化して行きます。
ご本尊さまの前から見ると両側に柱の額縁庭園に、また、縁側から見ると檜の間から霊峰比叡山が望める趣向です。
改めて「人の立てる石は、生得の山水にまさるべからず」(人の造った庭は自然の美には敵わない の意。橘俊綱編纂の「作庭記」)を肌で感じる庭園です。
しかし、豊富な水を使った庭園を理想とされた院はやがて修学院の地を気に入られ広大な修学院離宮を造営されます。
やはり王侯貴族の遊びは池に舟を浮かべ水面に映った月を愛でたり歌を読んだり、、を理想とされたのでしょうね。
修学院離宮上離宮の浴龍池は、山の小川を堰き止め"大刈込み"の巨大な堤防を築いた人工の池です。
素晴らしい庭園を鑑賞し、次に顕本法華宗の総本山妙満寺へと向かいます。