京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

令和元年 最終拝観②當麻寺塔頭西南院

2019年12月29日 14時01分00秒 | 日記
 當麻寺の本堂、金堂、講堂を拝観した後、西南院(さいないん)に来ました。







関西花の寺 第21番霊場で、春は石楠花、牡丹が、秋はもみじ、冬は椿、蝋梅、千両と一年を通して何かの花々が咲いているお寺です。




境内の西には"みはらし台"があり国宝の東塔、西塔が、、東に目をやると大和三山が、、北には遠く若草山まで見渡せる絶好のビューポイントです。






 
池泉回遊式庭園で江戸時代初期に作庭され、中期に改造が加えられたようです。
いずれにせよ天平時代創建の西塔が庭園のポイントですね!

園路二ヶ所に水琴窟があり、透明感のあるいい音を奏でています。 



最後に、ご本尊さまの御朱印と関西花の寺の御朱印も授与して頂きました。









次に奥院へと向かいます。




奈良県吉野山③如意輪寺

2019年12月29日 06時59分00秒 | 日記
 吉水神社を後に次に如意輪寺へと来ました。






元弘3年(1333)鎌倉幕府を倒し"建武の新政"を成し遂げられた後醍醐天皇は足利尊氏に京都を追われ吉野山で約4年間を過ごされ、その間、如意輪寺を勅願寺とされました。






延元4年(1339)に後村上天皇に皇位を譲られ52歳で崩御されました。

辞世の歌「身はたとえ南山の苔に埋むるとも、魂魄(こんぱく)は常に北闕(ほっけつ)の天を望まん」

如意輪寺裏山の塔尾陵(とうのおのみささぎ)に葬られましたが、他の天皇陵と違い京都のある北に向いています。後醍醐天皇の無念を思います。

後村上天皇の御代、足利氏の大軍が吉野山に攻め上って来るに際し、楠木正行(まさつら)-楠木正成の長男-ら143名が後村上天皇の元に参内し、その後、後醍醐天皇陵に参拝しています。




如意輪堂の扉に辞世の歌を鏃(やじり)でもって刻んで大阪四條畷の合戦へと向かいました。
「かえらじと かねておもえば梓弓 なき数に入る 名をぞとどむる」

負け戦がわかっている状況、正行公の心中はいかほどだったのでしょうか?










お祀りを終え受付でお願いしていた御朱印を頂き、次に向かいます。