かえるネット木津川南

大阪市南西部で活動する日本共産党の青年後援会のブログです。

年金引き下げ 過去最大 原発推進4200億円

2011-12-30 14:56:07 | 政治

消費税率10%「先食い」

12年度予算案閣議決定 民主の公約総崩れ

年金引き下げ 過去最大 原発推進4200億円

野田佳彦内閣は24日、2012年度予算案を閣議決定しました。一般会計の総額は90兆3339億円(11年度当初予算比2・2%減)となりました。特別会計に計上された東日本大震災の復興予算や一般会計に計上されない基礎年金の国庫負担引き上げ財源などの「別枠」分を含めると実質的には過去最大に膨れ上がりました。年金財源は、10年代半ばに消費税率を10%に引き上げることを前提として、これを「先食い」します。日本共産党の市田忠義書記局長は同日、予算案について談話を発表しました。 (市田氏談話)


 「(消費税は)4年間上げない」「コンクリートから人へ」など、民主党が09年の総選挙で掲げた公約は総崩れとなりました。

 基礎年金の国庫負担を2分の1に引き上げるための財源(2兆5882億円)を一般会計に計上されない「年金交付国債」で賄いました。新規国債発行額を11年度並みの44兆円に抑えるという政府の「財政規律」目標を、交付国債という“隠れ借金”によって見かけ上、達成します。

 震災からの復旧・復興のための費用は、新たに特別会計をつくり、3兆7754億円を計上しました。除染、汚染廃棄物処理など原子力災害復興関係経費として4811億円を充てます。

 あくまで原発に固執し、原発推進関連予算として4188億円を盛り込んでいます。

 事実上の軍事偵察衛星である「情報収集衛星」の研究開発に40億円を計上しました。

 幹線道路ネットワークの整備に4899億円、首都圏空港の強化に118億円など、大型公共事業に軒並み計上しました。建設中止を掲げていた八ツ場ダムの本体工事再開に向け56億円(国費)を盛り込みました。

 一方、年金支給額を3年間で2・5%引き下げるために、12年度では0・9%削減します。物価下落に伴う削減分(0・3%)とあわせると1・2%減となり過去最大の下げ幅となります。

 義務教育費国庫負担金が11年度予算比91億円減の1兆5575億円となるなど教育関連予算を圧縮しました。

 軍事費は4兆7138億円(11年度予算比614億円減)と引き続き5兆円規模を維持しています。

 歳入では、税収が42兆3460億円に対し、新規国債発行額が44兆2440億円となり、3年連続で借金が税収を上回ります。

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東電の対応は「不適切」 「事業者任せ」政府を批判

2011-12-30 14:53:15 | 原発・エネルギー問題

福島原発事故調が中間報告

東電の対応は「不適切」 「事業者任せ」政府を批判

東京電力福島第1原発(福島県大熊町、双葉町)事故に関する政府の「事故調査・検証委員会」(委員長・畑村洋太郎東京大学名誉教授)の中間報告が26日、公表されました。事故に対応できなかった政府や東電の問題点を指摘。「過酷事故は起こらない」としてきた政府、電力会社の「安全神話」の弊害を浮き彫りにしています。

 中間報告は、現地視察のほか、自治体首長や450人以上の関係者からの聞き取りにもとづいてまとめました。報告書は本編7章構成で507ページに及びます。

 東電の対応については、3月11日の事故発生直後から、全ての電源を失うなかで、1号機では、原子炉を冷却する最後のとりでだった非常用復水器の弁が閉じて機能不全に陥っていたにもかかわらず、正常に作動していると誤認し、適切な現場対処が行われなかったと批判。「電力事業者としてきわめて不適切」「炉心冷却の遅れを生んだ大きな要因になったと考えられる」と指摘しました。

 政府の事故対応については、現地対策本部の設置場所であるオフサイトセンターが放射性物質を遮断するフィルターが整備されておらず役に立たなかったこと、文部科学省が所管する緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI=スピーディ)によって放射性物質の拡散方向などを予測する計算結果が得られていたにもかかわらず、避難指示の際に活用されなかったと指摘。「この情報が提供されていれば、各地方自治体および住民は、より適切な避難経路や避難方向を選ぶことができた」としています。

 過酷事故(シビアアクシデント)対策を電力事業者まかせにしてきた政府の対応を批判。「事業者の自主保安に委ねれば済む問題ではなく、規制関係機関が検討の上、必要な場合には法令要求事項とすべき」だと強調しています。

 一方、津波が来る前の地震の影響による原子炉圧力容器や重要な配管類の破壊については「これまでの調査で確認できていない」としつつ、最終的な判断は「現場の状況を視認できる将来のある時点まで待たなければならない」と今回の報告には入っていません。

 最終報告は来年夏ごろに公表予定。中間報告書は同委員会のホームページに掲載し、来年1月末まで意見募集するといいます。


再稼働ありえぬ

市田書記局長 原因究明これから

 日本共産党の市田忠義書記局長は26日、国会内での記者会見で、原発の過酷事故対策が「極めて不十分」だったと断定した政府の事故調査検証委員会の中間報告について問われて、「わが党が以前から指摘した通りだが、政府の事故調であっても安全神話の弊害を認めざるをえなくなっている」と話しました。

 市田氏は、「今回はあくまで中間報告であり、事故原因の究明は本格的にはこれからだ」と指摘。「事故原発の炉心の状態など事実をありのままに全面的につかんで徹底的に究明する必要があり、それを抜きに原発再稼働などありえない」と強調しました。

 市田氏は、野田佳彦首相の「事故収束」宣言に対しても、「事故原因もいまだ明確にならず、いまも放射性物質に汚染された水が海に垂れ流されている。なによりも地元に帰れない避難者が無数にいるもとで、何が『収束宣言』か」と厳しく批判しました。

 「収束宣言」による幕引きなどではなく、「いまは事故原因を落ち着いて究明することが大事だ」と強調しました。



家族離散 体験98%

2011-12-24 09:50:45 | 東日本大震災

原発避難世帯

家族離散 体験98%

福島大が調査

3月の東京電力福島原子力発電所の過酷事故で避難を余儀なくされた世帯のうち98%が家族離散を体験していることが、21日の原子力損害賠償紛争審査会に提出された調査で分かりました。

 この調査は、福島大学災害復興研究所が、震災前に双葉郡8町村(浪江町、双葉町、大熊町、富岡町、樽葉(ならは)町、広野町、葛尾(かつらお)村、川内村)に居住していた避難者すべてを対象に行ったものです。9月から10月にかけて2万8184人を対象に調査し、1万3576人から回答を得ました。

 調査によると、震災後、家族離散を体験した世帯は、8町村全体で97・9%に上ります。

 仕事については、無職の人が震災前の28・2%から震災後の54・3%へ急増しました。とりわけ、会社員数が大幅に減少しており、33・5%から20・2%へ低下しました。

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被災地 教職員3割 抑うつ

2011-12-23 10:39:51 | 東日本大震災

被災地 教職員3割 抑うつ

泊まり込み避難所運営 減らない学校業務

宮城県教組調査

東日本大震災を経験した教職員の3割に抑うつ傾向が見られる―。宮城県教職員組合が小・中学校の教職員を対象に行った「教職員の生活・勤務・健康調査」で、教職員の過酷な実態が浮き彫りとなりました。


 同調査は9、10月に実施。管理職を含む3375人から回答を得ました。

 現在の勤務や教育活動で特に困っていることや悩んでいることを学校別に聞いたところ、「放射能に関わる対応」(48・6%)、「転出入に関わる事務量の増加」(37・3%)、「家庭の経済状況が困難な児童・生徒の増加」(35・6%)、「運動場・体育館・特別教室の確保」(33・2%)と続きました。(グラフ1)

 震災後、学校は避難所として利用されました。広域合併で自治体職員が減らされる中、多くの教職員がその運営に携わっていました。業務内容を見ると「支援物資の受け付け・保管・配布」(68・8%)、「水くみ・トイレ掃除」(67・6%)、「学校管理のための泊まり込み」(56・5%)など多岐にわたります(グラフ2)。泊まり込み日数では、10日以上という教職員が1割強。毛布や食料、飲料などの防災備品は「ほとんどなかった」「全然なかった」で約4割もありました。

 教職員も被災者です。3分の2は住宅や宅地に何らかの被害を受けています。生活上困っていることでは半数以上が「家屋の修理や家財の購入負担が大きい」と答え、「通勤時間が増えた」(14・4%)、「親族の世話・介護の負担が大きい」(11・8%)と続きます。

 自らの被災に過重業務がのしかかり、教職員の健康をむしばんでいます。自己調査によるメンタルストレスチェックでは「軽度の抑うつ傾向あり」が23%、「中程度の抑うつ傾向あり」が7%、計約3割が抑うつ傾向にありました。(グラフ3)

行政の体制整えて

 同調査結果について、宮教組は以下のように分析・要望しています。

 勤務に欠かせない自家用車やパソコンなどたくさんの物が流され、経済的な負担は大変です。生徒の安否確認や教職員間の連絡にひんぱんに使った携帯電話料金ぐらいはせめて補償してほしい。また今後も学校を防災拠点にするのなら、教職員や地域の方々が不眠不休で避難所運営を行ってきた事実を踏まえ行政の体制をつくるべきです。

 県教委に要求してきた全教職員への健康調査が、今月はじめにやっと実施されました。結果がまとまる3月を待たず、深刻な状態にあるとわかった人には医師と面接するよう、県教委は積極的に働きかけてほしい。そもそも多すぎる業務量を減らして、休暇をとれるようにしてほしい。


◆困っていることの自由記述から

 *市教研など本年度は無理にやらなくてもいいことまで「普段通り」にやろうとしている。(40代女性)

 *震災の年なのに校内研究が昨年より大変であり、とてもつらい。他にも例年通りしていることが多々あり、皆疲れがたまっている。町の学力向上のためなのか指導主事をわざわざ呼んだり、全員授業、指導案作成をと言われたりして精神的にとても負担。(50代女性)

 *体調が悪いのになかなか休めない。(50代女性)

 *身内が亡くなったことについて、いまだ気持ちの整理がつかない。(20代女性)

 *がんばっているつもりだが、先が見えないことが多く、不安である。(40代男性)

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 その他の業務の例…駐車場誘導。身元確認の対応。深夜警備。外部との渉外。避難所でのルール・情報を書き出して校内に貼る作業。避難者の服用する薬の調査。ストーブ設置。仮設トイレ設置。たきぎ集め。体の不自由な方や高齢者への介助。

 

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「綱領教室」志位委員長の第9回講義

2011-12-23 10:05:10 | 日本共産党政策・提言等

「綱領教室」志位委員長の第9回講義

●第4章 民主主義革命と民主連合政府(1)

先駆的な民主主義革命論

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(写真)「綱領教室」で講義をする志位和夫委員長=20日、党本部

 「今月の『古典教室』で学んだ革命論、4中総で強調した民主連合政府樹立という目標、『綱領教室』では民主主義革命論と、“革命″という問題で“合流”する形で学ぶことになりました」。志位和夫委員長は、20日に党本部で開かれた第9回「綱領教室」の最初にこうのべて、綱領第4章「民主主義革命と民主連合政府」の講義を開始しました。

日米安保条約を廃棄し 真の友好築く

 志位さんは、本題に入る前に、北朝鮮の金正日総書記の死去にかかわって、2002年の日朝平壌宣言、05年の6カ国協議の共同声明に立ち返り、「国際社会の責任ある一員としての道をすすむことを願う」という党の立場について表明しました。(詳報は21日付1面)

 志位さんは、「異常な対米従属と大企業・財界の横暴な支配の打破」をはかる「民主主義革命」論について、「綱領路線の一番の核心をなす部分」とのべるとともに、「民主主義革命」の路線そのものについて、その意義を三つの角度から語りました。

 第一は、この路線が、世界の運動の「常識」を覆すものだったということです。「世界でも日本共産党だけだったといっていい、先駆的なものでした」と志位さん。

 日本共産党が綱領で民主主義革命の路線を決定した1961年当時、民主主義革命といえば、フランス革命など反封建の革命や、中国革命のような植民地・従属国での反帝・反封建の革命のことで、「発達した資本主義国では社会主義革命」ということが「常識」とされていました。

 60年の81カ国共産党・労働者党代表者会議で、日本共産党代表団は、発達した資本主義国での民主主義革命という問題を提起しましたが、「共同声明」では、社会主義革命路線が強く押し出され、民主主義革命には「ヨーロッパ以外の」という地域的限定がつけられました。

 日本国内では、社会党が「社会主義革命一本やり」の立場から、「ブルジョア民族主義への転落」などと激しく攻撃したものでした。

 「発達した資本主義国での民主主義革命」という路線は、国際的にも国内的にも、他に類のないきわめて先駆的なものでした。

 第二に、半世紀の日本の政治史で、その正しさと生命力が検証された――こう志位さんは力説します。

 61年に綱領路線を決めたときに、論争の焦点となったのは、(1)アメリカへの従属関係をどう評価し、対米独立(反帝独立)の任務をどう意義づけるか、(2)大企業・財界の横暴な支配に反対する闘争(反独占)の性格をどうとらえるかにありました。

 綱領路線に反対する人たちは、「アメリカへの従属関係は、日本の経済力が強まれば次第に解消する」として、対米独立の任務を革命の戦略的任務とすることに反対しました。また、「反独占なら社会主義革命しかありえない」という立場に固執しました。

 「半世紀の政治史によって決着がつきました」と志位さん。(1)この半世紀に、日本は「経済大国」となったが、無制限の米軍基地特権、日米軍事共同体制の強化など、対米従属はいよいよ深刻になり、対米独立は革命の戦略的任務とすべき課題であることがますます明瞭になったこと、(2)大企業・財界の横暴とたたかう国民のどんな要求も、民主主義的要求となることは、半世紀の国民のたたかいの発展のなかで豊かな姿で示されていることを強調しました。

 志位さんは、「民主主義革命の路線を決めて半世紀たつのにまだ実現していない」という疑問に答える形で、民主主義革命の路線とは、いざ革命を実行するときに初めて力を発揮するわけではないと説明。「わが党の日常のすべての政策活動、国民運動、国際活動に、生きた力として働いてきました。民主主義革命という路線をもっているから、それぞれのたたかいの戦略的意義づけが明瞭となり、正面から本腰で取り組むことができます。民主主義革命は、将来の目標であるとともに、日々のたたかいの指針でもあるんです」と解明しました。

 「社会主義革命一本やり」で、対米独立を戦略的に位置づけることを回避した社会党が、80年の「社公合意」で日米安保肯定に至った経過に触れ、「日本社会が直面する一番の課題を回避すれば、勇ましいことを言っても、転落に陥る」ことは法則的だと指摘しました。

 第三にあげたのは、民主主義革命の路線は、日本独自のものですが、「世界的視野で見て、一般性をもつ側面も、ある程度は含まれている」ということです。

 資本主義の「グローバル化」への対応を解明した第22回党大会(2000年)で、民主的改革のいわば“国際版”として打ち出したのが「民主的国際経済秩序」であり、この立場は綱領にも明記されました。

 志位さんは、大会後10年余の世界の経済構造の変化を振り返り、IMF(国際通貨基金)路線押し付けの大破綻、OECD(経済協力開発機構)非加盟国(新興国・途上国)が年ごとに力を増す経済関係の構造変化、08年からの世界経済危機を契機にG8からG20へと枠組み自体が変わったことなど、「新しい民主的な国際経済秩序を築くことが世界政治において現実の目標になってきました」とのべました。

 「独立・民主・平和の日本の実現は、資本主義の枠内で可能な民主的改革」であるのに、なぜ革命というのか――。

 志位さんは「革命とは、ある社会勢力から、他の社会勢力に『国の権力』、国家機構の全体を移すことです。そのことによってはじめて民主的改革を全面的に実行できるようになります」と語りました。

 「革命というと民主党を思い出します」と志位さん。自らの「政権交代」について、「革命的改革」とか、「民主主義革命」とかいいましたが、「日本の独占資本主義と対米従属の体制を代表する勢力」(綱領)がしっかり握っていた「国の権力」には指一本触れず、行き着いたのは自民党政治の継承者になることでした。「私たちが目指す革命とは、こうした『政権交代』とはまったく違う、根本的な日本の変革です」

 志位さんはここで、「もう一つつかんでいただきたいこと」として、日本共産党が、「国民多数の意思にもとづく、社会の段階的発展の立場」をつらぬいていることをあげました。

 同時に、日本社会はいわば「二重の矛盾」(日本社会に特有の矛盾、資本主義そのものの矛盾)に直面しているとし、当面する民主主義革命を達成するための多数派結集に力をつくしながら、資本主義を乗り越える未来社会論を大いに語るという姿勢を強調しました。

マルクスとリンカーン 意外な接点

 講義は、民主的改革の主要な内容を定めた第12節の第一の柱「国の独立・安全保障・外交の分野で」に進みました。第1項で、日米安保条約の廃棄と日米友好条約の締結を明記しています。

 志位さんは、安保廃棄派を多数派にしていくことは、民主連合政府への国民的条件を成熟させていく最大の要をなす問題だと強調し、1968年の参院選で党が「条約第10条の手続き(通告)による廃棄」を提起し、大きな反響を呼んだことを紹介しました。

 そのうえで、日本共産党が、帝国主義の政策と行動への断固たる批判者であると同時に、反米主義ではなく、アメリカの民主主義の歴史への深い尊敬を持ち、真の友好を願っていることを語りました。

 ここで志位さんが、「民主主義の偉大な歴史」に関連して紹介したのは、マルクスとリンカーンの交流秘話です。

 志位さんは、マルクスとリンカーンが歴史的に重なる時代に生きたことを、ホワイトボードに書いた略年表で示しながら講義を進めました。

 リンカーンは、1861年~65年のアメリカ大統領で、南北戦争をたたかい、その最中に奴隷解放宣言を出しました。

 そのリンカーンが、64年の大統領選で再選された際、マルクスは国際労働者協会(インタナショナル)の委託を受けて祝辞を送り、「一つの偉大な民主共和国の思想がはじめて生まれた土地」としてアメリカを民主主義の発祥の地と特徴づけました。リンカーンはマルクスに返書を書き、「新たな励ましとして、努力を続ける」と伝えました。

 うなずきながらメモを取っていた受講生が、いっせいに顔をあげたのは、志位さんが「最近になって、この交流は偶然のものでなく、興味深い背景があったことを知りました」とのべて、一冊の本を取り出したときです。今年、アメリカで出版された『“S”で始まる言葉――アメリカの伝統としての社会主義小史』です。

 志位さんは、この本のページをめくりながら、リンカーンは、マルクス・エンゲルスが1851年から62年にかけて多数の政治論評を寄稿していた新聞「ニューヨーク・トリビューン」の熱心な読者だったことを紹介すると、「ほーっ」と驚きの声があがりました。

 同書では、リンカーンが、大統領に就任する前のイリノイ州での「トリビューン」の最も熱心な読者だったこと、「未来の大統領は、『トリビューン』とその最も有名な欧州通信(マルクスの論説のこと)を熟読することで、遠隔地の分裂(ヨーロッパの階級対立)と国内の出来事を関連づけて考察していたことは疑いない」と書いています。

 志位さんは続けます。

 ――1848年のヨーロッパ革命ののちにアメリカに逃れてきた、マルクスの友人も含むドイツの多くの革命家が南北戦争に参加し、重要な役割を担った。

 ――マルクスは、南北戦争が「連邦存続」の戦争から「奴隷制廃止」戦争に発展せざるを得ないと予見したが、事実はその通りにすすんだ。

 ――リンカーンは、就任後初の一般教書演説で「労働は資本に優越し、より高位に位置づけられるにふさわしい」とのべ、南北戦争が奴隷解放だけでなく「労働者の権利のための戦争」であると語った。

 「20世紀に入ってアメリカは帝国主義の道を歩むことになりましたが、科学的社会主義の創設者の一人と、アメリカ共和党の創設者が、大西洋をはさんでこうした絆で結ばれていたことは、興味深いことではないでしょうか」

 さらに志位さんは、昨年の米バーモント州訪問で、今も草の根に息づく民主主義の歴史の深さを感じたことにも触れ、「将来、友好条約を結ぶ相手として、アメリカという国をまるごと知ることが大切だと思います。今のような支配、従属をやめれば、真の友好関係がどんなにか広がることでしょう」と実感を込めて語りました。

 つぎに、第3項の自衛隊の段階的解消の方針に話を進めました。

 党は、第22回大会で、三つの段階を踏んで、自衛隊を解消する方針を決定し、綱領にもこの立場を明記しました。

 「なぜ即時解消でなく、段階的解消か?」「憲法違反の自衛隊の活用は矛盾ではないのか?」など、よく出される疑問に答える形で、憲法9条と自衛隊の現実との矛盾を解消するため、9条の完全実施にむけて、国民の合意を尊重しながら、段階的に進む立場を説明しました。

 「この問題は、民主連合政府が樹立されたら即座に回答が求められますが、その前に答える機会がやってきました」と笑いを誘った志位さん。2001年参院選の党首討論での、自民党の小泉首相(当時)とのやりとりを再現すると会場から拍手が。志位さんは、「この方針によって、自衛隊解消にむけた最も現実的・合理的な道筋が明瞭になるとともに、『日本が攻められたらどうするのか』という疑問への説得力のある回答が可能となりました」と強調しました。

 今回の講義の最後に、第4項の「平和外交の中心点」について、これは党の野党外交の基本方針でもあることを指摘しました。

 「日本が過去におこなった侵略戦争と植民地支配の反省を踏まえ、アジア諸国との友好・交流を重視する」。この綱領の提起について志位さんは、侵略戦争を美化する逆流を許さないことはもちろんだが、それにとどまらず、過去の清算に積極的に取り組むことを強調しました。

 先日実現した朝鮮王朝儀軌(ぎき)の返還にかかわって、志位さんが訪韓したとき、緒方靖夫副委員長、笠井亮衆院議員をはじめ党議員団が実現に力を尽くしたことに韓国側から繰り返し謝意が寄せられ、韓国で出版された本『儀軌・取り戻した朝鮮の宝物』には、日本共産党が「決定的役割」を果たしたと書かれていることを紹介しました。

 「従軍慰安婦」問題では、謝罪と賠償の問題が解決されていません。「この問題でも誠実に歴史の事実に向き合うことは、両国民の未来にわたっての友好にとって避けて通れません」と志位さん。

 「綱領の平和外交の方針を、野党外交として一つひとつ実践し、アジアや世界の国々と平和と友好の関係をつくるために力をつくしたい」とのべ、講義を締めくくりました。