山内 圭のブログ(Kiyoshi Yamauchi's Blog)

英語教育、国際姉妹都市交流、ジョン・スタインベック、時事英語などの研究から趣味や日常の話題までいろいろと書き綴ります。

カンボジアスタディツアー無事帰国しました(2019年12月29日)

2019-12-29 08:38:50 | 旅行
先ほど、カンボジアスタディツアー団、帰国しました。

無事に行って来れて安堵しております。
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カンボジアスタディツアー報告(2019年12月28日)

2019-12-28 22:20:39 | 旅行




今日はアンコールワットの日の出ツアーを皮切りに、アンコール・トム、タ・プロムのアンコール遺跡の見学をしました。

夕食をとり、空港にやって来ました。

これから搭乗です。

無事帰国したいと思います。
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カンボジアスタディツアー報告(2019年12月27日夕方)

2019-12-27 22:54:08 | 旅行






今日の夕食はラーマヤナの影絵ショーを見ながら夕食をいただきました。

その後は現在ナイトマーケットで買い物中です。
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カンボジアスタディツアー報告(2019年12月27日午後)

2019-12-27 19:40:26 | 旅行
















今日の午後は、田舎の小学校であるコクチャン小学校を訪問しました。

小学校4年生の、授業(トウモロコシの種子の栽培法について勉強していました。教科書の他の内容も見せてもらいましたが、おそらく日本でいう生活科のようでした)の見学をさせてもらい、その後、室内や屋外で児童たちと交流しました。

こちらでも文房具の寄贈をさせていただきました。

その後はカンボジアの負の遺産キリングフィールドを見学しました。

カンボジアの歴史はとても複雑ですが、ガイドのサムナンさんの力のこもった説明を聞きました。

虐殺から生き残ったSum Rithyさんのお話も伺うことができました。
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カンボジアスタディツアー報告(2019年12月27日午前)

2019-12-27 15:05:10 | 旅行

今日の午前中は、まずアンコール小児科病院の見学をさせていただきました。

その後、街中のフンセン小学校を訪問させていただきました。
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カンボジアスタディツアー報告(2019年12月26日午後)

2019-12-26 20:08:33 | 旅行


















今日の午後はNPOのHeroの活動、小学生に衛生教育(手洗いと歯磨きの仕方の指導)のお手伝いをさせていただきました。

その後は、折り紙などの日本の遊びで交流。

大学内で寄せられた文房具を寄贈させていただきました。
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カンボジアスタディツアー報告(2019年12月26日午前)

2019-12-26 15:39:00 | 旅行






今日の午前中はカンボジアのの農村などの女性たちの自立を支援するNPOのSUSU工房の見学に行きました。

また、工房で働くお一人の農村の家を見せていただきました。
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映画紹介: Yesterday(イエスタディ, 2019)

2019-12-26 00:30:30 | 日記
カンボジア・スタディツアーの行き、関西国際空港から経由地ベトナムのホーチミン・シティまでの機内で以前から観たかった映画Yesterday(2019)を観ました。



ロンドンの売れないミュージシャンJack Malikが世界同時停電が起こった際、交通事故にあいます。

その結果、ビートルズがいないことになっている世界にたった一人(実は後にたった一人ではないことがわかるのですが)彼だけがビートルズのことを知っている人になるという状態が発生します。

彼は、次々にビートルズの歌を披露すると、一躍スターダムにのし上がります。

面白いことにその世界には、ビートルズだけではなく、コカ・コーラ(coke)(ペプシコーラは存在している)や煙草(cigarette)やハリー・ポッター(Harry Potter)も存在していないことになっているのです。

この映画、彼がビートルズの曲を「盗作」しているのがばれて終わるのか(彼は何度かそのことにおびえていますが)、それとも正直に告白して終わるのか、あるいはもう一度事故にあって元の世界に戻るのか、そのままスターとして一生を終えるのか、どんな終わり方をするのかなあと思いながら見ていました。

どのような終わり方をするのか、ここには書きませんが、興味がある人はぜひご覧ください。

また、とても印象的なエピソードは、主人公ジャックがリバプール出身のジョンという78歳の男に会うことです。

この世界にはビートルズが存在していないので、このジョンさん、若くしてニューヨークで暗殺されることなく、漁師として生きているのです。

日本人にとって面白いのは、世界同時停電の際、日本の放送局の放送シーンや東京タワーの明かりが消える場面が出てくることです。

だから映画の最後のSpecial Thanksの中にTokyo Towerと書かれていました。





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カンボジアスタディツアー無事到着(2019年12月25日)

2019-12-26 00:07:37 | 旅行


カンボジアスタディツアー、本日、関西国際空港を朝、出発しベトナムのホーチミン経由で無事研修地のシェムリアップに到着しました。

ホテルにチェックインして、夕食をいただき、近所のスーパーマーケットに買い物に行きました。

今は全員戻って、それぞれ部屋で休んでいます。
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カンボジアスタディツアー報告出発(2019年12月25日)

2019-12-25 09:54:35 | 旅行

ただいまからカンボジアスタディツアー出発します。

気をつけて行って来ます。
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新見市英語学習表現発表会記事(『備北新聞』2019年12月15日)

2019-12-25 00:22:47 | 日記
先日の『備北民報』に続いて、『備北新聞』2019年12月15日版にも先日の新見市英語学習表現発表会で講評をさせてもらったことを報じていただきました。

ありがとうございます。
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新見市英語学習表現発表会記事(『備北民報』2019年12月13日)

2019-12-14 09:57:57 | 日記
2019年12月13日の備北民報で先日の新見市英語学習表現発表会で講評をさせていただいたことを報じていただきました。
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新見市国際交流協会友好・姉妹都市交流会・クリスマス交流会記事(『備北民報』2019年12月12日)

2019-12-14 09:55:59 | 日記
2019年12月12日備北民報で先日の新見市国際交流協会の友好・姉妹都市交流会・クリスマス交流会について報じられました。
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ニューパルツ元市長トム・ナイクイストさん追悼文日本語訳

2019-12-08 23:15:40 | 日記
先の記事で取り上げたトム・ナイクイストさんの追悼文を取り急ぎ、以下のように日本語に翻訳してみました。



トーマス・ユージーン・ナイクイストは、1931年6月20日、モンタナ州フロイドの北東にある両親が開拓した小麦農場と牧場の家で生まれました。彼は大恐慌とダストボウルの中を生き、教室が1つしかないハモンドカントリー小学校に馬で通い、町の7人のクラスで卒業式の総代を務め卒業しました。
彼には大きな夢があり、大学に行きジャーナリズムを専攻するつもりでした。しかし、朝鮮半島の紛争で沖縄の軍隊に入隊し、日本と台湾を訪問した後、彼は帰国し、ミネソタ州のマカレスター大学で政治学を学びました。そこで彼は、国際関係を研究していたコリンという結婚相手、そしてその後63年近く連れ添うこととなる妻と出会いました。彼はモンタナ大学ミズーラ校で修士号を取得し、ソーシャルワーカーとして2年間働いた後、イリノイ州ノースウェスタン大学でアフリカ研究の博士号を取得しました。
トムは内戦中のスーダンの田舎で博士号の研究を進め、妻と子供たちはそれに同行しました。卒業後、フルブライト奨学金により、アパルトヘイトの南アフリカに18か月間派遣されました。一家は、1968年にトムがニューヨーク州立大学ニューパルツ校でアフリカ研究の教授になったため、ニューヨーク州ニューパルツに移り、トムは後に補助金開発担当としてニューヨーク州立大学本部で管理者になりました。
トムは、社会と人類のために生きる意味のある人生を強く望んでいました。彼はその後、ニューパルツ・ヴィレッジの計画委員会とニューパルツ警察委員会の議長を務め、ウルスター郡議会やニューパルツ・ヴィレッジ議会に選出され、副市長、市長代理、そして4年の任期を4期務める市長に選出されました。
市長として、彼はインフラだけでなく居住性にも関心がありました。彼は何マイルもの美しいレンガと石の歩道の建設を監督し、現在の4つのヴィレッジ内の公園のうちの3つ、ハズブルック公園、ソジャーナー・トゥルース公園、レイル・トレイルができました。彼は、日本の新見市/大佐町と姉妹都市関係を提携し、ソ連からの訪問団を迎えることにより、国際交流に対する関心を保ちました。彼は平和公園(ピースパーク)を拡張し、発展させました。
トムはまた、YMCA、ウルスター・パフォーミング・アーツ・センター、ウォルキル・バレー・レイル・トレイル、歴史的ヒューガノット通り協会の役員を務め、国際ロータリー・クラブやパルツ・クラブのメンバーでした。サービス・ラーニングのための国際パートナーシップ委員会では、彼とコリンはチェコ共和国、エクアドル、英国、ジャマイカ、メキシコ、サウスダコタ州ローズバッド原住民居留地を訪問しました。トムとコリンは、ニューヨーク・アフリカ研究協会の創立メンバーであり、役員も務め、トムは50年近くにわたり、その機関紙を共同編集してきました。
(半)退職後、トムはコミュニティ・カレッジの助成金募集に関する購読用機関紙を執筆し、それを無料のオンライン・ニューズレターに移行し、彼が87歳になるまで続けました。
彼と家族は2004年に、モンタナ州で相続した小麦農場からの年間収入を使用して、ニューパルツとフロイド地区の対象となるグループにベンチや庭や小道や劇場やアーチェリーや書籍、そしてコピー機、ドア、屋根などの必需品の資金を提供しました。また、モンタナ州の奨学金とエッセイ・コンテストにも資金を提供しています。
モンタナ州の土地の小さなオイルリースが実現したとき、トムとコリンは収入を使ってニューパルツのナイクイスト・ハーコート自然保護区を設置し、ニューパルツの人々の利益のため、一つの仕事をやり遂げたという満足感のため、ほとんど単独で保護区を維持しました。彼は、亡くなることになる日にも保護区のチェックのために最後の散歩をしました。
最後に、トムは、聞いてくれる人には誰にも子供や孫娘を自慢することで知られている素晴らしい家族思いの男であり、少なくとも週に一度ずつは兄弟やいとこに電話をしました。
トムの遺族は、妻のコリン・(ジョンソン・)ナイクイスト、息子のジョナサン・ナイクイスト(妻ローラ・トラン)、娘のリン・ナイクイスト(夫ジョン・ナイクイスト)、孫娘のエイミー、ジェナ、ケイティ、ミーガンです。彼はデトロイトのディック・ナイクイスト(妻フラン)、モンタナ州ベインヴィルのボブ・ナイクイスト(妻ルース)、そして両親のリチャード・ナイクイストとリディア・(ビリー・)ナイクイストによって先立たれていました。
メモリアル・サービス(葬儀)は、12月28日(土)午後4時30分、ニューパルツのヒューガノット通り92番地の改革派教会(リフォームド・チャーチ)で行われ、それに続いて、教会の教育センターのファイヤーサイド・ルーム(暖炉室)でレセプションが行われます。葬儀に先立ち、午後2時から4時まで、トムとコリンのヒューガノット通り140番地の自宅を開放します。どちらの会においても、共有するための食べ物や飲み物を歓迎します。埋葬式は、2020年7月18日モンタナ州のフロイドで開催されます。
献花に代えて、ナイクイスト財団/ナイクイスト・ハーコート自然保護区、歴史的ヒューガノット通り協会、ウォルキル・バレー・ランド・トラスト財団に寄付が可能です。寄付は、直接行っていただくか、コリン・ナイクイスト宛の郵送または自宅での手渡し、または教会で提供される封筒に入れてください。
他人に奉仕して生きた人生は、実によく生きた人生です。
(翻訳:山内 圭)
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トム・ナイクイストさん追悼文を掲載します

2019-12-08 10:24:01 | 日記
トム・ナイクイストさんの娘さんからトムさんの追悼文と写真を送っていただきました。
謹んで掲載させていただきます。
(日本語翻訳は少しお待ちください)



Obituary


Thomas Eugene Nyquist was born June 20, 1931 at home on a wheat farm and cattle ranch homesteaded by his parents, northeast of Froid, Montana. He lived through the Depression and the Dust Bowl, rode a horse to the one-room Hammond country grade school, and graduated valedictorian of a class of seven in town.
He had big dreams, and headed to college planning to major in journalism. But after serving in the army on Okinawa during the Korean Conflict, and traveling to Japan and Taiwan, he returned to study political science at Macalester College in Minnesota. There he met his bride and subsequent wife of nearly 63 years, Corinne, who was studying International Relations. He went on for a Masters at the University of Montana, Missoula, worked two years as a social worker, then finished with a PhD in African Studies at Northwestern University in Illinois.
Tom pursued his PhD research in rural Sudan during its civil war, with wife and kids in tow. After graduation, a Fulbright Scholarship took them to Apartheid South Africa for 18 months. The family moved to New Paltz, NY in 1968 where Tom became a professor of African Studies at the State University of NY in New Paltz, and later an administrator at SUNY Central in grants development.
Tom had a strong desire for a life of meaning lived for society and mankind. He served on then chaired the New Paltz Village Planning Board and the New Paltz Police Commission, was elected to the Ulster County Legislature and the New Paltz Village Board becoming Deputy Mayor, Acting Mayor, then elected Mayor for four four-year terms.
As Mayor he was concerned with infrastructure, but also livability. He oversaw construction of miles of beautiful brick and stone sidewalks, and brought into being three of the four current village parks: Hasbrouck Park, Sojourner Truth Park, and the Rail Trail. He maintained his international interests by forming a sister city relationship with Niimi/Osa, Japan, and by hosting a delegation from the USSR. He expanded and developed the Peace Park.
Tom also served on the boards of the YMCA, Ulster Performing Arts Center, Wallkill Valley Rail Trail, Historic Huguenot Street, and was a member of Rotary International and the Paltz Club. On the Board of the International Partnership for Service Learning he and Corinne traveled to the Czech Republic, Ecuador, England, Jamaica, Mexico and the Rosebud Indian Reservation, South Dakota. Tom and Corinne were founding members, and on the Executive of the New York African Studies Association, and Tom co-edited its newsletter for nearly 50 years.
In (semi)retirement Tom authored a subscription newsletter on grant opportunities for community colleges which he transitioned to a free on-line newsletter he maintained until he was 87 years old.
He and family formed the Tom and Corinne Nyquist Foundation in 2004 using the yearly income off the inherited wheat farm in Montana to give small grants to deserving charitable groups in New Paltz and the Froid area which have included funding for benches, gardens, trails, theatre, archery, books, and less sexy necessaries like copy machines, doors and roofs. It also funds scholarships and an essay contest in Montana.
When a small oil lease on the Montana property came to fruition, Tom and Corinne used proceeds to purchase the Nyquist-Harcourt Wildlife Sanctuary in New Paltz which Tom maintained nearly single-handedly for the good of the people of New Paltz and the satisfaction of a job well done. He took his last walk to check the sanctuary the day he died.
Finally, Tom was a wonderful family man known to brag about his kids and granddaughters to any listener, and who called his brothers and cousins at least weekly.
Tom is survived by his wife Corinne (Johnson) Nyquist, son Jonathan Nyquist (Laura Toran), daughter Lynn Nyquist (John Nyquist), and granddaughters Amy, Jenna, Katie and Megan. He was pre-deceased by his brothers Dick Nyquist (Fran) of Detroit, and Bob Nyquist (Ruth) of Bainville, MT, and his parents Richard and Lydia (Billie) Nyquist.
Memorial Services will be Sat., Dec. 28 at 4:30 pm at the Reformed Church, 92 Huguenot St., New Paltz, followed by a reception in the Fireside Room in the church’s Education Center. The service will be proceeded by an open house at Tom and Corinne’s home at 140 Huguenot St. from 2-4 pm that afternoon. Food or beverages to share are welcome at both events. An internment Service will be held July 18, 2020 in Froid, MT.
In lieu of flowers, donations may be made to the Nyquist Foundation/Nyquist-Harcourt Wildlife Sanctuary, Historic Huguenot Street, or the Wallkill Valley Land Trust. Donations may be made directly, mailed to or dropped off with Corinne Nyquist at home, or left in envelopes which will be provided at the church.
A life lived in the service of others is a life well lived indeed.
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