山内 圭のブログ(Kiyoshi Yamauchi's Blog)

英語教育、国際姉妹都市交流、ジョン・スタインベック、時事英語などの研究から趣味や日常の話題までいろいろと書き綴ります。

ニューパルツ元市長トム・ナイクイストさん追悼文日本語訳

2019-12-08 23:15:40 | 日記
先の記事で取り上げたトム・ナイクイストさんの追悼文を取り急ぎ、以下のように日本語に翻訳してみました。



トーマス・ユージーン・ナイクイストは、1931年6月20日、モンタナ州フロイドの北東にある両親が開拓した小麦農場と牧場の家で生まれました。彼は大恐慌とダストボウルの中を生き、教室が1つしかないハモンドカントリー小学校に馬で通い、町の7人のクラスで卒業式の総代を務め卒業しました。
彼には大きな夢があり、大学に行きジャーナリズムを専攻するつもりでした。しかし、朝鮮半島の紛争で沖縄の軍隊に入隊し、日本と台湾を訪問した後、彼は帰国し、ミネソタ州のマカレスター大学で政治学を学びました。そこで彼は、国際関係を研究していたコリンという結婚相手、そしてその後63年近く連れ添うこととなる妻と出会いました。彼はモンタナ大学ミズーラ校で修士号を取得し、ソーシャルワーカーとして2年間働いた後、イリノイ州ノースウェスタン大学でアフリカ研究の博士号を取得しました。
トムは内戦中のスーダンの田舎で博士号の研究を進め、妻と子供たちはそれに同行しました。卒業後、フルブライト奨学金により、アパルトヘイトの南アフリカに18か月間派遣されました。一家は、1968年にトムがニューヨーク州立大学ニューパルツ校でアフリカ研究の教授になったため、ニューヨーク州ニューパルツに移り、トムは後に補助金開発担当としてニューヨーク州立大学本部で管理者になりました。
トムは、社会と人類のために生きる意味のある人生を強く望んでいました。彼はその後、ニューパルツ・ヴィレッジの計画委員会とニューパルツ警察委員会の議長を務め、ウルスター郡議会やニューパルツ・ヴィレッジ議会に選出され、副市長、市長代理、そして4年の任期を4期務める市長に選出されました。
市長として、彼はインフラだけでなく居住性にも関心がありました。彼は何マイルもの美しいレンガと石の歩道の建設を監督し、現在の4つのヴィレッジ内の公園のうちの3つ、ハズブルック公園、ソジャーナー・トゥルース公園、レイル・トレイルができました。彼は、日本の新見市/大佐町と姉妹都市関係を提携し、ソ連からの訪問団を迎えることにより、国際交流に対する関心を保ちました。彼は平和公園(ピースパーク)を拡張し、発展させました。
トムはまた、YMCA、ウルスター・パフォーミング・アーツ・センター、ウォルキル・バレー・レイル・トレイル、歴史的ヒューガノット通り協会の役員を務め、国際ロータリー・クラブやパルツ・クラブのメンバーでした。サービス・ラーニングのための国際パートナーシップ委員会では、彼とコリンはチェコ共和国、エクアドル、英国、ジャマイカ、メキシコ、サウスダコタ州ローズバッド原住民居留地を訪問しました。トムとコリンは、ニューヨーク・アフリカ研究協会の創立メンバーであり、役員も務め、トムは50年近くにわたり、その機関紙を共同編集してきました。
(半)退職後、トムはコミュニティ・カレッジの助成金募集に関する購読用機関紙を執筆し、それを無料のオンライン・ニューズレターに移行し、彼が87歳になるまで続けました。
彼と家族は2004年に、モンタナ州で相続した小麦農場からの年間収入を使用して、ニューパルツとフロイド地区の対象となるグループにベンチや庭や小道や劇場やアーチェリーや書籍、そしてコピー機、ドア、屋根などの必需品の資金を提供しました。また、モンタナ州の奨学金とエッセイ・コンテストにも資金を提供しています。
モンタナ州の土地の小さなオイルリースが実現したとき、トムとコリンは収入を使ってニューパルツのナイクイスト・ハーコート自然保護区を設置し、ニューパルツの人々の利益のため、一つの仕事をやり遂げたという満足感のため、ほとんど単独で保護区を維持しました。彼は、亡くなることになる日にも保護区のチェックのために最後の散歩をしました。
最後に、トムは、聞いてくれる人には誰にも子供や孫娘を自慢することで知られている素晴らしい家族思いの男であり、少なくとも週に一度ずつは兄弟やいとこに電話をしました。
トムの遺族は、妻のコリン・(ジョンソン・)ナイクイスト、息子のジョナサン・ナイクイスト(妻ローラ・トラン)、娘のリン・ナイクイスト(夫ジョン・ナイクイスト)、孫娘のエイミー、ジェナ、ケイティ、ミーガンです。彼はデトロイトのディック・ナイクイスト(妻フラン)、モンタナ州ベインヴィルのボブ・ナイクイスト(妻ルース)、そして両親のリチャード・ナイクイストとリディア・(ビリー・)ナイクイストによって先立たれていました。
メモリアル・サービス(葬儀)は、12月28日(土)午後4時30分、ニューパルツのヒューガノット通り92番地の改革派教会(リフォームド・チャーチ)で行われ、それに続いて、教会の教育センターのファイヤーサイド・ルーム(暖炉室)でレセプションが行われます。葬儀に先立ち、午後2時から4時まで、トムとコリンのヒューガノット通り140番地の自宅を開放します。どちらの会においても、共有するための食べ物や飲み物を歓迎します。埋葬式は、2020年7月18日モンタナ州のフロイドで開催されます。
献花に代えて、ナイクイスト財団/ナイクイスト・ハーコート自然保護区、歴史的ヒューガノット通り協会、ウォルキル・バレー・ランド・トラスト財団に寄付が可能です。寄付は、直接行っていただくか、コリン・ナイクイスト宛の郵送または自宅での手渡し、または教会で提供される封筒に入れてください。
他人に奉仕して生きた人生は、実によく生きた人生です。
(翻訳:山内 圭)

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