山内 圭のブログ(Kiyoshi Yamauchi's Blog)

英語教育、国際姉妹都市交流、ジョン・スタインベック、時事英語などの研究から趣味や日常の話題までいろいろと書き綴ります。

"The son also writes"(2011年11月13日)

2016-08-31 22:07:44 | 日記
昨日書いたThomas Steinbeckさんご逝去(2016年8月11日)の記事の中で、以前新聞で"The son also writes"という見出しの記事を読んだことがあると書きました(英語で)。

その記事、インターネット上で発見しましたので、こちらにリンクさせていただきます。
Thomas Steinbeck: The son also writes

これは、トマス・スタインベックさんがThe Silver Lotus (Berkeley, CA: Counterpoint, 2011)を出版されたことを報じた記事です。

この見出しがおもしろいのは、これがアーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Hemingway)の名作The Sun Also Rises(『日はまた昇る』)を踏まえているからです。

私は、英字新聞の見出しやキャプションにも興味があるのです。
(例えば、第94回新語・語法研究分科会で研究発表を行なう
をご参照ください。)

この見出しが、ヘミングウェイの小説のタイトルではなく、スタインベックの作品タイトルをもじったものであったら、パーフェクトだったのですが、それでも、文学ファンを二ヤリとさせるとても上手な見出しだと思います。

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Thomas Steinbeckさんご逝去(2016年8月11日)

2016-08-31 00:00:58 | 日記
僕が研究している作家John Steinbeck(1902-1968)の息子さんでやはり作家であったThomas Steinbeck(1944-2016)さんが今月亡くなられました。

残念ながらお会いしたことはなかったのですが、実はFacebook上で「友達」になっていただき、いくつかメッセージの交換をさせていただきました。

ご冥福をお祈りいたします。



これらがTomas Steinbeckさんの著作3冊です。

Wikipediaによると、Thomas Steinbeckの著作はSelected worksとして6冊の著書が挙げられていますが、あとの3冊は電子出版のみとなっています。

Down to a Soundless Sea. (New York: Balantine Books, 2002) ISBN 9780345455765 (hardcover, 1st ed.) – short story collection
In the Shadow of the Cypress (New York: Galllery Books, 2010) ISBN 9781439168257 (hardcover, 1st ed.) – a novel
The Silver Lotus (Berkeley, CA: Counterpoint, 2011) ISBN 9781582437781 (hardcover, 1st ed.) – a novel
(Thomas Steinbeck参照)

Thomas Steinbeck passed away on August 11.

He was a son of John Steinbeck.

As a Steinbeckian scholar, I really wanted to meet him in person, but I could not do so.

But I became a "friend" to him on Facebook and exchanged messages.

I remember reading a newspaper article titled "The son also writes" one day.

Thomas Steinbeck: The son also writes

RIP Mr. Steinbeck.
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『ウエセックス抄』大沢 衛著(日本ハーディ協会会報第5号抜刷)

2016-08-30 21:52:26 | 日記

この抜刷は、ニューパルツの故アルフレッド・マークス先生の蔵書を譲り受けて預かった形になっている「マークス文庫」(アルフレッド・マークス文庫開設参照)に含まれていたものです。

著者の大沢 衛氏は、元日本ハーディ学会会長で金沢大学名誉教授です(大沢 衛 Wikipedia参照)。

マークス先生が金沢大学に派遣されている時に交流があったものと思われます。

これは、大沢氏が1962年7月25日から8月24日にかけて渡英し、トーマス・ハーディ関係の地などを訪問された時に読んだ歌をまとめたものです。

大沢氏の1か月間の英国滞在の出来事や気持ちがよくわかり、私自身が研究しているスタインベックの故郷や作品の舞台になっている地を訪問した時に感じることなどと相まって、非常に楽しく読むことができました。

私自身は、ハーディは学生時代に鮎沢乗光先生(鮎沢乗光 Wikipedia参照)の授業でTess of the d'UrbervillesJude the Obscureの2作品を読んだ程度ですが、それでもいつかその舞台となった地に行ってみたいものです。

この抜刷の小冊子は、山内研究室にありますので、読みたい人はどうぞご連絡ください。
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本日は新見英語サロンの開催はありません(2016年8月30日)

2016-08-30 09:08:50 | 日記
このところ、いろいろと多忙で、新見英語サロンの開催ができません。

夏期休暇中ということもあり、いつもの学術交流センターも放課後の使用ができません。

ということで、本日は火曜日ですが、新見英語サロンの開催はありません。

9月は出張もあり、次の開催が未定ですが、決まりましたらお知らせします。

また、10月からは新見市国際交流協会との共催で英語講座が始まります(第1回は10月4日)。

お楽しみに!
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ニモとドリー

2016-08-28 00:36:25 | 日記
以前、オーストラリアで買った『ファインディング・ニモ』のヨーグルト、現在公開中のこの話の続編『ファインディング・ドリー』のドリーもちゃんと出ています。



2011年7月21日に書いた『カーズ』のヨーグルト参照
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『爛々と燃ゆる』の公演チラシに書いた作品紹介文

2016-08-19 00:29:17 | 日記
012年5月17日〜20日に賭けて公開された『爛々と燃ゆる』の公演チラシに書かせてもらった作品紹介文です。

『爛々と燃ゆる』作品紹介
  新見公立大学教授:山内 圭(日本ジョン・スタインベック協会理事)
 この度のスタインベック原作『爛々と燃ゆる』の公演、誠におめでとうございます。日本ジョン・スタインベック協会としてもスタインベック文学の普及につながるものとして喜んでおります。
 本公演は、スタインベックの「問題作」をあえて舞台化する試みとして行われるようですが、この作品の初演は1950年でした。彼も自信満々だったこの作品は、ブロードウェイでも演じられましたが、公演はたった13回で打ち切りでした。
 子どもができない夫婦の心の葛藤を中心に描くこの作品は、当時の米国においてもまだ「早すぎた」作品だったのかもしれません。
 この「問題作」を現代の日本にぶつけてみようという試みです。キャストやスタッフの皆さんとは一緒に原作を読む勉強会を実施しようと考えています。私たちの心も爛々と燃えています。どのような舞台化となるか、今から楽しみです。
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劇団昴『エデンの東』公演について(2011年5月29日)

2016-08-19 00:28:24 | 日記
以下の文は、日本ジョン・スタインベック協会Newsletter No.51(2011年)に発表した劇評である。

劇団昴『エデンの東』公演について
                       山内 圭(新見公立大学)
 2011年5月28日(土)から6月5日(日)にかけて、劇団昴による『エデンの東』の公演が世田谷区北沢の本多劇場において行われた。5月23日(月)北九州市立大学において開催された第35回日本ジョン・スタインベック学会においてスタインベック作品の演劇化についてのシンポジウムを行った直後であったので、完璧なタイミングでの公演であった。私は、開演2日目の5月29日(日)の14時からの公演チケットを予約した。日曜日の14時からという時間帯のマチネ公演が地方から東京に出かけて観劇に行くのには好都合であった。また、全9回の公演中2回のみ(5月29日と6月4日)、公演後にポスト・ショウ・トークが行われることになっていて、学会のシンポジウムで演出家と俳優の話を聞くという醍醐味を経験することができたので、このポスト・ショウ・トークも楽しみであった。
 劇団昴にとっては『エデンの東』20年前の公演に続いて2度目の公演になるようで、今回キャシーを演じた日野由利加は、20年前の公演ではアブラを演じていたようだ。ただ、20年前の公演では、ジェームズ・ディーン主演の映画と同様、キャルを主人公とした作品だったようである。ところが、今回の公演は、アダム・トラスクの父親サイラスの死後アダムが家に戻るところからアダムの死までを描くという、かなり長い時間を描いた作品に仕上げられていた。
 筆者は、劇団昴による『怒りの葡萄』の公演を2000年10月26日に見て劇評も当Newsletter No.30に寄稿している(2003年にも再び観劇)。この際の『怒りの葡萄』もすばらしい作品に仕上がっていたので、今回の『エデンの東』に対する期待も高かった。また、『怒りの葡萄』で監督を務められたジョン・ディロン(John Dillon)氏は、劇団昴の客員演出家であるが、今回の『エデンの東』の公演に対して“John Steinbeck and the Creation of an American Mythology”(「スタインベック~アメリカ人の「神話」づくり)~」と題する文章を寄稿している。その原文は、劇団昴の『エデンの東』の公演についてのウェブサイト(http://www.theatercompany-subaru.com/eden/index.htm) で閲読可能であり、日本語訳は公演のパンフレットに掲載されている(16-19)。筆者は、『怒りの葡萄』の2000年公演の劇評を書き、それを英語に訳し劇団昴にお送りしたことがきっかけで、ディロン氏と文通する機会を得た。また、2003年の『怒りの葡萄』再公演の際にはディロン氏に直接お会いする機会を得た(写真)(拙著「『怒りのぶどう』の演劇化と映画化」, 『楽しく読むアメリカ文学―中山喜代市教授古稀記念論文集』51-67, 特に65-66参照)。2001年3月24日にノースキャロライナ州立大学チャペル・ヒル校にて上演された『マスター・ハロルド・アンド・ザ・ボーイズ』(Master Harold…and the Boys, by Athol Fugard)にも招待いただき、ディロン氏の高い演出力を目にしている。そのディロン氏が『エデンの東』のパンフレットに所収されている寄稿文(村田元史訳)で「昴の素晴らしい役者さんたちと上演した」(17)、「劇団昴のすばらしい俳優、制作、スタッフ」(19)と繰り返し述べているので、この公演の開演前にパンフレットを読んでいた私のこの作品に対する期待は否が応でも高まっていった。
 今回の『エデンの東』でアダム・トラスクを演じた宮本充は、『怒りの葡萄』ではトム・ジョードを演じていた。とても安心してみることができる役作りであった。また『怒りの葡萄』でジム・ケーシーを演じた西本裕行が今回は、サミュエル・ハミルトンを演じ、いい味を出していた。ちなみに西本裕行はこの劇団の創立メンバーの一人で84歳だそうだが、元気なサミュエルを演じていた。その他、『怒りの葡萄』で地主・フロイド・納屋の男ほかを演じた田中正彦が保安官ホレスの役を、楽士・車のセールスマン・帰っていく男・農事検査官・手配師などを演じた伊藤和晃が今回は牧師の役を演じていた。
 評者にとって舞台で『エデンの東』を観たのは今回が三度目のことであった。一度目は、1994年8月のSteinbeck Festivalで地元サリーナスの劇団ウェスタン・ステージが演じたEast of Edenで、これは原作を三部に分け、休憩をはさんで、約半日かけて演じられたものであったが、役者と観客の一体感が感じられた公演であった(拙稿「スタインベック・カントリー再訪」『フォルム』XIII, 1995, 33-37参照)。二度目は、現在でも人気絶頂のアイドル・グループ嵐の松本潤がキャル役を演じた2005年5月に行われた公演であった。これは、ジェームズ・ディーンの映画を演劇化した印象が強かったが、私はこの演劇に対する劇評で、『エデンの東』と日本相撲界の若乃花・貴乃花兄弟の確執の共通点を指摘し、これが現代にも十分通じるテーマであることを述べた(拙稿「『エデンの東』劇評, Newsletter No.39, 12)。
 今回の演劇を見て感じたことも、やはり『エデンの東』には現代にも通じるテーマがあるということである。「父と子の葛藤」(これは、土屋政雄訳の『エデンの東』の帯に書かれていた言葉でもある)、「兄弟の確執」「善と悪のせめぎあい」「息子が母親を求める気持ち」などおそらく人類にとっての永遠のテーマがこの作品には描かれているのである。今回の観劇に際して、スタインベックの原作を改めて読み直してみると、円熟期のスタインベックが余裕をもって文章を書き進めている様子が感じられた。この感覚は、20代で初めてこの作品を読んだ時には感じられなかった感覚で、考えてみたら、私もスタインベックがこの作品を書いた年齢に近づいているのだとの感じを得た。
 今回、この劇評を執筆するにあたって、演劇企画JOKOの制作・企画担当の荒川秀樹氏より当公演の脚本を一冊恵送いただいた。セリフの口調について少し違和感を持った部分もあったが、長い原作をうまくまとめた脚本である。送っていただいた者の義務として、気づいた小さな誤植についてここに指摘しておく。
 (誤)エルムズ → (正)エイムズ (p.12)
 (誤)ベット  → (正)ベッド (p.75)
なお、アダムがレタスを東部に出荷する事業を成功させれば名家の息子となるアロンのことを「レタス王子」と称しているのは、現代風の出色の表現であった。脚本について残念であったのは、前回の『怒りの葡萄』の際は、公演時に脚本の販売(1.000円)も行なっていたのだが、今回はそれがなかったことである。第35回日本ジョン・スタインベック学会のシンポジウムでお世話になった演出家の為国孝和さんや俳優の塚原英志さんが言われていたように、日本において外国の演劇をする際にネックになるのは日本語の脚本があるかどうかということである。私が『怒りの葡萄』を観劇した際、劇評に書いたように埼玉県の高校の演劇部の生徒たちも舞台を見て勉強していたのだが、演劇人口拡大のためには是非脚本の販売を行なってほしいところである。
 今回の公演中、印象に残ったシーンは多くあるが、演出上面白かったのは、音楽の中で過ぎていく各々の日常を表現したシーンで、「勉学に勤しむアロンの姿」「世話をするリーの姿」「ウィルと事業に没頭するキャルの姿」「関節炎に苦しむ孤独なケイトの姿」「町でケイトを見かけるアダムの眼差し」「徴兵委員会で務めるアダムの姿」「アロン大学へ、見送る家族とアブラ」などを舞台上の空間を有効に使って同時展開で表しているシーンであった。
劇団昴の『怒りの葡萄』も2000年に初演があり、2003年に再公演されている。この『エデンの東』も是非、再演が待ち望まれる。
今回、この文章を書くに当たって、先述の演劇企画JOKOの荒川秀樹氏、そして掛川和嘉子先生、馬渡美幸先生に関連資料を送っていただいた。ここにお名前を記して感謝の意を表したい。
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On a Play Version of Frank Galati’s The Grapes of Wrath『人文学論叢』第2巻(2004年3月)

2016-08-19 00:27:16 | 日記
以下は、新見公立短期大学人文科学学会(当時)の『人文学論叢』第2巻(2004年3月)に発表したものである。

On a Play Version of Frank Galati’s The Grapes of Wrath
Kiyoshi YAMAUCHI

アメリカ文学

フランク・ギャラティ脚本の演劇版『怒りの葡萄』について
山内 圭

ジョン・スタインベック原作の『怒りの葡萄』がフランク・ギャラティにより脚本化され、アメリカ国内ばかりか、世界各地で上演されている。日本でもジョン・ディロン演出により劇団昴による上演があった。本稿では、劇団昴の上演を中心に述べ、ギャラティ脚本の上演史についても述べる。

Subaru Theatrical Company performed The Grapes of Wrath from October 17 to November 8, 2000 at the 300-Seat Theater (Sanbyakunin Gekijo) in Tokyo. The author saw the performance on Thursday, October 26. The curtain was raised at 2:00 pm. Even though it was a weekday, it was almost a full house.
The performance of the company was based on Frank Galati’s play script, and directed by its visiting director, John Dillon. The casting was as follows: Mitsuru Miyamoto played the role of Tom Joad, Tamie Kubota played the part of Ma Joad, and Yoshito Ishinami was Pa Joad. Jim Casey was played by Hiroyuki Nishimoto, Rose of Sharon was performed by Maki Tamura, and Ruthie was by Reina Makino. (Mr.) Aiko Ogata played several parts including that of Noah. All the actors and actresses performed their roles very well, but the most impressive one was Miss Makino as Ruthie. According to the pamphlet of this play, this was her first stage appearance. She played the silent role (with only four lines) with graceful expressions and movements. Ms. Kubota, slender as she is, played the role of Ma powerfully. Mr. Ogata played the part of “Boss” in the revival of Of Mice and Men by the Haiyuza Theatre Company in September 1995. (Its first performance was in October, 1994.) He played at that time under the name of Yoshihiro Okada. Kahoru Kurokawa, the fiddler, spiced the stage with her skillful performance of the fiddle.
Director Mr. Dillon worked as Artistic Director for Milwaukee Repertory Theater from 1976 to 1993. He has also directed local theatrical companies in more than 25 cities across the United States. For Subaru Theatrical Company, he has directed Death of a Salesman and Cat on a Hot Tin Roof. Before the opening of The Grapes of Wrath, he appeared in interview programs of NHK Radio English Conversation on September 23 and 30, 2000 (NHK Radio English Conversation Textbook, September, 2000. pp.50-52, 66-68). He said, “I think that the ultimate test of what makes a classic a classic is does it communicate across borders, is there common humanity and my bet is there is a common humanity that peace depends on understanding that all people have the same aspirations.” According to the pamphlet, Mr. Dillon is a college friend of Mr. Galati, the playwright.
As the author also reviewed John Steinbeck’s The Grapes of Wrath Play Script by Frank Galati, eds. with Notes by Kiyoshi Nakayama and Hiromasa Takamura, Eichosha Publishing Company (Steinbeck Studies Volume 19, May 1996, pp.35-36), the author has intensively read Galati’s script many times. This performance realized the play script in Japanese, which the author has read many times. The translation was done by Koji Numasawa, Director of The Institute of Dramatic Arts and Professor at University of the Sacred Heart, Tokyo. The translated script was sold for 1,000 yen as a ready-made acting copy with each line numbered and a practice schedule chart at the end of the book. Sitting behind him, the author found a group of high school students and, judging from the conversation among them, understood them to be members of drama club from a high school in Saitama Prefecture. With the sales of this acting copy, drama clubs of high school students, college students or citizens can easily get the script. The author hopes that Galati’s script of The Grapes of Wrath will be played by and large in the near future. The author assumed that those high school students saw the play for their improvement of acting, but he hopes some students have found this Steinbeck’s work interesting and try to read the novel in the translation or even in the original.
The author has seen a videotaped musical of East of Eden played by Takarazuka Revue Company. According to Dr. Takamura’s review of the musical (The John Steinbeck Society Newsletter No. 20, November 5, 1995 pp.7-8), it was under restriction from Elaine Steinbeck, John’s widow. The author found the musical almost identical to the 1955 film version. Comparatively, Galati’s The Grapes of Wrath is different from the 1939 film version in many ways. The biggest difference between the two is, the author assumes, that the Galati’s version did not omit the last scene where Rose of Sharon tries to give milk to the stranger as the movie did. If we take account of controversy over its last scene then, John Ford might have been right in excluding the controversial last scene from his film. However, if we compare the film with the original novel, we have to say that the film fails to convey the underlying message that human beings keep living without that last scene. In that sense, this play version based on Galati’s play script with the last scene could convey the message much better than the film which is often called a masterpiece. By the way, a boy is with the starving man in the original novel and Galati’s script; this play had a girl playing the role for unknown reason. Since John Ford’s The Grapes of Wrath (1939) is more than sixty years old now, and it is now one of the classic masterpieces, we are expecting another filming of this novel as well as Galati’s play version of this novel. In Japan, when movie director, Kon Ichikawa directed Harp in Burma, written by Michio Takeyama in 1956, he could not express redness of the soil in Burma (now Myanmar) in his black-and-white film. He again filmed the same title in Technicolor in 1985. If Ford were still alive, we would like him to film The Grapes of Wrath again, but we would like to wait for another film director to film the Galati’s script clearly showing the sand color of the Dust Bowl and beautiful greenness in California. If a reader is interested in getting the film script of The Grapes of Wrath, he or she can get the one the author dictated as part of the film script project done by The Association for Teaching English through Movies at: http://www.screenplay.co.jp/pd_database/database/grapesofwrath.html . The author will not get into a comparison between the movie script and play script here, but he is going to do the comparison on another occasion.
According to Dr. Takamura’s review of the play of The Grapes of Wrath performed by the Mingei Theatre Company (The John Steinbeck Society of Japan News from the Office No. 18, p.8 November 10, 1994), the Mingei Theatre Company put the river plot at the back of the stage, while Steppenwolf Theatre in New York put its river at the front of the stage. On this stage the river is in front. What surprised us most was that the river was a hole into which the body of Grampa was buried in an earlier part of the play. We did not see or hear any water when his body was buried, but at the scene of the Colorado River, it has become a river filled with water, and at the flood scene, it represented flooding water. It is a little sad to say that it was a still water, and I must point out that the box did not flow down when Uncle John released the box with the stillborn baby of Rose in it.
Galati’s script was originally written for Steppenwolf Theatre Company in Chicago in 1988. It won the Tony Award for the Best Play and Mr. Galati won the Best Director Award in 1990. Mr. Galati and his play won Joe A. Callaway Award for excellence in the craft of direction and choreography in the same year. Since then, this play has been highly regarded, and it has been played all over the United States, in Canada, and even in Europe. As far as the author knows, professional performances include the Repertory Theatre in New York (1995-96), The Actor’s Group in Herberger Theatre in Phoenix (1996), Lenoir-Rhyne Playmakers Productions (1997-98), Arden Theater Company in Philadelphia (1998), The Alliance Theatre in Woodruff Arts Center in Atlanta (1999), Fort Worth Theatre in Dallas (1999), The American Drama Group Europe’s European on-the-road performance in Luxemburg, Germany, Switzerland, France, the Netherlands, Czech, Spain and Sweden(1999-2000), and Theater Works in Mountain View Center for the Performing Arts in 2000.
College performances include the Los Angeles City College (1992), California State University (1993), University of Kansas (1994), Iowa State University (1994), Temple University (1996), Linn-Benton Community College in Oregon (1996), Montclair State University in New Jersey (1996), San Jose State University (1996), Pace University (1997), University of Hawaii (1997), Georgia State University (1997), Grayson College (1997), University of North Dakota (1998), Wabash College (1998), and the University of Alberta in Canada (1998) played The Grapes of Wrath. Also, in 1999, University of Michigan-Flint in Michigan, Greenville College in Illinois, Hartnell College in Salinas, Western Oregon University, DePaul University in Chicago, Illinois and University of Cincinnati in Ohio performed Galati’s script. In 2000, University of Saskatchewan in Canada, Illinois State University, Western Michigan University and University of Alaska Anchorage performed the play.
Galati’s script continued to be performed into the new century, and in 2001, Oswego State University, Contemporary American Theatre Company in Columbus, Ohio, Des Plaines Theatre Guild at Bog Theatre in Chicago, University of Missouri-Kansas City and The Sandra Feinstein-Gamm Theatre in Providence, Rhode Island played Galati’s The Grapes of Wrath. In the year 2002, Kenneesaw State University, Georgia, Susquehanna University, Selinsgrove, Pennsylvania, and The West Coast Ensemble, Hollywood performed the play. Also in 2003, The Knox College and Prairie Players Civic Theater (co-production), Galesburg, Illinois, Norman High School, Norman, Oklahoma, University of Rochester, New York and University of Arkansas had performances. Then, in 2004, East Carolina University, Greenville, North Carolina performed the play.
Back in 2003, John Dillon directed Subaru Theatrical Company’s The Grapes of Wrath again at Sunshine Theater in Ikebukuro, Tokyo and other places in Japan. Since the author wrote the play review for the earlier performance (The John Steinbeck Society of Japan Newsletter No. 30, December 15, 2000), he has corresponded with the director, John Dillon. Mr. Dillon, in one of his email messages to the author (June 11, 2003), wrote, “I forgot to tell you that we have a small and secret homage to Steinbeck that appears briefly on the scenery late in act two. I wonder if you will be able to find it?” They had this homage because the previous year, 2002 was the centennial year of John Steinbeck’s birth. The author was wondering what the homage was, and he found that “1902 F 27” was written on the boxcar in the boxcar camp. This means his date of birth “February 27, 1902.”
The author believes that Galati’s The Grapes of Wrath will continue to be performed. Takashi Hashimoto, Professor Emeritus of Utsunomiya University, who is from Niimi, is a councilor of Subaru Theatrical Company. The author has heard that he mentioned the possibility of the performance of The Grapes of Wrath in Niimi. The author hopes for the realization.
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LINK PROJECT VOL. 8 『二十日鼠と人間』 観劇記(2008年11月13日)

2016-08-19 00:26:05 | 日記
日本ジョン・スタインベック協会のNewsletter No.46(2008)に発表した『二十日鼠と人間』観劇記です。

LINK PROJECT VOL. 8 『二十日鼠と人間』 観劇記
                  新見公立短期大学  山内 圭
 2008(平成20)年11月13日(木)から16日(日)まで東京高円寺の明石スタジオで上演された演劇『二十日鼠と人間』を、初日の11月13日に観劇する機会を得た。今回の上演は、日本ジョン・スタインベック協会協力ということになっており、協会事務局に送られてきた招待状をいただいての観劇であった。招待席は客席の最後列となっていたが、総席数およそ100席の小さい会場だったため、全体を見渡せる席であった。劇場に早めに到着したところ、待合室で杉山隆彦先生とお会いし、ご一緒に観劇させていただくことができた。杉山先生の隣での観劇は、自分の父親と一緒に劇を見ているようで、やや気恥ずかしいながらも落ち着いた気持ちでの観劇であった(実は、杉山先生は私の父の高校時代の同級生である)。
 開場とともに席について開演を待つが、客が続々と入り、開演時にはほぼ満席となった。客の男女比は約2:8といったところであった。この劇の初演は、1937年11月であったから、71年前だったことになるが、初演から71年たっての、初日からのこの盛況ぶりにはスタインベックも驚いていることだろう。彼の魂がこの劇場に来ているかとも思ったが、彼はアメリカでの初演日にも姿を現さなかったということだから、きっとこの日は来ていないであろうと思った。ただ、客の入りなどを心配していたスタインベックに、初演の状況を逐一電話で伝えた友人がいたように、71年たってもこんなに多くの客を集められることを彼に伝えたいものだと思った。初演は木曜日で平日であったが、この盛況ぶりである。金曜日や週末の公演はチケットが取れず、見ることができない人がいたのではないかと思う。木曜日の夜から始まって、日曜日の夜に終わるこの公演は、舞台の場面設定が木曜日の夜に始まり、日曜日の夜に最後を迎えることと同じである。舞台製作者として、木曜から日曜の公演にこだわった可能性もあるが、スタインベック原作の演劇普及とファン層の拡大のためにはもう少し長い公開が望ましかった。
 開演時刻が来て、会場は真っ暗になり、EaglesのHotel Californiaとともに劇が始まった。この劇場には幕がなく、幕間には暗闇と音楽が幕の代わりに効果的に使われていた。また舞台装置もごく簡単なもので、効果音と役者の演技で、観客に場面を想像させる手法をとっていた。この劇のストーリー中には犬や子犬が登場するが、舞台には実際の犬は登場せず、役者たちが実際犬がそこにいるかのような演技を上手に行なっていた。またレニーが手で撫で回すネズミについても同様で、ネズミのぬいぐるみ等は使用していなかった。
 役者たちの演技は、かなりレベルが高かったと思う。レニー役の塚原英志の役作りは特にうまく、知的障害のあるレニーを巧みに演じていた。私は、スタインベックの原作を読んで、またこれまでのこの作品の演劇や映画を観て、スタインベックのレニーの描写は幼子の描写を想起させるところがあると感じていたが、今回の塚原の演技は、現在3歳である私の息子の日頃の言動を想起させるものであった。その意味で、スタインベックの描写を演技としてうまく表していたのであろうと感じた。先述のように、犬やネズミはこの舞台には登場しなかったが、動物としてこの舞台に登場した唯一のものはウサギであった。ジョージとレニーが自分たちの家に住んだときに飼うことを夢見ていたが、実際のストーリーには登場しないウサギが、この舞台では唯一具現化された形で役者(春木生)によってセリフつきで演じられていた。これが、今回の舞台化での最大の特徴の一つであった。
 その他、原作とは多少異なる部分もあったが、大まかにはスタインベック全集に収められた高村博正先生訳の『はつかねずみと人間』の小説版と戯曲版に基づいた制作であった。今回、東京までの新幹線の車中、および帰りの寝台特急での旅程中、あらためて高村先生の翻訳を読み直す機会を得たが、私などが生意気に評するのはかえって失礼ではあるが、非常でこなれた訳であると感じた。
 今回の観劇をきっかけにあらためてOf Mice and Menを読み直して、原作(小説版および戯曲版)とその演劇化および映画化についていろいろと論じてみたくなったが、それは別の機会に譲ることにしたい。また、私は現在スタインベックの作品を教育にどのように生かすかということについて関心を持っているが、この作品には、弱者、障害者、高齢者等が描かれており、私の勤務する短大においては、地域福祉学科や看護学科での授業に教材として利用することを考えてみたいと思った。
1937年に初演のこの作品は、当然2037年に100周年を迎えることとなる。今から29年後のことであるが、そのときには、今度は自分の息子とともに親子でこの劇を観ることを願って今回の劇評を終えたい。
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読書案内:ガヤトリ・C・スピヴァク『ナショナリズムと想像力』(青土社, 2011)

2016-08-19 00:24:59 | 日記
ガヤトリ・C・スピヴァク『ナショナリズムと想像力』(青土社, 2011)


インド生まれの評論家ガヤトリ・C・スピヴァク(Gayatri Chakravorty Spivak)について知りたいと思い、この書を読みました。

ブルガリアのソフィア大学で行われた講演の記録を日本語に翻訳したものです。

タイトルにも含まれている「ナショナリズム」(nationalism) 、そして「ナショナル」( national) 、「ネイション」(nation)の語が漢語に訳されずカタカナ語のまま使用されています。

母語を愛すること、自分の住む界隈を愛することが、「ネイションにかかわること」にいついかにして変わるのか、「ネイションにかかわること」は根本的な安らぎをを呼び起こすが、それはプラスの感情ではないと筆者は言う。

このあたり、正直言ってわかるようでわからないところです。

ページあたりの文字数は少なく、さっと読めてしまうが、深い内容であることと、私の知識不足で、わかるところとわからないところがある。

そんな知的格闘を久しぶりにしました。

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「生前退位する」は英語でabdicate

2016-08-10 17:25:25 | 日記
8月8日(月)午後3時に、天皇陛下がビデオでお気持ちを表明され、生前退位をご意向を間接的ながらお伝えになられました。

ここでは、そのこと自体について触れるものではありませんが、この「生前退位する」ということを英語では何と表現するかということを紹介したいと思います。

この語、僕自身、これまで英語で様々なものを読んできたので、おそらく英国(ヨーロッパ)の歴史などについての文章を読んだ時に出会ったことはあったのではないかと思いますが、自分の語彙にはなっていませんでした。

「(生前)退位する」(動詞)は、abdicateと、「(生前)退位」(名詞)はabdicationといいます。

「退位する」という動作(行為)は生きている時にしかできませんので、生前であるかどうかは英語に訳す上では問題にならず、「生前」の部分は訳出されていません。

動詞abdicateと名詞abdicationは、私は、2016年7月15日付のThe Japan News紙1面の "Emperor hopes to abdicate; timing, legal status unclear"で目にしました。

この度の、お気持ち表明以降、再び英字新聞紙上で頻繁に使われています。

これを機会に、覚えておきましょう。
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2016(平成28)年度前期終了

2016-08-09 22:41:36 | 日記
8月5日(金)、1時限の英語コミュニケーションⅡの講義と5時限の英語コミュニケーションⅠの前期試験が終わり、2016(平成28)年度前期の授業が終了しました。

疾風怒濤のような前期で、ゆっくりとこのブログを投稿することもあまりできませんでした。

このところ投稿頻度がかなり落ちてしまっています…。

前期は終わったとは言え、まだまだすべきことが目白押しですが、頑張って日々を過ごしてゆきたいと思います。


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新見公立短期大学第2回オープンキャンパスを開催します(2016年8月6日)

2016-08-05 16:06:50 | 日記
2016年8月6日(土)、新見公立短期大学幼児教育学科と地域福祉学科の第2回オープンキャンパスを開催します。

新見公立短期大学への進学を目指す皆さん、幼児教育・保育、そして介護・福祉などの分野に興味がある皆さんのご来場をお待ちしています。

ご家族やお友達とご一緒に来ていただくことも可能です。

事前申し込みがなくても参加できます。多くの皆さんのお越しをお待ちしています。

11:30受付開始、12:30-15:30の開催となります。

(写真は、2016年7月18日の第1回オープンキャンパスの様子です。)





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新見公立大学附属図書館ブログで私の推薦図書が紹介されました(2016年7月16日)

2016-08-03 00:35:52 | 日記
新見公立大学・新見公立短期大学では、僕のもののような教員ブログの他に、図書館のスタッフによる図書館ブログもあります。
新見公立大学附属図書館/新見市学術交流センター図書館

その中で、先日、僕が今年度推薦図書を紹介した文が掲載されました(私の読書ノート◆教員推薦図書)

よろしければ、お読みください。
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