アメリカの作家John Steinbeckを研究している人なら、インディアナ州のBall State UniversityはTetsumaro Hayashi先生がいらした大学として認識しています。
Hayashi先生は、日本ジョン・スタインベック協会でも名誉顧問としてお世話になっているのですが、このBall State Universityの図書館には、Hayashi先生が収集し寄贈されたJohn Steinbeck Collectionがあります(John Steinbeck Collections参照)。
先日、必要があり、その資料リスト(A Catalog of John Steinbeck Material in The Ball State University Libraries)を見ていたところ、僕が以前書いた以下2点の論文も収められていることがわかりました。
Yamauchi, Kiyoshi. "John Steinbeck's Descriptions of Eyes." Persica, 28 (Mar. 2001):
89-95.
Yamauchi, Kiyoshi. “On the Descriptions of Human Beings by John Steinbeck.” Azabu
University Liberal Art School Study, 26 (1993): 31-47
この図書館、スタインベック研究者にとっては聖地の一つです。
いつか調査に行きたいと思います。
Hayashi先生は、日本ジョン・スタインベック協会でも名誉顧問としてお世話になっているのですが、このBall State Universityの図書館には、Hayashi先生が収集し寄贈されたJohn Steinbeck Collectionがあります(John Steinbeck Collections参照)。
先日、必要があり、その資料リスト(A Catalog of John Steinbeck Material in The Ball State University Libraries)を見ていたところ、僕が以前書いた以下2点の論文も収められていることがわかりました。
Yamauchi, Kiyoshi. "John Steinbeck's Descriptions of Eyes." Persica, 28 (Mar. 2001):
89-95.
Yamauchi, Kiyoshi. “On the Descriptions of Human Beings by John Steinbeck.” Azabu
University Liberal Art School Study, 26 (1993): 31-47
この図書館、スタインベック研究者にとっては聖地の一つです。
いつか調査に行きたいと思います。
この英文の解釈が学長によってあるクラスで出題され、あまり芳しい出来ではなかったようですね。
確かに簡単な英文ではないのですが、高校時代までに学習した文法知識と語彙があれば正確に解釈できるはずです。
山内先生、ちゃんと英語教えていますか?と言われましたので、皆さん頑張ってください。
私ももっとしっかり教えないといけないですね。
この文のポイントは、まずnot so much A as Bの構文です。not so much A as Bで「AというよりもむしろB」と丸暗記していても、そんなことは単なる記号の暗記ですので、実用に役立ちません。
なぜそのような意味になるのか理解しておけば、実際にこの表現と出会った時に、解釈の再現ができるのです。
この表現を考える場合、まずnotがついて否定文になっているのですが、いったい何を否定しているのか考えるべきです。
notを省いて考えると、それはわかりやすくなります。not を省けば、so much A as Bになるのですが、so much asのsoはasと置きかえられるもので、as much A as Bと同じことです。
as ~ asは知っていると思いますが、いわゆる「同等比較」で二つのものを比較して、何かの程度が同じくらいであるという時に使います。
たとえば、Mr. Yoshida is as old as Mr. Yamauchi. (吉田さんは山内さんと同じくらいの年齢である)となります。
Mr. Yoshida = Mr. Yamauchiの関係です。
as ~ asを否定文にすると、 not as ~ asとなりますが、例文では、たとえば、Mr. Takanishi is not as old as Mr. Yamauchi. (高西さんは山内さんほど歳を取っていない)となり、不等号で表すとMr. Takanishi < Mr. Yamauchiとなります。
そして、not as ~ asの場合、一つ目のasはしばしばsoに代わるのです。
ですから、Mr. Takanishi is not so old as Mr. Yamauchi.としても同じく「高西さんは山内さんほど歳をとっていない」という意味なのです。
(*ここに出てくる「吉田さん」「高西さん」「山内さん」は皆さんがよく目にする名前かもしれませんが、ここではあくまでも例文として使っています。実在の人物とは一切関係がありません、かもしれませんし、多少関係があるのかもしれません…)
ここまでを理解した上で、では元の文に戻ってみましょう。
not so much in developing new ideas as in escaping from old onesとなっています。
muchはここでは副詞で「多く」というような意味ですが、in developing new ideasとin escaping from old onesを比べて不等号が<であるということを言っているのです。
in ~ing形が二つあるのだから、これをしっかりと対比して考えるだけの英文を読むセンスも身につけていってください。
また、old onesのonesは前に出た名詞の複数を指しているわけですが、ここでは、前にnew ideasとあるわけですから、それと対比してold ideasのことだなと自然にわかるようになっていてください。
ですから、in developing new ideas(新しい考えを発展させることに)とin escaping from old ideas(古い考えから脱却することに)を比べて、前者<後者であると言っているのです。
古い考えから脱却することにが新しい考えを発展させることによりも何かの程度が多い、ということが言いたいのです。
ここで、もう一つのポイントとなるのがliesの意味です。
lieが「嘘」(名詞)や「嘘をつく」(動詞)という意味だとわかることはある程度勉強しているからなのですが、それだけの知識では十分ではないということです。
lieに「横になる」という動詞を知っていた人も多いと思いますが(この意味では前期の英語Ⅰで使った教科書Introduction to Medical English (医学英語入門―医療の現場から日常のシーンまで) (松柏社)のUnit 6に”Please lie down on this bed on your right side”(p.41)という文にも出ていて、これを小テストにも出題して覚えてもらいました。
ただし、「横になる」という意味だと人などが主語でないとおかしいと思ったかもしれません。
実は「lie=横になる」とだけ覚えていても不十分なのです。
lieは物が主語になり「ある」「位置する」などの意味もあるのです。
たとえば、Okayama Prefecture lies to the west of Hyogo Prefecture.(岡山県は兵庫県の西方に位置する)などのように使います。この動詞lieは物理的に何かが存在する意味だけではなく、観念的に「存在する」場合にも使われます。
たとえば、Great future lies in front of you. (皆さんの目の前には素晴らしい未来が広がっている)のように、目に見えない「素晴らしい未来」(great future)などが主語の時にも用いられるのです。
ですから、本文に戻ってthe difficulty liesと来た場合には「困難がある」という意味になるのです。
そして、その困難が新しい考えを発展させることによりも古い考えから脱却することにより多くあると言いたいのです。
だから、この文は「新しい考えを発展させることよりも、古い考えから脱却することのほうに困難がある」→「新しい考え方を発展させることよりも古い考えから脱却することのほうが困難である」のような意味になるのです。
ちなみに、これはイギリスの経済学者ケインズ(John Maynard Keynes, 1883-1946)の言葉です。
ついでに言いますと、ケインズの誕生日は6月5日で、僕と同じ誕生日です。
では、最後に応用問題です。
次の英文を日本語に訳しなさい。
The difficulty lies not so much in learning English as in teaching it.
正解例は示さなくても、上の解説からわかりますよね。
確かに簡単な英文ではないのですが、高校時代までに学習した文法知識と語彙があれば正確に解釈できるはずです。
山内先生、ちゃんと英語教えていますか?と言われましたので、皆さん頑張ってください。
私ももっとしっかり教えないといけないですね。
この文のポイントは、まずnot so much A as Bの構文です。not so much A as Bで「AというよりもむしろB」と丸暗記していても、そんなことは単なる記号の暗記ですので、実用に役立ちません。
なぜそのような意味になるのか理解しておけば、実際にこの表現と出会った時に、解釈の再現ができるのです。
この表現を考える場合、まずnotがついて否定文になっているのですが、いったい何を否定しているのか考えるべきです。
notを省いて考えると、それはわかりやすくなります。not を省けば、so much A as Bになるのですが、so much asのsoはasと置きかえられるもので、as much A as Bと同じことです。
as ~ asは知っていると思いますが、いわゆる「同等比較」で二つのものを比較して、何かの程度が同じくらいであるという時に使います。
たとえば、Mr. Yoshida is as old as Mr. Yamauchi. (吉田さんは山内さんと同じくらいの年齢である)となります。
Mr. Yoshida = Mr. Yamauchiの関係です。
as ~ asを否定文にすると、 not as ~ asとなりますが、例文では、たとえば、Mr. Takanishi is not as old as Mr. Yamauchi. (高西さんは山内さんほど歳を取っていない)となり、不等号で表すとMr. Takanishi < Mr. Yamauchiとなります。
そして、not as ~ asの場合、一つ目のasはしばしばsoに代わるのです。
ですから、Mr. Takanishi is not so old as Mr. Yamauchi.としても同じく「高西さんは山内さんほど歳をとっていない」という意味なのです。
(*ここに出てくる「吉田さん」「高西さん」「山内さん」は皆さんがよく目にする名前かもしれませんが、ここではあくまでも例文として使っています。実在の人物とは一切関係がありません、かもしれませんし、多少関係があるのかもしれません…)
ここまでを理解した上で、では元の文に戻ってみましょう。
not so much in developing new ideas as in escaping from old onesとなっています。
muchはここでは副詞で「多く」というような意味ですが、in developing new ideasとin escaping from old onesを比べて不等号が<であるということを言っているのです。
in ~ing形が二つあるのだから、これをしっかりと対比して考えるだけの英文を読むセンスも身につけていってください。
また、old onesのonesは前に出た名詞の複数を指しているわけですが、ここでは、前にnew ideasとあるわけですから、それと対比してold ideasのことだなと自然にわかるようになっていてください。
ですから、in developing new ideas(新しい考えを発展させることに)とin escaping from old ideas(古い考えから脱却することに)を比べて、前者<後者であると言っているのです。
古い考えから脱却することにが新しい考えを発展させることによりも何かの程度が多い、ということが言いたいのです。
ここで、もう一つのポイントとなるのがliesの意味です。
lieが「嘘」(名詞)や「嘘をつく」(動詞)という意味だとわかることはある程度勉強しているからなのですが、それだけの知識では十分ではないということです。
lieに「横になる」という動詞を知っていた人も多いと思いますが(この意味では前期の英語Ⅰで使った教科書Introduction to Medical English (医学英語入門―医療の現場から日常のシーンまで) (松柏社)のUnit 6に”Please lie down on this bed on your right side”(p.41)という文にも出ていて、これを小テストにも出題して覚えてもらいました。
ただし、「横になる」という意味だと人などが主語でないとおかしいと思ったかもしれません。
実は「lie=横になる」とだけ覚えていても不十分なのです。
lieは物が主語になり「ある」「位置する」などの意味もあるのです。
たとえば、Okayama Prefecture lies to the west of Hyogo Prefecture.(岡山県は兵庫県の西方に位置する)などのように使います。この動詞lieは物理的に何かが存在する意味だけではなく、観念的に「存在する」場合にも使われます。
たとえば、Great future lies in front of you. (皆さんの目の前には素晴らしい未来が広がっている)のように、目に見えない「素晴らしい未来」(great future)などが主語の時にも用いられるのです。
ですから、本文に戻ってthe difficulty liesと来た場合には「困難がある」という意味になるのです。
そして、その困難が新しい考えを発展させることによりも古い考えから脱却することにより多くあると言いたいのです。
だから、この文は「新しい考えを発展させることよりも、古い考えから脱却することのほうに困難がある」→「新しい考え方を発展させることよりも古い考えから脱却することのほうが困難である」のような意味になるのです。
ちなみに、これはイギリスの経済学者ケインズ(John Maynard Keynes, 1883-1946)の言葉です。
ついでに言いますと、ケインズの誕生日は6月5日で、僕と同じ誕生日です。
では、最後に応用問題です。
次の英文を日本語に訳しなさい。
The difficulty lies not so much in learning English as in teaching it.
正解例は示さなくても、上の解説からわかりますよね。
忘年会で中締めの挨拶をするにあたって準備したことは、先ほどの記事(教職員忘年会での中締め挨拶(2015年12月16日))で書きましたが、実は、時間が押してしまいごく短い挨拶を急に求められた場合、自分が準備してきたものと同じことを誰かに言われてしまい二番煎じのようになってしまう場合、何らかの事情で英語でスピーチをしなければならなくなった場合に備え、簡単ながら英語の挨拶も考えさせていただきました。
これは結局日の目をみなかったスピーチ原稿ですが、まあ、ここに挙げておきます。
Good evening, ladies and gentlemen.
I am sorry to interrupt this joyful party, but time passes very quickly especially when we are happy and we have to close the party now. I believe that I am the luckiest person in this room to be picked up for this closing speech. I understand each one of you had various things, happy or unhappy in the year 2015. I do believe that the coming year, the year of 2016 will bring each and every one of us in this room health, happiness and prosperity. I also hope that the good luck lottery will make you very rich. Good luck and good evening! Thank you.
これは結局日の目をみなかったスピーチ原稿ですが、まあ、ここに挙げておきます。
Good evening, ladies and gentlemen.
I am sorry to interrupt this joyful party, but time passes very quickly especially when we are happy and we have to close the party now. I believe that I am the luckiest person in this room to be picked up for this closing speech. I understand each one of you had various things, happy or unhappy in the year 2015. I do believe that the coming year, the year of 2016 will bring each and every one of us in this room health, happiness and prosperity. I also hope that the good luck lottery will make you very rich. Good luck and good evening! Thank you.
今日は、本学教職員の忘年会がありました。
本学では、乾杯の音頭や中締めの挨拶を、学長の発案によりくじで担当を決めています。
今日の忘年会の中締めの挨拶の依頼を先週の金曜日に受けました。
挨拶をする際は、原稿を読んでしまっては面白みがないので、ある程度考えをまとめるためにスピーチで言いたいことをパソコンで文書にまとめ、本番ではそれを思い出しながら言うようにしています。
本番では、臨機応変(=行き当たりばったり)に話しますし、話したかったことを忘れてしまうこともありますので、予定通りに行かないことも多いです。
大体、準備したことの80%話せればいいでしょうか。
ということで、今日の挨拶で話そうと思ってパソコンにまとめていたことは大体下記の通りです。
実は、この通り言っていません。
会の最中、多くの方が短めのスピーチをされていたので、かなり端折りました。
ちなみに、このようなスピーチの準備は、35年前、中学校時代に生徒会長を務めた経験に遡ります。
人前でじょうずに話すことが得意ではないながらも生徒会長になってしまい、毎週月曜日の生徒集会やその他の学校行事での挨拶など、生徒会長を務めた3年生前期の間、何度となく人前で挨拶をする必要がありました。
その頃は、原稿用紙に(手書きで)挨拶文を書き、それを原稿にして当時買ってもらっていたカセットテープレコーダに録音しながら、ほぼ暗記するくらいまで自宅で何度も練習をしました。
それから35年がたち、人前でしゃべるのが相変わらず上手ではないままですが、場数を踏んで慣れてはいるので、中学生の時ほど用意周到に準備しなくなってしまっています。
ということで、このような挨拶の原案を考えました。
Good evening, ladies and gentlemen! いえ、日本語でご挨拶させていただきます。
今日は、中締めの挨拶をするくじが当たったとの連絡を受けましたので、せっかくの忘年会なのに大好きな(?)お酒も飲めず、しらふのまま過ごしてまいりました。冗談です。
新見公立大学・短期大学2015年の忘年会も楽しいうちに終わろうとしております。1980年に開学した本学にとって今年2015年は35周年の年でした。1995年に赴任した私にとっては20周年を迎えた年でもありましたし、赴任当時29歳だった私もなんと50歳という年齢を迎えてしまいました。織田信長が人生50年と言ったそうですし、論語では50にして天命を知る、とあるそうですが、私の場合は、50歳で遠近両用メガネを作りました。ここで50歳になった私が何かすばらしいことをと考えましたが、昨年度の安達先生の忘年会での中締めの挨拶ほど素晴らしいことは言えませんので、日頃考えていることを少しだけ披露してみたいと思います。
私は、1980年に設立された本学を擬人化して1980年生まれの35歳の人間のように見ています。自分より15歳年下の「新見公立大学・短期大学君」と言った感じです。「公立大学法人」ですので、擬人化するのは、あながち間違いではないと思います。35歳と言えば、自分の人生に照らし合わせてみれば、世間的にはやや遅いのですが、ある程度一人前に仕事ができるようになってきている頃でした。この35歳の「新見公立大学・短期大学君」がこの先、どのような中年および老年になっていくのか、つまりはバリバリ活躍してくれる中年/老年になってくれるのか、あまりぱっとしない老年/中年になってしまうのかは、今日ここにお揃いでいらっしゃる皆様方次第だと思います。ぜひ、皆さん力を合わせて、この「新見公立大学・短期大学」君(または「さん」)を、今後もバリバリと活躍してくれるような中年に育て上げていただきたいと思います。人間は、その構成している分子は、20年すれば、全てが入れ替わってしまうと聞いたことがあります。それでも一人の人間としては継続性があるのです。本学も同じだと思います。それぞれが本学の構成要素となっている間、それぞれに与えられた時間の中でどのように寄与するかが、今後の大学の生きざまを決めるのだと思います。そして、この「新見公立大学・短期大学君」が立派に40歳、50歳のお誕生日を迎えられることを楽しみにしております。ちなみに、私は、「新見公立大学・短期大学君」より15歳年上となりますので、記念すべき彼の50歳の誕生日の年は私の定年退職の年にもなります。その時に一緒に盛大にお祝いできますように来年だけとは言わず、来年以降も皆さんで頑張っていけますように祈念いたしまして、本日の中締めの挨拶とさせていただきます。
本学では、乾杯の音頭や中締めの挨拶を、学長の発案によりくじで担当を決めています。
今日の忘年会の中締めの挨拶の依頼を先週の金曜日に受けました。
挨拶をする際は、原稿を読んでしまっては面白みがないので、ある程度考えをまとめるためにスピーチで言いたいことをパソコンで文書にまとめ、本番ではそれを思い出しながら言うようにしています。
本番では、臨機応変(=行き当たりばったり)に話しますし、話したかったことを忘れてしまうこともありますので、予定通りに行かないことも多いです。
大体、準備したことの80%話せればいいでしょうか。
ということで、今日の挨拶で話そうと思ってパソコンにまとめていたことは大体下記の通りです。
実は、この通り言っていません。
会の最中、多くの方が短めのスピーチをされていたので、かなり端折りました。
ちなみに、このようなスピーチの準備は、35年前、中学校時代に生徒会長を務めた経験に遡ります。
人前でじょうずに話すことが得意ではないながらも生徒会長になってしまい、毎週月曜日の生徒集会やその他の学校行事での挨拶など、生徒会長を務めた3年生前期の間、何度となく人前で挨拶をする必要がありました。
その頃は、原稿用紙に(手書きで)挨拶文を書き、それを原稿にして当時買ってもらっていたカセットテープレコーダに録音しながら、ほぼ暗記するくらいまで自宅で何度も練習をしました。
それから35年がたち、人前でしゃべるのが相変わらず上手ではないままですが、場数を踏んで慣れてはいるので、中学生の時ほど用意周到に準備しなくなってしまっています。
ということで、このような挨拶の原案を考えました。
Good evening, ladies and gentlemen! いえ、日本語でご挨拶させていただきます。
今日は、中締めの挨拶をするくじが当たったとの連絡を受けましたので、せっかくの忘年会なのに大好きな(?)お酒も飲めず、しらふのまま過ごしてまいりました。冗談です。
新見公立大学・短期大学2015年の忘年会も楽しいうちに終わろうとしております。1980年に開学した本学にとって今年2015年は35周年の年でした。1995年に赴任した私にとっては20周年を迎えた年でもありましたし、赴任当時29歳だった私もなんと50歳という年齢を迎えてしまいました。織田信長が人生50年と言ったそうですし、論語では50にして天命を知る、とあるそうですが、私の場合は、50歳で遠近両用メガネを作りました。ここで50歳になった私が何かすばらしいことをと考えましたが、昨年度の安達先生の忘年会での中締めの挨拶ほど素晴らしいことは言えませんので、日頃考えていることを少しだけ披露してみたいと思います。
私は、1980年に設立された本学を擬人化して1980年生まれの35歳の人間のように見ています。自分より15歳年下の「新見公立大学・短期大学君」と言った感じです。「公立大学法人」ですので、擬人化するのは、あながち間違いではないと思います。35歳と言えば、自分の人生に照らし合わせてみれば、世間的にはやや遅いのですが、ある程度一人前に仕事ができるようになってきている頃でした。この35歳の「新見公立大学・短期大学君」がこの先、どのような中年および老年になっていくのか、つまりはバリバリ活躍してくれる中年/老年になってくれるのか、あまりぱっとしない老年/中年になってしまうのかは、今日ここにお揃いでいらっしゃる皆様方次第だと思います。ぜひ、皆さん力を合わせて、この「新見公立大学・短期大学」君(または「さん」)を、今後もバリバリと活躍してくれるような中年に育て上げていただきたいと思います。人間は、その構成している分子は、20年すれば、全てが入れ替わってしまうと聞いたことがあります。それでも一人の人間としては継続性があるのです。本学も同じだと思います。それぞれが本学の構成要素となっている間、それぞれに与えられた時間の中でどのように寄与するかが、今後の大学の生きざまを決めるのだと思います。そして、この「新見公立大学・短期大学君」が立派に40歳、50歳のお誕生日を迎えられることを楽しみにしております。ちなみに、私は、「新見公立大学・短期大学君」より15歳年上となりますので、記念すべき彼の50歳の誕生日の年は私の定年退職の年にもなります。その時に一緒に盛大にお祝いできますように来年だけとは言わず、来年以降も皆さんで頑張っていけますように祈念いたしまして、本日の中締めの挨拶とさせていただきます。
2015年12月7日(月)、まなび広場にいみ大ホールで開催されました石破 茂地方創生担当大臣特別講演会『地方から創生する我が国の未来』を聴講しました。
この講演会は、新見市が主催ですが、共催は、地方創生にいみカレッジとなっています。
現役大臣の講演とあって、会場の大ホールは満席でした。
講演に先立ち、新見公立大学・新見公立短期大学も協力を要請され、学生が出演している
PR動画「おいでんせぇ 岡山県新見市」【新見市公式】も会場に流されました。
本学のPRにもなりよかったです。
石破大臣の話は、人口減少が進む地方とその逆に都市への人口集中が進む流れを打破するためには地方都市の市民の積極的な行動が必要という骨子(簡単にまとめすぎではありますが)でした。
それにしても、合計特殊出生率の都道府県別のグラフで、東京都が他の道府県と比べはるかに低いことが示されびっくりしました。
実は、今年の看護学部1年生の基礎ゼミナールで私が担当するグループで「少子化」をテーマに話し合ったのですが、僕はその時に、人間も生物であるので、自分の周りにたくさんの個体がいる状態では、積極的にそれ以上個体数を増やそうとしないのでは、という仮説を唱えてみました。
僕自身、生物学者ではありませんので、これはこれまでの見聞や体験からの単なる思い付きによる推察的仮説に過ぎません。
本題からそれますので、ここでは、この件についての議論はせず、別の機会に譲りたいと思います。
実は、石破大臣の講演を聞かせていただいたのは、大臣がどのように上手な講演をされるか、話の展開や話の仕方に参考になることがあるだろうという、もしかしたら本題からずれている僕なりの目的もありました。
さすが話慣れているし、最初は平たんな調子で話に入り、後半に行くにしたがって熱を帯びて主張するというとても効果的なスピーチ法になっていると感心しました。
現役大臣の話を聞きに行かせてもらうのは、現在、自民党の高村正彦副総裁が外務大臣を務めた際、高松市で行った講演を聞かせてもらって以来でした。
この講演会は、新見市が主催ですが、共催は、地方創生にいみカレッジとなっています。
現役大臣の講演とあって、会場の大ホールは満席でした。
講演に先立ち、新見公立大学・新見公立短期大学も協力を要請され、学生が出演している
PR動画「おいでんせぇ 岡山県新見市」【新見市公式】も会場に流されました。
本学のPRにもなりよかったです。
石破大臣の話は、人口減少が進む地方とその逆に都市への人口集中が進む流れを打破するためには地方都市の市民の積極的な行動が必要という骨子(簡単にまとめすぎではありますが)でした。
それにしても、合計特殊出生率の都道府県別のグラフで、東京都が他の道府県と比べはるかに低いことが示されびっくりしました。
実は、今年の看護学部1年生の基礎ゼミナールで私が担当するグループで「少子化」をテーマに話し合ったのですが、僕はその時に、人間も生物であるので、自分の周りにたくさんの個体がいる状態では、積極的にそれ以上個体数を増やそうとしないのでは、という仮説を唱えてみました。
僕自身、生物学者ではありませんので、これはこれまでの見聞や体験からの単なる思い付きによる推察的仮説に過ぎません。
本題からそれますので、ここでは、この件についての議論はせず、別の機会に譲りたいと思います。
実は、石破大臣の講演を聞かせていただいたのは、大臣がどのように上手な講演をされるか、話の展開や話の仕方に参考になることがあるだろうという、もしかしたら本題からずれている僕なりの目的もありました。
さすが話慣れているし、最初は平たんな調子で話に入り、後半に行くにしたがって熱を帯びて主張するというとても効果的なスピーチ法になっていると感心しました。
現役大臣の話を聞きに行かせてもらうのは、現在、自民党の高村正彦副総裁が外務大臣を務めた際、高松市で行った講演を聞かせてもらって以来でした。
明日2015年12月15日(火)は、今年度の新見市国際交流協会英語講座の最終回となる第10回(兼第275回新見英語サロン)です。
受講者の皆さん、よく頑張りました。
今回のテーマはFood(食べ物)です。
これを勉強して、次の回(12月22日に忘年会を兼ねて予定していましたALT交流会は都合により新年会を兼ねて来年1月12日に実施することになりました)につなげてください。
では、明日も18時30分から学術交流センター交流ホールでお会いしましょう。
受講者の皆さん、よく頑張りました。
今回のテーマはFood(食べ物)です。
これを勉強して、次の回(12月22日に忘年会を兼ねて予定していましたALT交流会は都合により新年会を兼ねて来年1月12日に実施することになりました)につなげてください。
では、明日も18時30分から学術交流センター交流ホールでお会いしましょう。
講演会や学会での研究発表の聴講時にメモを取るノートからの備忘録的記録です。
1994年10月2日、常葉学園大学において現在はメディア英語学会と改称している日本時事英語学会の年次大会が開催され、参加しました。
以下の研究発表を聞かせてもらいました。
須永紫乃生先生(駒沢女子短期大学)「国民・民族名の形態的・音韻的研究」
杉浦正好氏(名古屋短大)「Newsweekに現れた日本語の分析」
Jonathan Picken 氏(津田塾大)「Location References in the News」
内田 恵氏(常葉学園大)「新聞記事に見られる分離不定詞構文について」
水野修身先生「時事英語に用いられる語群複合語の表現形態」
1994年10月2日、常葉学園大学において現在はメディア英語学会と改称している日本時事英語学会の年次大会が開催され、参加しました。
以下の研究発表を聞かせてもらいました。
須永紫乃生先生(駒沢女子短期大学)「国民・民族名の形態的・音韻的研究」
杉浦正好氏(名古屋短大)「Newsweekに現れた日本語の分析」
Jonathan Picken 氏(津田塾大)「Location References in the News」
内田 恵氏(常葉学園大)「新聞記事に見られる分離不定詞構文について」
水野修身先生「時事英語に用いられる語群複合語の表現形態」
2015年12月6日(日)、日本大学文理学部で開催された欧米言語文化学会第131回例会に参加しました。
この学会は、前身の欧米言語文化研究会の頃からの古いメンバーではあるのですが、1995年に本学に赴任し新見に移り住んでからは、遠方になってしまったということもあり、あまり頻繁には参加できなくなってしまいました。
今回のプログラムは、以下のようでした。
<プログラム>
〇研究発表 (15:00 ~17:30 )
ディケンズとポー
司会 早稲田大学非常勤講師 田村 裕二氏
早稲田大学非常勤講師 水野 隆之氏
Shakespeareの初期作品におけるartifice ―The Comedy of Errors 再考―
司会 早稲田大学非常勤講師 田村 裕二氏
日本大学非常勤講師 小山 誠子氏
文学系の研究発表はその作家や作品のことを知らないと興味深さが半減してしまうのですが、幸いディケンズもポーも、そしてシェイクスピアも読んでいるので、とても興味深く聞くことができました。
せっかく参加したので、質問やコメントもさせていただきました。
頻繁に出ることができないとしても、時々は顔を出すことの大切さを再認識し、遠路はるばる参加した意義がありました。
この学会は、前身の欧米言語文化研究会の頃からの古いメンバーではあるのですが、1995年に本学に赴任し新見に移り住んでからは、遠方になってしまったということもあり、あまり頻繁には参加できなくなってしまいました。
今回のプログラムは、以下のようでした。
<プログラム>
〇研究発表 (15:00 ~17:30 )
ディケンズとポー
司会 早稲田大学非常勤講師 田村 裕二氏
早稲田大学非常勤講師 水野 隆之氏
Shakespeareの初期作品におけるartifice ―The Comedy of Errors 再考―
司会 早稲田大学非常勤講師 田村 裕二氏
日本大学非常勤講師 小山 誠子氏
文学系の研究発表はその作家や作品のことを知らないと興味深さが半減してしまうのですが、幸いディケンズもポーも、そしてシェイクスピアも読んでいるので、とても興味深く聞くことができました。
せっかく参加したので、質問やコメントもさせていただきました。
頻繁に出ることができないとしても、時々は顔を出すことの大切さを再認識し、遠路はるばる参加した意義がありました。
僕は、講演会や学会での研究発表を聴講する時にノートにメモを取っています。
その古いノートから備忘録的にブログにも記載しておきます。
1994年7月16日、これは新見に赴任する前年で、まだ横浜に在住していた頃ですが、湘南英文学会に参加しました。
志村正雄先生の「Nature Writingについて」という講演を聴講しています。
メモによると、Nature Writingに分類される作家および、その作品、そしてNature Writing の特徴について学んだようです。
その古いノートから備忘録的にブログにも記載しておきます。
1994年7月16日、これは新見に赴任する前年で、まだ横浜に在住していた頃ですが、湘南英文学会に参加しました。
志村正雄先生の「Nature Writingについて」という講演を聴講しています。
メモによると、Nature Writingに分類される作家および、その作品、そしてNature Writing の特徴について学んだようです。
報告が遅くなっていますが、2015年3月10日(火)、第249回新見英語サロンを開催しました。
この日は、Nicole Halsethさんのプレゼンテーションの予定でしたが、道路の凍結が予想されるため、早めに終了しようということになりました。
Nicoleさんのプレゼンテーションは、たっぷり時間が取れる時にしてもらうこととして、この日はLet's Chatと題して、アメリカ、英国、カナダ、日本の文化の違いなどについておしゃべりをしました。
これが、2014年度の最後の活動でした。
英語サロンは、参加してくださる地域の皆さん、ALTの先生方のご協力のもと、このように充実した活動を続けられています。
今後ともよろしくお願いします。
この日は、Nicole Halsethさんのプレゼンテーションの予定でしたが、道路の凍結が予想されるため、早めに終了しようということになりました。
Nicoleさんのプレゼンテーションは、たっぷり時間が取れる時にしてもらうこととして、この日はLet's Chatと題して、アメリカ、英国、カナダ、日本の文化の違いなどについておしゃべりをしました。
これが、2014年度の最後の活動でした。
英語サロンは、参加してくださる地域の皆さん、ALTの先生方のご協力のもと、このように充実した活動を続けられています。
今後ともよろしくお願いします。
放送大学岡山学習センターと新見市学術交流センター図書館の連携講座が下記のように開催されます。
演題:「クリスマスソングと英語」
講師:服部 美佳氏
(放送大学岡山学習センター客員准教授・岡山大学非常勤講師)
日時:平成27年12月20日(日)14:00~
場所:学術交流センター3階研修室
定員:先着50名
申込:新見市学術交流センター(新見公立大学内)
TEL/(0867)72-0664
新見市生涯学習課生涯学習係
TEL/(0867)72-6147
僕もクリスマス時期には、授業でクリスマスソングを教材にします(幼児教育学科のみ←看護学部と地域福祉学科の皆さん、ごめんなさい)。
学生の皆さん、是非参加してみましょう。
演題:「クリスマスソングと英語」
講師:服部 美佳氏
(放送大学岡山学習センター客員准教授・岡山大学非常勤講師)
日時:平成27年12月20日(日)14:00~
場所:学術交流センター3階研修室
定員:先着50名
申込:新見市学術交流センター(新見公立大学内)
TEL/(0867)72-0664
新見市生涯学習課生涯学習係
TEL/(0867)72-6147
僕もクリスマス時期には、授業でクリスマスソングを教材にします(幼児教育学科のみ←看護学部と地域福祉学科の皆さん、ごめんなさい)。
学生の皆さん、是非参加してみましょう。