今日息子が、突然「つきは ひがし ひは にし」のようなことを言っていました。
妻が、「何、それっ。どこで聞いたの?」と聞くと、「にほんごであそぼだよ」答える息子。
しかも、「つきは ひがし ひは にし」といいながら指を折っているのです。
NHK教育テレビで放送している、「にほんごであそぼ」という番組、僕も時々見ることはあります。NHK教育の一連の子ども対象番組の時には、テレビをずっとつけていることもあるので、息子もこの番組は時々目にしているはずです。
この番組では、日本文学の有名な詩歌や名句などを、印象深く紹介しています。
もちろん息子が言っていたのは、与謝蕪村の有名な句「菜の花や 月は東に 日は西に」です。
番組では、この俳句の五七五を紹介するためにきっと指を折りながら文字数を数えているのでしょう。
この句は、僕は小学校高学年の国語の教科書に出ていて習いました(おそらく小学校5年生のときに伊藤先生に習ったのだろうと思います。いや、4年生のときの松野先生かな??)
月が東にあり、太陽が西にあるときは、満月である、そして、その満月の黄色と菜の花の黄色の対比が見られる、春の夕暮れの名句であるというようなことを習ったことを鮮明に覚えています。
こんな少ない文字数で、とても多くの情景を語ることができるんだなあと思い、感動さえ覚えたものです。
息子もきっと、小学校高学年くらいに、国語の教科書でこの句を習うでしょう。その時に、幼い頃に覚えたこの日本語の名文の記憶が残っているのでしょうか?
にほんごであそぼ、なかなかいい番組です。
僕は、職業柄、「えいごであそぼ」は時々見ます(幼児教育学科の教材としても使うので)。
今度からは「にほんごであそぼ」も、もっと見るようにしようかな。
ところで、この句、平野が広がる静岡県浜松市で習った僕は、ぴんと来ました。
でも、この山間の地新見では、「月は東に日は西に」という状態は、ぴんと来ないかもしれないなと思いました。
きっとこの辺りでは、種田山頭火の「分け入っても 分け入っても 青い山」や若山牧水の「幾山河 越えさり行かば…」などのほうがぴんと来るのだろうなと感じました。
妻が、「何、それっ。どこで聞いたの?」と聞くと、「にほんごであそぼだよ」答える息子。
しかも、「つきは ひがし ひは にし」といいながら指を折っているのです。
NHK教育テレビで放送している、「にほんごであそぼ」という番組、僕も時々見ることはあります。NHK教育の一連の子ども対象番組の時には、テレビをずっとつけていることもあるので、息子もこの番組は時々目にしているはずです。
この番組では、日本文学の有名な詩歌や名句などを、印象深く紹介しています。
もちろん息子が言っていたのは、与謝蕪村の有名な句「菜の花や 月は東に 日は西に」です。
番組では、この俳句の五七五を紹介するためにきっと指を折りながら文字数を数えているのでしょう。
この句は、僕は小学校高学年の国語の教科書に出ていて習いました(おそらく小学校5年生のときに伊藤先生に習ったのだろうと思います。いや、4年生のときの松野先生かな??)
月が東にあり、太陽が西にあるときは、満月である、そして、その満月の黄色と菜の花の黄色の対比が見られる、春の夕暮れの名句であるというようなことを習ったことを鮮明に覚えています。
こんな少ない文字数で、とても多くの情景を語ることができるんだなあと思い、感動さえ覚えたものです。
息子もきっと、小学校高学年くらいに、国語の教科書でこの句を習うでしょう。その時に、幼い頃に覚えたこの日本語の名文の記憶が残っているのでしょうか?
にほんごであそぼ、なかなかいい番組です。
僕は、職業柄、「えいごであそぼ」は時々見ます(幼児教育学科の教材としても使うので)。
今度からは「にほんごであそぼ」も、もっと見るようにしようかな。
ところで、この句、平野が広がる静岡県浜松市で習った僕は、ぴんと来ました。
でも、この山間の地新見では、「月は東に日は西に」という状態は、ぴんと来ないかもしれないなと思いました。
きっとこの辺りでは、種田山頭火の「分け入っても 分け入っても 青い山」や若山牧水の「幾山河 越えさり行かば…」などのほうがぴんと来るのだろうなと感じました。