僕は、アメリカのノーベル賞作家ジョン・スタインベック(John Steinbeck)の研究を自分の研究分野の一つにしています。
ジョン・スタインベックとの出会いは、大学時代に所属していたESS(English Speaking Society, 英語会)でのサークル活動の一つに英語で本を読み、それについて読後感想などを話し合うBook Reviewというものがあり、その活動でスタインベックの『真珠』(The Pearl)を読んだことにさかのぼります。
また、大学時代カリフォルニア州のサンノゼでホームステイを体験した時にホストファミリーのバロウズ一家にスタインベックのゆかりの地モンテレーに連れて行ってもらったことも大きなきっかけになり、スタインベックに対する興味を深めました。
現在は、いろいろな学会に所属していますが、その一つに日本ジョン・スタインベック協会があります。
Steinbeck Studiesとは、この日本ジョン・スタインベック協会の学術雑誌で年1回発行されます。
この雑誌には、その発行年度に年次大会で研究発表やシンポジウムをした場合、その概要を報告することになっています。
僕は、昨年(2009年)の6月に行われた第33回日本スタインベック学会で「いま、スタインベックをどう教えるか?」のタイトルのもと、パネリストの一人として「スタインベック文学の幅広い可能性―The Wide Possibility of John Steinbeck」と題して、普段から自分のできる範囲で行っているジョン・スタインベックの読者を増やすささやかな努力を報告させてもらいました。
この原稿締め切りが、12月31日でした。ちなみに原稿は英語で書きます。そして、英語を母語としない場合は、英語の母語話者によるネイティブ・チェックを受けることが条件となっています。
冬休みに入り、ようやく時間が取れたので、原稿を書き、いつもネイティブ・チェックの場合にお願いする僕の友人でアメリカの高校教員のスーさんのチェックを受け、年末の締め切りに間に合うように原稿提出ができました。
ちなみに、スーさんとは、彼女が日本人の友人に日本語で手紙やメールを出す場合の日本語訳やチェックをさせてもらっているので、give & takeが成り立っていてお互いに頼みやすい関係になっています。
以前、ある雑誌で“A Letter from an American High School”という欄を担当させてもらった時には、彼女や彼女の同僚、生徒に手紙を投稿してもらったこともあります。
このスーさんとは、新見市の姉妹都市交流で知り合いました。
文章でうまく表せるかどうかわかりませんが、僕の姉妹都市交流の経験は地域貢献となり、自分の姉妹都市交流の研究につながり、それがスタイベック研究や他の研究も支え、さらにそのスタインベック研究や他の研究が思わぬところで姉妹都市交流とつながり、それらの絡み合った経験の集合が自分の英語教員としての質を高め、英語教育を行っていることが、また、新たな交流を呼んだり、地域貢献となったり、自分という存在があったら、その周りの出来事がいろんな形で結びついたり関係したりしているという実感を感じ始めているような、おそらく人生の充実期と呼べるのかもしれませんが、そんな年代になっていることを実感している今日この頃です(←多分この文は、僕のこれまでのブログの中で最長の文でしょう。携帯で読んでくださっている方、読みにくくてごめんなさい)。
でも、同時にまだまだ自分の力不足も感じることも多々あります。
今日は、なんだか内容がタイトルから離れてしまった感がありますが、年頭にあたって自分を見直している結果だと思います。どうかご容赦ください。
ジョン・スタインベックとの出会いは、大学時代に所属していたESS(English Speaking Society, 英語会)でのサークル活動の一つに英語で本を読み、それについて読後感想などを話し合うBook Reviewというものがあり、その活動でスタインベックの『真珠』(The Pearl)を読んだことにさかのぼります。
また、大学時代カリフォルニア州のサンノゼでホームステイを体験した時にホストファミリーのバロウズ一家にスタインベックのゆかりの地モンテレーに連れて行ってもらったことも大きなきっかけになり、スタインベックに対する興味を深めました。
現在は、いろいろな学会に所属していますが、その一つに日本ジョン・スタインベック協会があります。
Steinbeck Studiesとは、この日本ジョン・スタインベック協会の学術雑誌で年1回発行されます。
この雑誌には、その発行年度に年次大会で研究発表やシンポジウムをした場合、その概要を報告することになっています。
僕は、昨年(2009年)の6月に行われた第33回日本スタインベック学会で「いま、スタインベックをどう教えるか?」のタイトルのもと、パネリストの一人として「スタインベック文学の幅広い可能性―The Wide Possibility of John Steinbeck」と題して、普段から自分のできる範囲で行っているジョン・スタインベックの読者を増やすささやかな努力を報告させてもらいました。
この原稿締め切りが、12月31日でした。ちなみに原稿は英語で書きます。そして、英語を母語としない場合は、英語の母語話者によるネイティブ・チェックを受けることが条件となっています。
冬休みに入り、ようやく時間が取れたので、原稿を書き、いつもネイティブ・チェックの場合にお願いする僕の友人でアメリカの高校教員のスーさんのチェックを受け、年末の締め切りに間に合うように原稿提出ができました。
ちなみに、スーさんとは、彼女が日本人の友人に日本語で手紙やメールを出す場合の日本語訳やチェックをさせてもらっているので、give & takeが成り立っていてお互いに頼みやすい関係になっています。
以前、ある雑誌で“A Letter from an American High School”という欄を担当させてもらった時には、彼女や彼女の同僚、生徒に手紙を投稿してもらったこともあります。
このスーさんとは、新見市の姉妹都市交流で知り合いました。
文章でうまく表せるかどうかわかりませんが、僕の姉妹都市交流の経験は地域貢献となり、自分の姉妹都市交流の研究につながり、それがスタイベック研究や他の研究も支え、さらにそのスタインベック研究や他の研究が思わぬところで姉妹都市交流とつながり、それらの絡み合った経験の集合が自分の英語教員としての質を高め、英語教育を行っていることが、また、新たな交流を呼んだり、地域貢献となったり、自分という存在があったら、その周りの出来事がいろんな形で結びついたり関係したりしているという実感を感じ始めているような、おそらく人生の充実期と呼べるのかもしれませんが、そんな年代になっていることを実感している今日この頃です(←多分この文は、僕のこれまでのブログの中で最長の文でしょう。携帯で読んでくださっている方、読みにくくてごめんなさい)。
でも、同時にまだまだ自分の力不足も感じることも多々あります。
今日は、なんだか内容がタイトルから離れてしまった感がありますが、年頭にあたって自分を見直している結果だと思います。どうかご容赦ください。