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森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「奴らの気配がする」

2019-08-01 23:59:57 | 梢は歌う(日記)

とうとう8月になってしまいました。

8月と言ったら、あと5か月で2019年も終わりなんですよ。

いつも言っている事なのですが、過ぎていく時間に自分の気持ちが付いていけてないような気がするのです。

私、ボケてしまったら、今は何月と唐突に聞かれたら5月ぐらいかしらとか言いそうで、なんか怖いです。

だけどボンヤリと暮らしていたからそうなのだと言うわけではないのですね。

1月から7月まで、けっこうぎゅうぎゅうと詰まった(楽しい)暮らしをしていましたよ。

気持ちに余裕がないから、付いていけてないのかも知れませんね。

 

じゃあ、今年の残り5か月の目標としては、「チョー余裕の生活」てな所でしょうか。

 

その「チョー余裕の生活」って言うのは、かなりジタバタとハヤハヤの生活で家事などを終わらせて、やるべき事なども溜めずにサッサと片付ける事から生まれてくるわけで、実はのんびりとは真逆の生活。

何が本当に良いのか、本当は分からない !

まあ、細かい事はどうでも良いじゃないの。もう、暑いんだから、南国の人のようにおおらかに生きましょうよね。

だって梅雨が明けたら、いきなりのこの暑さ。

バテますよね。

 

先週の日曜日には、珍しく夫とルート君の三人で服などを買いに行ったのです。その帰り道、ルート君がマンションの駐車場を歩きながら、ぼそっと言いました。

「奴らの気配がする。」と。

私はドキリとしました。夏の「奴ら」と言ったら「G」の事かと思ったからです。

「そうじゃないよ。夏に煩く鳴く奴らがいるじゃないですか。あ奴らの声がずっと聞こえなかったのに、聞こえてきたからさ、急に。」と彼は言いました。

それで私は気が付いたのです。

今までずっとその声を聞いてなかった事に。

 

水曜日はサークルの活動日。

トップ画像はその時に頂いた白ゴーヤです。

その時に、同じサークルのメンバーの人が

「セミの声が弱々しい。」と言ったのです。

 

それでその日の夕方、買い物のついでに近所の公園に行きました。

その季節にあるものをしっかり感じていかなければ、私はいつか本当に八月なのに「さあ、五月くらいかしら」とか言う人になってしまいそうですから。

流石に大きな公園です。

セミの声は元気に聞こえてきました。

私は、時々立ち止まってそのセミの鳴き声に耳を澄ましてきたのです。

 

  

 

 

 

散歩すると、いろいろな事を見つけたりしますよね。

この池の中には、鯉の稚魚たちが泳いでいました。

涼しい所の紫陽花はまだまだ咲いていました。

絶滅危惧種を草ボーボーの所で(大切に)育てているんだなとか、この実は何色に色づいて行くのだろうかとか。

 

毎日を暮らしていく事は、この散歩すると同じ事なのかも知れませんね。

そこにある素敵な事を見つける力は、いつだって自分次第なのですから。

 

 

コメント (2)
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