別に工夫なし。放下すればすなわち是なり。
夢窓疎石
室町幕府を開いた足利尊氏に、直義という弟がいた。
直義は夢窓国師について禅を学んでいたが、戦乱の世の行く末や自らの生き方に不安を覚え、夢窓国師にすべてを投げ打って禅の修業に打ち込むべきか尋ねる。
その際の国師の答えがこれ。
「別に工夫なし。放下すればすなわち是なり」・・とは、何も心に構えたり、計らったりするコトはない。
構えや計らいを捨ててしまって、コトにあたればいい・・というほどのイミ。
あれこれ考えず、心を空っぽにして、一生懸命やるべきコトをやればそれでいい・・。
国師のこの言葉で直義は眼を開かれ、兄の尊氏を支えて、室町幕府の樹立に大きく貢献するコトになる。
『臨済録』に「随所に主となれば、立処みな真なり」という言葉がある。
どんな環境にあっても、自分というものをただ一生懸命に投入し、行動すれば、真理から離れるコトはない・・というイミ。
それが、たとえ意に沿わない場所であったとしても、腐ったり、そこから逃れる算段などせず、その場その場で一生懸命やるコトこそ大切・・。
まさしく、「いま、ここ」・・という禅の神髄である。
今やってるコトはそっちのけで、いつも他のコトを考えている・・。
そんな空虚な日々の連続で、毎日が過ぎていく・・。
そんなコトで「いま、ここ」を生きていると言えるだろうか・・?
「別無工夫」
あれこれ考えず、ただ一心不乱、一生懸命に、「今、ここ」で生きるコトに没頭できればなぁ・・。