Peace Waveの平和な日々~行く雲、流れる水のように~

気が向いたら、ボチボチ更新しようかと・・。(笑)

広島限定?スナック

2009年04月20日 | 広島のオススメ!

近くのコンビニでコーナーが設けられ売られていた。

まずはベビースターラーメン広島風お好み焼き味!

「数量限定」の文字が泣かせる。

 

広島風お好み焼き味コーンスナック!

もちろん、オタフクソース使用

 

そして、Carpいか姿フライ!

こちらもお好みソース味。

「必勝!我らの広島東洋カープ」のコピーが光る!

新球場元年の今年こそ、ガンバってほしいものだ。

 

値段はどれも100円そこそこ。

他にもあるかも・・。

それぞれベビースターラーメン、コーンスナック、いか姿フライではあるが、どれもソース味でおいしいんだけど、正直、同じ味に感じる・・。

 

 


復活祭

2009年04月19日 | 歴史・民俗

今日は復活祭。英語でイースターとも言われる。

キリスト教の典礼暦の中で最も重要な祝日で、十字架にかけられて死んだイエス・キリストが三日目によみがえった事を記念する日だそうだ。

復活祭は基本的に「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」に祝われるため、毎年日付が変わる移動祝日となるそう。

で、今年2009年は西方教会で4月12日、東方教会で4月19日、つまり今日になるのだとか。

ちなみに「復活節」とは復活祭からはじまる季節の事をいい、ペンテコステ(聖霊降臨)の日まで7週間続くという。

 

もちろん、クリスチャンでなければ関係ないし、全く知らない話であろうが・・。

 

このキリスト教、そもそもイエス在世時には、漁師や乞食、遊女といった社会の最下層の人々を信者とし、律法を守る当時のユダヤ教社会にとっては異端も異端、迫害されるばかりの新興宗教にすぎなかった。

”クリスチャン”という今では美しい響きをもった言葉さえも、当時は「キリストに狂った者」、「キリストきちがい」というほどのイミをもった一種の差別用語であったという。

 

今でこそ三大宗教の筆頭ともいうべきこのキリスト教も、爆発的に信徒が増え広がり、世界中がキリスト教文化圏の影響を受けるほどの版図を誇るようになるその本当のはじまりは、教祖であるイエスが死に、復活したその後からのコトなのだ。

そーゆーイミでもこの復活祭、重要な祝日といえよう。

 

実際、イエスが十字架につけられる前、その弟子たちはゲツセマネで必死に祈るイエスをおいて眠りこけ、ユダは銀貨30枚でイエスを売り渡し、ペテロは自分に被害が及ぶコトを恐れて3度イエスを知らないと否定した。

そんな不信仰な弟子たちに裏切られ、十字架につけられて死んでしまったイエスが肉体は失ってしまったものの、霊的には復活して弟子たちのもとを訪れ、勇気づけるコトで弟子たちが悔い改め、そこから新たに出発したのが現在にまで至るキリスト教といえよう。

クリスチャンの作家、遠藤周作の表現を借りれば「イエスの死後、弱虫の弟子たちが強虫になった」というコトであろう。生まれ変わったとでもいおうか。

 

どうせなら、イエスが生きている時にその決意が出来なかったのだろうか?

信仰心の篤いクリスチャンならそう思うであろう。

 

しかし、イエスは再臨されるとしながらも、その時と同じコトがおこると言われている。

「彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。」(ルカ17:25) 

「しかし、人の子がくるとき、地上に信仰が見られるであろうか」(ルカ18:8)

 

歴史は繰り返す。

 

最もイエスを待ち望んでいたはずの律法学者たちは、結局イエスを十字架につけてしまった。

それはイエスが当時、信仰心の篤いユダヤ教徒にとって、もっとも受け入れがたい姿で現れたからに他ならない。

 

ちなみに新約聖書のマタイによる福音書の冒頭にイエスの系図が出てくる。

信仰の祖、アブラハムからイエスまで辿れるので、旧約聖書を読めば、神が創造した人類始祖、アダムからずっと辿るコトが可能だ。

その系図の中に姦淫の女性が出てくる。ユダヤ教の律法において許されざる罪を犯した女の名が神の子の血統に連なるワケだ。

これは神学上もナゾとされる。

 「アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。アブラハムはイサクの父であり、イサクはヤコブの父、・・(中略)・・エリウデはエレアザルの父、エレアザルはマタンの父、マタンはヤコブの父、ヤコブはマリヤの夫ヨセフの父であった。このマリヤからキリストといわれるイエスがお生まれになった。」(マタイ1:1~16)

「ヨセフはイエスの父」とは聖書には書かれていない。

聖書によれば、マリヤは聖霊によってイエスを身ごもったとある。

しかし、イエスにも父はある。

これは血統の問題にかかわるコトである。

すべては血統がカギとなる。

「あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。見るには見るが、決して認めない。この民の心は鈍くなり、その耳は聞えにくく、その目は閉じている。それは、彼らが目で見ず、耳で聞かず、心で悟らず、悔い改めていやされることがないためである」(マタイ13:14~15) 

 

 

 

 

 

 


興味ない話

2009年04月18日 | 最近、思うコト

イチローが日米通算3086安打達成!

 

・・て、このタイトルでこの書き出しだと、「けしからん!」と怒られてしまいそうだが・・。

イチローの記録はスゴイものに違いないし、誰もが認める超一流の選手だ。

 

しかし、実際のトコロ、自分は普段あまり野球も見ないし、それほど興味もないので、どれだけスゴイ記録かも正直ピンとこない・・というのがホンネだ。

 

で、今朝、奥さんとその話になった時のコト。

8年連続200本安打という記録も、昔ならファールがカウントされなかったのが、今は2ストライクまでカウントされるので、バッターにとってははるかにその記録を達成するコトが難しい状況なんだ・・という話を、そのルールから懇切丁寧に説明してくれたのだが、いかんせん自分が野球に興味ないので、

「ふーん・・

・・と、いかにも食いつきが悪い状態で聞いていたら

「ちゃんと聞いてるん!

・・と怒られてしまった。

 

で、その後、ふと思わされた。

格闘技好きの自分は格闘技嫌いの奥さんになかなかその魅力を伝えるコトができない。

「嫌いなものは嫌い」

・・と言われれば、正直それでおわってしまうので、それ以上その話をするコトもない。

そんな奥さんに対して、自分が興味ないもんは全く歩み寄ろうとしないよなあ・・なんて思ってたりしてたのだが、

 

「あ、それって俺も一緒だな・・」

 

・・というコトに気付かされたのだ。 

何もこーゆー話に限ったコトではないだろう。「 人のコトを言うお前はどんだけのもんや・・」という思いになった覚えは誰しもあるだろう。

それでいながら、意外と自分のコトは気付いていなかったりする。

有名な聖句にもこうある。

「人をさばくな。自分がさばかれないためである。あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか」(マタイ7:1~3)

なんでだろーねえ・・。

 

ちなみにイチローに抜かれるまで3085本の日本プロ野球最多安打記録保持者の張本勲は”安打製造機”の異名で現役時代に活躍、広島出身で被爆経験もある在日韓国人だ。

偉大な広島県民がここにも・・。

 

 

 

 


お花見行った?

2009年04月16日 | 最近、思うコト

もう広島では今年の桜はすっかり散ってしまったが、毎年、桜が咲く時期になると

「お花見行った?

「もうお花見、行かれました?

・・というのが、時候の挨拶のように、お決まりのフレーズとなる。

 

その時の「お花見」という言葉は、桜の下で料理をつついたり、お弁当を開いたり、お酒を飲んだりと、ちょっとした宴会を開く・・というイミで使われているコトが多いようだ。

だから、「まだ行ってない」という人は、要は「桜の下で飲み食いしてない」・・というコトになる・・。

 

まさに「花より団子」・・。

 

実際、花を見るコトより、ドンチャン騒ぎするコト自体が目的になっているかのようなお花見のニュース映像を見ると、本末転倒ここに極まれり・・て感じで

「なんだかなあ・・」と思ってしまう。

焼肉はどこで焼いて食ってもうまいだろうし(やったコトあるけど・・)、カラオケも楽しいだろう。

 

しかし、酒に酔うより、花に酔う方がいいよねえ・・。

 

コンビニで買ったお茶だけでも、ゆっくりベンチに座って桜を眺めつつ、静かに心癒される時間をもつというのは、なによりも贅沢な「お花見」なのかもね・・。

 

また1年後には、美しい花を咲かせてくれるコトでしょう。

それまで、しばしのお別れ・・。

また来年・・。


近くて遠い国・その2

2009年04月13日 | (笑)のツボ

これも韓国で売られていたもの。

中身は何の変哲もないアンパンなのだが、このパッケージに描かれているイラストがスゴイ・・。

 

どう見ても両側の2人が真ん中の少年をいじめてるようにしか見えない・・。

この悪意に満ちた意地の悪そうな笑い顔を見よ・・。(笑)

なぜこの絵にしたのか・・?ナゾだ・・。


栄光の冠

2009年04月12日 | 人生覚書き

私が人を疑う時 私は苦痛を感じます

私が人を審判する時 私は耐えられなくなります

私が人を憎む時 私は存在価値を失ってしまいます

 

しかし もし信じれば 私はだまされてしまいます

今宵 私は手のひらに頭を埋め 苦痛と悲しみに震えています

私が間違っているのでしょうか

そうです 私が間違っているのです

 

たとえ だまされたとしても 信じなければなりません

たとえ 裏切られたとしても 赦さなければなりません

憎む者までも ことごとく愛してください

涙を拭いて 微笑みで迎えてください

人を騙すことしか知らぬ者たちを

裏切りながらも 悔い改めのできない者たちまでも・・・

 

おお主よ! 愛するという痛みよ!

私のこの苦痛を御覧ください!

熱きこの胸に 主のみ手を当ててください!

私の心臓は 深き苦悩ゆえに 張り裂けんばかりです

 

しかし 裏切った者たちを愛した時 私は勝利を勝ち取りました

もし あなたも 私のように愛するならば

私はあなたに”栄光の冠”をお捧げします


お好み焼パイ

2009年04月11日 | 広島のオススメ!

有名な名物の土産物に、静岡県浜松市の「夜のお菓子」、うなぎパイがあるが、広島にもありました!

その名もズバリ!

「お好み焼パイ」っっ!!(笑)

 

・・まあ、わかりやすいっちゃ~わかりやすいが・・。

はたしてうまいんだろーか・・?

オタフクソース味とか・・?

 

宮島のサービスエリアで見かけたもの。

最近、高速のサービスエリアではこうした郷土色を出した面白いお菓子や製品をよく見かける。

「それにそれ入れちゃうのかよ!みたいな・・。

以前、(笑)のツボで紹介したわさびらむねみたいなヤツだ。

 

どこもいろいろ考えてんだねえ・・。

 

そういえば、ウチの近くの白島の土手沿いは毎年桜がきれいで自分の好きな場所だったのだが、今年は一番いいタイミングで日本にいなかったので、すっかり散って葉が出てきてしまってたり・・悲しい・・。

このブログでも紹介したかったんだけどなあ・・。残念・・。

まあ、中でも少し残ってるのもあったので、雰囲気だけでも・・。

 

花は桜木 人は武士

・・なんて言うけど、やっぱ桜はいいなあ・・。


人が求めしもの

2009年04月10日 | 最近、思うコト

人生は長い。

人は何を思い、何を求めて、その道のりを歩んで行くのだろうか?

 

たとえば、日頃から「この人、すごいなあ」とか、「頭いい人だなあ」と思う人には、何かこの人から吸収したいとか、お近づきになりたい・・と思うのが人の自然な情であろう。

実際には、頭はよくてもやな性格の人なんかも多いので、より人格的に尊敬できる人・・というコトになろうか?

小さい頃なら脚が速いとか、ケンカが強い、大人なら経済力がある等々、「お金」や「知識」、「権力」・・と、要はその人が人生の何に価値を置いているのか?・・で決まってくるので一概には言えないが、自分が「こうなりたい」という理想像、あこがれる存在である。

 

マンガでいったら、暴力が支配する世紀末の救世主、「北斗の拳」ケンシロウや、何度も地球を救った「DORAGON BALL」孫悟空。正義の血統を受け継ぐ「ジョジョの奇妙な冒険」の歴代の主人公、ジョジョたち。(全部ひと昔前のジャンプ作品なのはご愛嬌・・

人はそーゆーヒーローを求めている。

 

あるいは自分を引っ張り上げてくれる存在。自分を向上、成長させてくれる人。もっと極端にいえば、自分を現状から救ってくれる人・・。

 

・・そんな人との出会いを、人は常に求めている。

 

「溺れる者は藁をも掴む」というが、実際水の中で溺れている者が、となりで溺れている者に助けを求めるコトは、まずない。

しっかりと地に脚をつけ、そこから助けあげてくれる者、手を引いてくれるよき導き手を望むものだ。

 

たとえば、営業なんかの仕事では、実際に仕事ができる人と一緒にまわって、その人のやり方をまねる・・というのが最も手っ取り早いトレーニング方法だ。

「模倣は創造に通づる」というが、その人のやり方をそっくり相続してくるワケだ。

これは最短にして、最良の教育法といえよう。

 

剣道などでは「守・破・離」なんて言葉が思い出だされる。

基本を「守」り、習得した上で「破」「離」と、独自の剣を磨いていく。

ただそれは、基本を全く打ち棄ててしまうというコトではなく、自分のものとした上で・・というコトが前提であろう。

 

しかし、そうそうそんな素晴らしい人と出会えるもんじゃない・・というのももっともなご意見だ。

むしろ、職場などでは「この人、苦手だなあ・・」というような出会いの方が多かったりするのではないだろうか・・?

 

しかし、どんな人にも、たとえ反面教師であったとしても、学ぶトコロはあるものだ。

要は自分が問題なのである。

 

実は、もう既に、自分を生み変えてくれるような、そんなすごい価値をもった人に出会っているのかもしれない。

 

しかし、自分がその価値に気付いてないだけなのかもしれない。

 

もし、そうだとしたら、実にもったいない話だ・・。