昨日、イスラエルが停戦を宣言し、これに対し、イスラム原理主義組織ハマスもイスラエル軍の完全撤退を条件に、即時停戦を宣言した。
しかし、これでおわりという雰囲気ではなく、まだまだキナ臭い状況は続きそうだ。
昨年末からイスラエル情勢の物騒なニュースが流れているが、自分も含め、なかなか平和な日本に住む我々日本人にとっては、我が事と受け止められる人は稀だろう。
まして中東は「世界の火薬庫」といわれ、物騒な話は絶えない。
「またか・・」
・・と対岸の火事とばかり、こっちの不景気の方が自分にとっては切実な問題だったりするのも、結構ホンネだったりする。
しかし、戦火の中で通常の生活をするコトが出来ないどころか、生命の危険にさらされている人たちがいま現在、実際に、この同じ地球上に多く住んでいるのである。
もし、我々の家族や友人がそこにいたとしら、どうだろうか?
このブログを読んでる自分の友人の多くも知っている、コアラによく似たK先輩(以下コアラ先輩)もイスラエルにボランティアに行っているので、たまにむこうの情勢をメールで送ってきたりして知らせてくれる。
コアラ先輩には奥さんもいて、まだ小さいお子さんも2人いる。
コアラ先輩の家族にしたら、これは切実な問題だ。
我々がただ何となく見ているイスラエル情勢のニュースも、当然、他人事ではなく、当事者として受け止めているコトだろう。
もともとイスラエルには、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地エルサレムが存在し、大国の思惑もあって、実に歴史的な恨み多き地である。
ユダヤ教を信奉するユダヤ民族にとっては、神から与えられた約束の地であり、それを他民族に渡すコト=神への裏切りになってしまうし、イスラム教からしても、他の宗教に聖地を明け渡すなどもってのほか・・というコトになる。
誰か人からもらった土地ならともかく、先祖代々信じてきた神さまからもらった土地となると、その執着も推して知るべしであろう。
しかし、もともとユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、同じ唯一絶対の神を信ずる一神教であるし、三者とも旧約聖書を聖典とし、アブラハムを信仰の祖としているのだ。
いわば、同じ神さまを信じながら、兄弟ゲンカしているようなものなのだ。
これをアブラハミック・リリージョンというそうだが、ひとつ屋根の下ではないが、ひとつの神さまのもと、みんな平和に仲良く暮らせたらいいのに・・。
この聖地の問題を解決するには、誰の所有ともせず、たとえば国連管轄の平和公園として三者の手から離すしかないだろう。これは『逆説の日本史』等の著書で有名な作家、井沢元彦も言っている。
世界中で起こってる戦争や悲惨な事件を、どれだけ我々がリアルに我が事として受け止められるか?
それが世界平和への重要なカギになるコトは間違いないだろう。
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