先日、自分の高校時代の友人が結婚したとの話をきいた。
ひと言、この場を借りて、お祝いの言葉を。
本当におめでとう!
・・しかし、いまだ独身組の方が多いのもまた事実・・。
だいぶ結婚についての価値観や考え方も多様になり、変わってきてはいるが、さすがに40近くなって独り身というと、やっぱり社会的にもなかなか一人前と見てもらえないような見方も依然、根強く存在している。
「そろそろ身を固めたら・・?」
・・などと親兄弟や親族、上司、友人・・と周りからつつかれだす。女性なら、なおさらだろう。
何より自分自身がそーゆー周囲の空気におされ、肩身が狭く感じだしたりするのではなかろうか?
なぜ結婚するのか?
最近、中学の時の同級生が、随分体が悪くなり、入院生活を余儀なくされているという話を聞いた。
彼の母親が、一度でいいから結婚させてあげたかった・・と話していたそうだ。
自分にはまだ子どもがいないが、親が産まれてくる子どもに、まず1番最初に望むコトは、「五体満足で産まれて欲しい」、「元気で健康に育って欲しい」・・というコトであろう。
「勉強が出来るようになって欲しい」、「金持ちになって欲しい」・・というのは、もちろんあるだろうが、それらもひっくるめて次に望むコトが、「しあわせになって欲しい」・・というコトだと思うのである。
「しあわせになって欲しい」
・・よく比喩としても使われるが、その言葉の中に、「すばらしい相手とめぐり合って、しあわせな家庭を築いて欲しい」という意味合いがある。
もちろん、結婚以外にも受験や就職など、人生の転機となる大きな出来事はある。
しかし、結婚が人生において、最も自分の運勢を大きく左右する出来事であるコトには、誰も異論はないであろう。特に女性は大統領と結婚すればファースト・レディであるが、乞食と結婚すれば自分も乞食である。
では、親の願いだから結婚するのか?
むしろ、親の姿を見てきたからこそ、結婚に希望をもてないという人もいるだろう。
実際、結婚しても離婚してしまう人もたくさんいる。
しかし、”自分”という存在を考えた時、両親がいなければ、この世に生を享けるコトがなかったのは疑いようのない事実である。
因果関係で言うなら、 親が”自分”という存在の原因であり、”自分”が結果である。
自分の原因である親の願うもの=自分の人生の目的・・・と言ってしまうと飛躍があるだろうか・・?
あらゆる物は目的をもってつくられている。
たとえば、ボールペンなら何かを書くため。その目的を誰も知らず、書くために用いられなかったとしたら、ボールペンの存在する理由は失われてしまう。
人も同じである。
自分が何のために生きてるのか?・・その目的、存在する理由を知らなければ、人生も無価値なものになってしまう。
人がボールペン以下というコトはあるまい。
”自分”という存在の前に、まず親があり、こうあって欲しいと願うその思い、動機、原因があって、結果である自分の人生がある・・というコトは、決して忘れてはならないだろう。
いいものにせよ、悪いものにせよ、親の影響抜きに自分の人生を送れるはずはないのだから・・。
なんか難しい話をしたけど、結婚、いいもんだよ。
ケンカもするし、失敗も多いけど・・。
先日はバレンタインで奥さんからチョコもらったけど、やっぱうれしい。
奥さんに成長させてもらってるという実感がある。
たくさんの感謝こめて。
ありがとう!
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