私の教えは川を渡るための
筏のようなものである
そして 向こう岸に渡ったら
筏を捨てていけばよい
『中阿含教』阿梨咤経
仏教では”執着”するコトを戒める。
お金やモノ、人間関係…。
あらゆるものに執着するコトこそが、人の煩悩である。
しかし、究極的は、その執着を戒める”教え”そのものにさえ、執着するな・・というトコロまで行きつく・・。
原理原則は絶対・普遍のものである。
ーしかし、そこに固執するコトで、独善に陥るコトは多い。
キリスト教やイスラム教など、唯一・絶対の神を信じる一神教は、自らの神を絶対視するあまり、他の信ずるものを軽んじ、あるいは一段低い、野蛮で低俗なもの・・とさげすむ排他性さえ、生み出す危険性をもはらんだ教義でもある。
原理原則は確かに重要である。
しかし、原理を超えるものは”愛”である。
・・そのコトを、我々は忘れてはならないだろう・・。