比較神話学によると、『記紀』神話と南方系の神話、さらにはギリシャ神話との共通点があるコトは既に見た。
(カテゴリー/歴史・民族:「比較神話学から見た記紀神話」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/f99d8ab8e376d047373bcd73a7226be2)
ギリシャと日本という東西の文化をつなげたのは、アジア内陸に幅広く存在した遊牧騎馬民族だという。
ギリシャ文化の全盛期は紀元前1000~400年頃であるが、その当時、ギリシャ人は黒海に進出し、植民市を数多く築いていた。
この黒海周辺の内陸に住んでいたのが、スキタイ人と呼ばれる、世界最初の遊牧騎馬民族国家を築いた人々だった。
スキタイ人はギリシャ植民市と密接なつながりを持ち、とりわけギリシャ神話への造詣が深く、その一部を自分たちの先祖と結び付け、ギリシャ神話を自らの神話としたという。
スキタイ人は文字を持たなかったが、土器や金属器に、あきらかにギリシャ神話をモチーフとしたものを描いたものがあるコトからも、その影響の強さがうかがえる。
そもそも、ギリシャ神話というのは実に面白く、完成された神話体系をもっていたので、国家としてはギリシャをはるかに凌ぐローマ帝国も、神話のほとんどはギリシャ神話を引き継いでおり、ギリシャ・ローマ神話と呼ばれるほど。
スキタイ人は小アジアと呼ばれる黒海、カスピ海沿岸にいたが、彼らのすぐれた文明は交易などを通じて、より東にいたアルタイ系の遊牧民族に伝わった。
またスキタイ人は農業も同時に行っていたので、それらも彼らとともに東へと伝わり、ついには朝鮮半島に達し、高句麗、百済という遊牧民族系国家を生み出すコトになる。
そして、その文化はもちろん、日本へ伝わった。
日本への伝達ルートとしては、最も北寄りのルートになる。
文献上にはない、日本の邪馬台国から大和朝廷へと至る”謎の4世紀”を埋める仮説の1つに、有名な「騎馬民族征服王朝説」があり、このスキタイ人の話は興味がつきない。
もちろん、だからといって、遊牧騎馬民族が日本を征服した・・というコトではないが、そうした遊牧民族を祖とする氏族が日本に渡来し、自分たちの先祖の神話を、うまく日本神話へと取り込んで接ぎ木した・・という可能性は、十分考えられるのではなかろうか?
歴史紀行作家の中山良昭は、それが百済系渡来人といわれる蘇我氏だというコトも考えられる・・と述べている。
(cf.P100 中山良昭著『「古代神話」に隠された日本人起源の謎』河出書房新社:2010)
おもしろいのは、ギリシャ神話の中では、比較的傍系のエピソードであるオルフェウス・エウリディケ、デメテルの話は、それぞれイザナギ・イザナミがその後、穢れを祓う禊を行った後にアマテラス、ツクヨミ、スサノオの三貴子を産む前の重要な話、あるいは天の岩戸開きの神話であり、『記紀』神話における最も根幹を成すエピソードとなっており、この話を伝えた氏族は大きな力を持ったと推測できるとも、前掲書で中山は言っている。
いずれにせよ、日本の中だけのちまちまとした話ではなく、世界的な視野でとらえた時、日本の本来の姿というものも、また見えてくるのではないだろうか?